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転載させて頂きました。。。
(
T.S.
)
2007-12-03 18:13:54
トークブログ35を転載し、トラックバックさせて頂きました。
感想等がある場合には、土曜日もしくは日曜日に拝見し、申し述べさせて頂きます。
By T.S. on 3rd Dec., 2007
表現の発見
(
のあいちい
)
2007-12-03 23:40:30
「テイケイ」であれ自由であれ、ただ書くことは出来ても、受けての心に響かなければ失敗作ということになるのでしょうか。
その意味で、私などは、失敗作なら書ける、ということになります。
勝手に詩を書き、小説を書き、エッセイを書く、しかし人の心に大きな波紋や感動を起こさない。
書くって、創作って、人に読んでもらうために書くのですね。
ブログも。
しかし、自分だけでノートに書いている日記は、誰にも見せないけれど、誰かに、天にか、知ってもらいたいという思いが、心のどこかに潜んでいるのでしょうか。
誰も読まないもの、読まれないもの、を書くということも、自分の心のやりどころ、をそこへぶつけているのでしょうか。
3000万人ものブログ人口。これは、明らかにサイトを訪れた誰かに、読んでもらいたいのですよね。
定型詩とか五・七・五とか五・七・五・七・七とか、型を決めると、文芸の色彩。人の批評を気にかけて創作する行為。
出来れば読んでもらいたい、だから良いものを書きたい、人に認められたい。違いますか。当たり前だ、ですか?
でなくても、分かってもらいたい。自分が今、生きて呼吸していることを!
少数の読者
(
崖揺岩
)
2007-12-04 00:23:25
トークブログ拝見。
上海の夜は如何ですか?
種田山頭火は防府の出でしたね。
わけいってもわけいっても青い山
破天荒な人生でしたね。
大地主で造り酒家に生まれ、11才の時に母親が自殺し、後には放蕩で造り酒家も破産し、父親も弟さんも自殺とは何とも凄惨な運命です。
母親の怨霊のなせることでしょうか?
山頭火を読んだ印象は、精神が硬直し罪を犯した逃亡者を連想しました。
イメージとしては傷みの早い青魚の鯖でした。
太宰もそうでした?
地元ですから、高樹さんは山頭火のことを、郷里で聞かれてたでしょう?
僕は言葉を切り捨てる俳句を、若い頃は避けていました。
30代の終わり頃でしたが、萩原井泉水・尾崎放哉・山頭火を読み自由句の二人に呆れ返りました。(笑)
もちろん、それぞれ面白い句も有りますが、作品の割に余りに周りの犠牲が過ぎる様です。
子規・虚子の影響か、愛媛・香川・岡山辺りでは、商家や民衆に俳句の熱心な方がいました。
じつは進学で上京の直前、幼なじみのGフレンドに自宅に呼ばれ、お伺いしたら彼女の父親から深夜迄、俳句の講義をされ閉口しました。(苦笑)
何をしに行ったのやら・・帰りに送って来た彼女はただただ泣くばかり。
僕の俳句の印象が悪いのはあのせいかも。(笑)
高樹さんがおっしゃるように、枠に嵌まった定型の中の自由、の楽しさは解らないでもないです。
しかし言葉を無理矢理切り捨てるか、又はその情況に置き、そこに何らかの空間を求める発句や短歌は、やはり病的と言わざる負えません。
僕は[地獄の季節](翻訳)のような自由詩(原典は韻を踏む)が面白いのです。
でも、ランボーも病的の上、その後は武器商人で金儲けを画策して失敗した男ですから・・・。(苦笑)
高樹さんの言い分としては、小説は枠のない自由だから、もっと病的と思われているのでしょう。
確かに小説を自由詩で創ることはプロでも難しい事でしょう。
建築の様に好いとこ取りを出来ないのが文学でしょうか?
例え現状の予測が少数でも、近くの信頼の於ける感受性の方々を、信じて綴るしかないと思います。
無責任に勝手なことを書きました。
こちらは寒波ですが、上海は少しは暖かいのでしょうか?
<定型>の自由
(
yamanva
)
2007-12-04 02:28:29
初めまして。
この高木のぶ子さんのSIAブログを7月に発見し、
拝見しております。
作品はほとんど読んでおりますので、あの高木さんがブログを始めれられたと日日、胸をときめかせながらここをおたずねし
てます。
「先生」とおよびしない失礼をお許しください。
なにか硬くて遠くにゆかれてしまうようなので。
「定型と自由」
このテーマに思わず反応してしまいました。
学生のころ、現代詩という<詩>を書いていました。
詩人の平出隆は
「この詩形、形を限定しないという意味で
『自由』であり、過去からの拘束に縛られないことで『現代的』である。
が、この『自由』で『現代的』
であること自体がいぶかしい」といい、その疑いが起こるとき、「日本語の場合、短歌や俳句という伝統的詩形が思い起こされる」という。
ここでは平出氏は詩形をいっておられますが、
小説を書かれている高木さんにあってはその<不自由>さのありようはより切実なものと思います。
「自由」であることの荒涼にたたずみ、
「定型があったら、根幹を支える枠組みがあったら、どんなにか<自由>であろうか」
そう思って始めた俳句でした。
高木さんの言われる「感性の授受する器」に思わず、ふかくうなずきました。
霧を裂きゆく言の葉を一花(いちげ)とし
私の句を。
なぜ音数律なのか
(
ピース・りヴァー
)
2007-12-04 13:07:46
ヨーロッパ言語では、詩といえば定型詩のことで、リズムと韻(ライム)を単位とするやかましい規則があるわけですが、日本語の場合これが音数律になったのは、一つには日本語そのものが、強弱が乏しく平板であることと、もう一つは、大昔日本語が成立する以前の、まだ言葉そのものが、現実対象とじかにつながっていたころ、音節の数と言葉の意味とに深い連関があったかからではないかと勝手に想像しています。
これがどうして、五七五七七という単位にまとまっていたのかは、三浦つとむという言語学者が一番本質的なことを言っているらしいです。うろ覚えですが、彼の言うには、日本語の名詞は、一音節か二音節がもっと多いらしく、それにてにをはをつけると、二音節か三音節になりす。
すると2+3=5および3+3+2+2=7ということで、五音節と七音節が、枠の単位になったのではないか、と確かそのようなことを言っていたような気がします。
もちろんそれが五七五七七という和歌に定着されるまでには長い長い時間を要したわけですが。だからこの音数律の気持ちよさは、日本語を母国語する人にとってはな生理的なものといえるほど本質的なわけです。
ところで、こんどは女性俳人、黛まどか氏のことを教えてもらったのですが、調べてみると、飛び切りの美人ですね。それもそのはず着物コンテストで、ミス着物に選ばれた人で、女優もやっておられるそうです。父上は、黛執(しゅう)という俳人ですね。そこで例によってまどか氏と執氏の作品をいくつかあげてみます。
湖を手鏡にして山装う
漁火のいつか相寄る十三夜
くちづけをして向日葵に背むかるる
結ばれぬ二人と見たるボートかな
さよならを言ひかねてゐるあきつかな
まどか
もの忘れするたびに仰ぐ春の山
てふてふの散らかしてゐる日向かな
執
Unknown
(
崖揺岩
)
2007-12-04 22:03:12
今日は火曜日ですが、この曜日の使用は空海が日本に伝え、平安時代から貴族の間で日記にも使ってたそうです。(藤原道長)
早い段階で色々西洋の文明が移入されていた様ですね。
ピースさんのお得意の分野でした。
リズムとラインですか、補足になりありがとう。
俳句・短歌の定型?女流の方は定形でしょうか・・黛まどかさんも使用・・。この定型の染み付いた国民性が過去において、国際社会の中で孤立の原因ですから問題なのです。
具体的に言えば、言葉の力不足で軍部のコントロールは不能でしょう?
恐らく、少し初めは居心地は良いが、過去の地獄を繰り返すだけと思います。
黛まどかさんも美人でしたが、高樹のぶ子さんほどキレイかなぁ~!?
戦慄の句
(
Eno
)
2007-12-04 23:41:43
yamanvaさん、すごい俳句ですね。久しぶりに感性の戦慄をおぼえました。今の世の中でも、言葉の力はまだ生きているんですね!
感謝
(
yamanva
)
2007-12-05 00:13:56
Enoさん、「感性の戦慄」とまで言っていただき、
わたしは身の戦慄を感じました。
高木さんが小説と定型の韻文について語っておられたので、
その言葉のなかで、定型のなかで、格闘している句をあげてしまいました。
これはわたしの第三句集『漆黒の翼』のものです。
好い句です
(
崖揺岩
)
2007-12-05 08:57:48
YAMANVAsさんのは僕も洒落た句と感じました。
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感想等がある場合には、土曜日もしくは日曜日に拝見し、申し述べさせて頂きます。
By T.S. on 3rd Dec., 2007
その意味で、私などは、失敗作なら書ける、ということになります。
勝手に詩を書き、小説を書き、エッセイを書く、しかし人の心に大きな波紋や感動を起こさない。
書くって、創作って、人に読んでもらうために書くのですね。
ブログも。
しかし、自分だけでノートに書いている日記は、誰にも見せないけれど、誰かに、天にか、知ってもらいたいという思いが、心のどこかに潜んでいるのでしょうか。
誰も読まないもの、読まれないもの、を書くということも、自分の心のやりどころ、をそこへぶつけているのでしょうか。
3000万人ものブログ人口。これは、明らかにサイトを訪れた誰かに、読んでもらいたいのですよね。
定型詩とか五・七・五とか五・七・五・七・七とか、型を決めると、文芸の色彩。人の批評を気にかけて創作する行為。
出来れば読んでもらいたい、だから良いものを書きたい、人に認められたい。違いますか。当たり前だ、ですか?
でなくても、分かってもらいたい。自分が今、生きて呼吸していることを!
トークブログ拝見。
上海の夜は如何ですか?
種田山頭火は防府の出でしたね。
わけいってもわけいっても青い山
破天荒な人生でしたね。
大地主で造り酒家に生まれ、11才の時に母親が自殺し、後には放蕩で造り酒家も破産し、父親も弟さんも自殺とは何とも凄惨な運命です。
母親の怨霊のなせることでしょうか?
山頭火を読んだ印象は、精神が硬直し罪を犯した逃亡者を連想しました。
イメージとしては傷みの早い青魚の鯖でした。
太宰もそうでした?
地元ですから、高樹さんは山頭火のことを、郷里で聞かれてたでしょう?
僕は言葉を切り捨てる俳句を、若い頃は避けていました。
30代の終わり頃でしたが、萩原井泉水・尾崎放哉・山頭火を読み自由句の二人に呆れ返りました。(笑)
もちろん、それぞれ面白い句も有りますが、作品の割に余りに周りの犠牲が過ぎる様です。
子規・虚子の影響か、愛媛・香川・岡山辺りでは、商家や民衆に俳句の熱心な方がいました。
じつは進学で上京の直前、幼なじみのGフレンドに自宅に呼ばれ、お伺いしたら彼女の父親から深夜迄、俳句の講義をされ閉口しました。(苦笑)
何をしに行ったのやら・・帰りに送って来た彼女はただただ泣くばかり。
僕の俳句の印象が悪いのはあのせいかも。(笑)
高樹さんがおっしゃるように、枠に嵌まった定型の中の自由、の楽しさは解らないでもないです。
しかし言葉を無理矢理切り捨てるか、又はその情況に置き、そこに何らかの空間を求める発句や短歌は、やはり病的と言わざる負えません。
僕は[地獄の季節](翻訳)のような自由詩(原典は韻を踏む)が面白いのです。
でも、ランボーも病的の上、その後は武器商人で金儲けを画策して失敗した男ですから・・・。(苦笑)
高樹さんの言い分としては、小説は枠のない自由だから、もっと病的と思われているのでしょう。
確かに小説を自由詩で創ることはプロでも難しい事でしょう。
建築の様に好いとこ取りを出来ないのが文学でしょうか?
例え現状の予測が少数でも、近くの信頼の於ける感受性の方々を、信じて綴るしかないと思います。
無責任に勝手なことを書きました。
こちらは寒波ですが、上海は少しは暖かいのでしょうか?
この高木のぶ子さんのSIAブログを7月に発見し、
拝見しております。
作品はほとんど読んでおりますので、あの高木さんがブログを始めれられたと日日、胸をときめかせながらここをおたずねし
てます。
「先生」とおよびしない失礼をお許しください。
なにか硬くて遠くにゆかれてしまうようなので。
「定型と自由」
このテーマに思わず反応してしまいました。
学生のころ、現代詩という<詩>を書いていました。
詩人の平出隆は
「この詩形、形を限定しないという意味で
『自由』であり、過去からの拘束に縛られないことで『現代的』である。
が、この『自由』で『現代的』
であること自体がいぶかしい」といい、その疑いが起こるとき、「日本語の場合、短歌や俳句という伝統的詩形が思い起こされる」という。
ここでは平出氏は詩形をいっておられますが、
小説を書かれている高木さんにあってはその<不自由>さのありようはより切実なものと思います。
「自由」であることの荒涼にたたずみ、
「定型があったら、根幹を支える枠組みがあったら、どんなにか<自由>であろうか」
そう思って始めた俳句でした。
高木さんの言われる「感性の授受する器」に思わず、ふかくうなずきました。
霧を裂きゆく言の葉を一花(いちげ)とし
私の句を。
これがどうして、五七五七七という単位にまとまっていたのかは、三浦つとむという言語学者が一番本質的なことを言っているらしいです。うろ覚えですが、彼の言うには、日本語の名詞は、一音節か二音節がもっと多いらしく、それにてにをはをつけると、二音節か三音節になりす。
すると2+3=5および3+3+2+2=7ということで、五音節と七音節が、枠の単位になったのではないか、と確かそのようなことを言っていたような気がします。
もちろんそれが五七五七七という和歌に定着されるまでには長い長い時間を要したわけですが。だからこの音数律の気持ちよさは、日本語を母国語する人にとってはな生理的なものといえるほど本質的なわけです。
ところで、こんどは女性俳人、黛まどか氏のことを教えてもらったのですが、調べてみると、飛び切りの美人ですね。それもそのはず着物コンテストで、ミス着物に選ばれた人で、女優もやっておられるそうです。父上は、黛執(しゅう)という俳人ですね。そこで例によってまどか氏と執氏の作品をいくつかあげてみます。
湖を手鏡にして山装う
漁火のいつか相寄る十三夜
くちづけをして向日葵に背むかるる
結ばれぬ二人と見たるボートかな
さよならを言ひかねてゐるあきつかな
まどか
もの忘れするたびに仰ぐ春の山
てふてふの散らかしてゐる日向かな
執
今日は火曜日ですが、この曜日の使用は空海が日本に伝え、平安時代から貴族の間で日記にも使ってたそうです。(藤原道長)
早い段階で色々西洋の文明が移入されていた様ですね。
ピースさんのお得意の分野でした。
リズムとラインですか、補足になりありがとう。
俳句・短歌の定型?女流の方は定形でしょうか・・黛まどかさんも使用・・。この定型の染み付いた国民性が過去において、国際社会の中で孤立の原因ですから問題なのです。
具体的に言えば、言葉の力不足で軍部のコントロールは不能でしょう?
恐らく、少し初めは居心地は良いが、過去の地獄を繰り返すだけと思います。
黛まどかさんも美人でしたが、高樹のぶ子さんほどキレイかなぁ~!?
わたしは身の戦慄を感じました。
高木さんが小説と定型の韻文について語っておられたので、
その言葉のなかで、定型のなかで、格闘している句をあげてしまいました。
これはわたしの第三句集『漆黒の翼』のものです。