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光と闇 (いちい)
2007-12-07 13:56:37
私も毎日上り下りしております。
目をつぶって、しばらく歩く、ということ、ときどきやります。目が見えない世界を想像するからです。
車の評論をやっている方がいらっしゃいますね。
目の見えない猫(もう亡くなったと)を飼っていて一緒にゆっくり散歩する。
しかしその猫の名を言って、「〇○ちゃん、あなたは、光を見つめて生きているんだね。ぼくは、目は開いているけど、闇の世界に生きているんだ」
子供がいないその方は、「〇○ちゃんは、いっぱい思い出をのこしてくれた」と。

      のあいちい
 
 
 
階段について (崖揺岩)
2007-12-07 18:01:20

           

早朝に高層の階段を上るのでしょうか?
起き抜けより、可能ならば2、3時間位経ってからの方がお体に良いそうです。

それぞれの身障者の方の施設や公共施設には配慮が為されてますが、都市計画のアクセス施設は、未だ充分とは言えないです。
こちらの浜田山・荻窪駅は高齢対策も含めEVが,近年設置されましたが高額ですから・・・。

危険なので共有非常階段で目を閉じるのは止めましょう。
逃げるドロボウとぶつかるかも?(笑)

ところで階段は人に面白い作用をします。
例えば高樹さんのお家の階段は[行って来た]の14段の階段ですが、これがもう一度廻って21段で上の階のドアが有り内部に入ると、自分がいったい何処に
居るのか混乱し、これを繰り返すと存在位置認識が迷子になります。

所謂、螺旋階段の方向性の撹乱作用です。
この作用を利用して、より不安にしたり、逆に忽然とリラックススペースや芸術作品を展示したりし、人と人、人と物のコミュニケーションの促進をはかります。

もちろんこの手法は高層住宅には危険ですから余り使いません。
ご安心下さい。(笑)
ただ多種の複合施設では低層部分では心理の切り替え等で、階高の確保でがきればケースは有ります。

我が家の階段も14段です。

善福寺川のケヤキの黄葉と小鳥のセキレイが良かったです。
            




 
 
 
[有るべき所に無い]に反応 ()
2007-12-09 03:08:01
                            

健常者や現状に満足している人にとっても、[有るべき所に無い]認識は不安や自己内省やコミュニケーションと連帯を誘発し、時として自己革新が起きます。

日々の革新や革命は[有るべき所に無い]状況を造ることです。

前記の階段もその意図が含まれています。
もちろん広場や人の導線にも[位相]を意識的に取り入れます。
これは健常者は、日々革新して生きているから、この空間が快適だからです。

意地悪と誤解しないで下さい。

普通の健常者は[有るべき所に無い]と新たに何かを構築します。
人はその[何か]を構築する過程が心地よいのです。

建築に於いても、現実は人を老いさせない空間が求められています。

          


 
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