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須賀敦子さんのファンです。「訂正事項」あります。 (墨あそび詩あそび土あそびHP管理スタッフ)
2007-12-12 11:48:22

大好きな名前が出てきました、嬉しいです、もう少し生きて欲しかった。
新しいお仕事始めようとされたのに、、
「おこらんど」「墨あそび詩あそび土あそび」HPの連絡先 入手方法の「訂正」あります。
**リンク先**
「批評と著者近況」のPAGEで
私書箱。郵便振替。が書かれています 記載内容のTOPに
「おこらんど」
の文字記載必要です。
よろしくお願いします。
墨あそび詩あそび土あそびHP管理スタッフ
KAORRU
 
 
 
そこから・・ (いちい)
2007-12-12 22:09:51
そのときの選考委員の一人が、大庭みな子さんだったのですね。

大庭みな子さん。2007年5月24日、76歳で死去。
亡くなったのは、ついこの間のような気がしていました。もう12月。

1968年「三匹の蟹」で群像新人賞および芥川賞を受賞。
学生のときにこの作品を読みましたが、ストーリーは浮かんできません。田舎の田の稲穂をぼんやりと眺めていたような記憶があります。生きることの苦悩を思いやっていました。


 
 
 
私が消えた後の世界 (アイ)
2007-12-12 22:29:33
時がすぎて、〈廃墟〉になぐさめを得ているじぶんに気づいたのは、比較的最近のことだ。それは、あるとき、古代についての本を読んでいて、廃墟は、もしかしたら、物質の廃頽によってひきおこされた空虚な終末などではないかもしれない、と考えたことがきっかけだった。それにつづいて、人も物も、〈生身〉であることをやめ、記憶の領域にその実在を移したときに、はじめてひとつの完結性を獲得するのではないかという考えが、小さな実生のように芽ばえた。かつては劣化の危険にさらされていた物体が、別な生命への移行をなしとげてあたらしいく物体〉に変身したもの、それが廃墟かもしれない。そう考えると、私はなぐさめられた。
廃墟はまた、人びとが歩いてきた、そして現に歩いている、内面の地図のようにも思えた。迷路に似た廃墟の道をたどりながら、私たちは死んでしまった人たちの内面をなぞったり、あるいはまだ生きているじぶんの内面に照合したりすることができた。そう考えてくると、なにも幼稚園の遠足みたいなよそよそしさで廃墟を歩くことはなかった。廃境は私たちの内面そのものであり得たかもしれないのだから。
                (ユルスナールの靴)


須賀敦子(1929-1998・昭和4年-平成10年)
平成10年3月20日歿 69歳 (マリアアンナ須賀敦子) 

 
 
 
転載致しました。。。 (T.S.)
2007-12-14 08:25:01
転載致しました。
土曜日もしくは日曜日に拝聴致します。
By T.S. on 14th Dec., 2007
 
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