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良いお年を
(
伊東カツヒロ
)
2007-12-31 01:23:47
こんにちは。おひさしぶりです。
今年SIAの講義に出席した九州大学の学生です。
毎回参加しているSIAですが、最新回はご講演後に講義の場を設けていただき、
とてもうれしい思いでした。貴重なお話ありがとうございました。
SIAのような企画が九州大学の中で行われるのはとても有意義なことだと思います。
これからも多くの学生に参加してもらいたいです。
高樹さんの小説、応援しております。
新聞小説というジャンル(?)は今注目されてもいるので、
非常に楽しみです。
また、次回の芥川賞も楽しみにしています。
(もう候補作を読まれている段階でしょうか)
毎回、候補作が発表されたら、できるだけ全作品読むようにしています。
最新回の諏訪さんの作品も小説の型を破り、新たなスタイルを提唱している(しかもそれが決して破綻していない)というのが、すばらしかったですね。
新たな新人小説家の誕生も心待ちにしています。
長々と失礼しました。
それではよいお年をお迎えください。
来年のSIAもよろしくお願いします。
この1年
(
hyde氏
)
2007-12-31 03:00:47
今年を表現する文字が「偽」とありました。めまぐるしく頭を下げる映像がテレビに映し出されました。
おりしも伊丹十三作品「スーパーの女」がリバイバル放映されましたが、10年以上のも前の作品がこれほど今日的とは思いませんでした。
それでもサイヤのような新しい動きもあり、来年はきっと流れが変わると信じています。
その願いをこめて、年賀状には「清風来」と筆書きして送りました。
良い年をお迎えください。
大晦日
(
崖 転岩
)
2007-12-31 03:42:56
例の美味しい黒豆と赤カブを食す、年末年始となりました。
実家の手入れは竹の伐採と、膨大な落ち葉の整理処分のみです。
東アジア圏にそれほど興味はない僕は、SIAのブログのお陰で眠っていた、文学への好奇心が、少しだけ目覚めました。
また、高樹さんの幻視世界に対する、かなり免疫力も付いてきました。
新聞連載小説は上海を舞台にしたものとの由、中国の方々にも愛読される、小説になると好いですね。
あっ、こんな風な圧力をかけると、小説家はダメなんでしょうか・・?
楽しみにしてます。
中国の政治家では周恩来さんは感じの好い方でした。
日本と核の平和利用の分野でも、交流はされてるそうですし、中国とはお互いに上手く利用する関係を、構築するしかないのでしょう。
尚、前記ベトナムの所で、故小田実氏の件から想い出し、'60年安保全学連元ブント書記長[島成郎シマ・シゲオ]さんを検索すると2000年10月(69才)に末期胃癌で既に亡くならてました。
實は、昔々の渋谷のバー(てこな)で何度か、医師・島成郎さん達と出会い、楽しく飲んでたのです。
沖縄で精神医療をされていたグループの明るい方々でした。
女医に貴方の頭蓋骨は形が良いとか、からかわれた記憶が有ります。
又、失礼ながらこの場をお借りして検索コピーを書き込まさせて下さい。
彼は明るく真っ当な方でしたので。
追悼文「将たる器」の人 島成郎さんを悼む 吉本隆明(「沖縄タイムズ」2000年10月22日)
初めて島成郎さんに会ったのは、全学連主流派が主導した六○年安保闘争の初期だった。
島さんたち「ブント」の幹部数人がいたと思うが、
竹内好さん、鶴見俊輔さんはじめ、わたしたち文化人(!?)を招いて、
島さんから自分たちの闘争に理解も持って
見守って頂きたい旨の要請が語られた。
竹内さんなどから二、三の質問があって、島さんが答えていたとの記憶がある。
確か本郷東大の向かいの喫茶店だった。
わたしが鮮やかに覚えているのは、そんなことではない。
その時、島さんは戦いは自分たちが主体で、あくまでやるから、
文化人の方々は好意的に見守っていてくれればいい旨の発言をしたと記憶する。
わたしは、この人は「将(指導者)たる器」があるなと感じた。
戦いはいつもうまく運べば何も寄与しないが、同伴していた文化人の手柄のように宣伝され、負ければ学生さんの乱暴な振る舞いのせいにされる。
この社会の常識はそんな風にできている。
わたしは島さんがそんな常識に、釘を刺しておきたかったのだと思い、同感を禁じ得なかった。
わたしは学生さんの闘いのそばにくっついているだけだったが、
心のなかでは「学生さんの戦いの前には出まい、でも学生さんのやることは何でもやろう」
という原則を抱いて六〇年安保闘争に臨んだ。
それでもこのわたしの原則は効力がなかったかもしれないが、
わたしの方から破ったことはなかった。
島さんはじめ「ブント」の人たちの心意気にわたしも心のなかで呼応しようと思ったのだ。
文字通り現場にくっついていただけで、闘争に何の寄与もしなかった。
島さんの主導する全学連主流派の人たちは、孤立と孤独のうちに、世界に先駆けて独立左翼(ソ連派でも中共派でもない)の闘争を押し進めた。
それが六〇年安保闘争の全学連主流派の戦いの世界史的な意味だと、わたしは思っている。
闘争は敗北と言ってよく、ブントをはじめ主流となった諸派は解体の危機を体験した。
しかし、独立左翼の戦いが成り立ちうることを世界に先駆けて明示した。
この異議の深さは、無化されることはない。
安保闘争の敗北の後、わたしは島さんを深く知るようになった。
彼の「将たる器」を深く感ずるようになったからだ。
わたしが旧「ブント」のメンバーの誰彼を非難したり、悪たれを言ったりすると、
島さんはいつも、それは誤解ですと言って、
その得失と人柄を説いて聞かせた。
わたしは「将たる器」とはこういうものかと感嘆した。
わたしなど、言わんでもいい悪口を商売にしているようなもので、
島さんの一貫した仲間擁護の言説を知るほどに、たくさんのことを学んだような気がする。
わたしの子供達は、豪放磊落(らいらく)な島成郎さんを「悪い島さん」と愛称して、よく遊んでもらったり、お風呂に入れてもらったりしていた。
わたしとは別の意味で、幼い日を思い出すごとに、島さんの人なつこい人柄を思い出すに違いない。
知っている範囲で谷川雁さんと武井昭夫さんとともに島成郎さんは「将たる器」を持った優れたオルガナイザーだと思ってきた。
臨床精神科医としての島さんの活動については、わたしは語る資格がない。
だが、この人を失ってしまった悲しみは骨身にこたえる。
きっとたくさんの人がそう思っているに違いない。
僕の世代とは空気も違い涙がでました。
彼は80年代後半の飲み屋でも、品格も有り爽やかで好い男でしたよ。
彼は早過ぎます!
2000年10月は銀座の個展で多忙でしたから知りませんでした。
長文を失礼しました。
良いお年をお過しください!
来年もよろしく!
(
ピース・リヴァー
)
2007-12-31 14:55:21
崖さん、熱狂的吉本ファンを自任する僕でさえ読んだことない吉本さんの文章を読ませていただいて有難うございます。
そういえば、60年安保闘争の時、僕は大学受験浪人中で、もっぱらテレヴィで観戦していました。もし僕が現役で合格していたら、僕の人生は、大きく変わっていたかもしれませんね。
高樹先生は、来年は、新聞小説を書かれるのですか。超人的いそがしさになるでしょうね。御健闘と御健康を祈ります。
大晦日、来年もよろしく!
(
崖転岩
)
2007-12-31 21:07:14
吉本隆明さんはよく解りませんが、学生の頃、団塊世代の気の利いた山手の友人達は、ブントの島成郎さんを評価はしてました。
僕は既に学生時代、個展をしたり創作者でしたから、かなり消極的参加で69年冬の東大闘争での負傷です。
87年頃、島成郎さんをママから紹介されたときは、少し緊張しましたが、想定外でなんとも穏やかで、周りが和む愉快な方でした。
若々しく色々と話をしてました。
建築からは遠い方ですが、経営者にも向いてたと思います。
近年、荻窪で一緒に遊んでる、元社長80翁も似たタイプですから。
島成郎さんは中学時代は生物部に在籍したようです。
人物像はこちらで。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/sengogakuseiundo_4_hosoku2_6.htm
大晦日も残り三時間余り、お寺で鐘でも撞いてこようっと!
ゴォ~ン~・・・ゴォ~ン~・・・
大晦日 徃しへ人よ 鐘を撞く
来年は良い年になりますように!
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今年SIAの講義に出席した九州大学の学生です。
毎回参加しているSIAですが、最新回はご講演後に講義の場を設けていただき、
とてもうれしい思いでした。貴重なお話ありがとうございました。
SIAのような企画が九州大学の中で行われるのはとても有意義なことだと思います。
これからも多くの学生に参加してもらいたいです。
高樹さんの小説、応援しております。
新聞小説というジャンル(?)は今注目されてもいるので、
非常に楽しみです。
また、次回の芥川賞も楽しみにしています。
(もう候補作を読まれている段階でしょうか)
毎回、候補作が発表されたら、できるだけ全作品読むようにしています。
最新回の諏訪さんの作品も小説の型を破り、新たなスタイルを提唱している(しかもそれが決して破綻していない)というのが、すばらしかったですね。
新たな新人小説家の誕生も心待ちにしています。
長々と失礼しました。
それではよいお年をお迎えください。
来年のSIAもよろしくお願いします。
おりしも伊丹十三作品「スーパーの女」がリバイバル放映されましたが、10年以上のも前の作品がこれほど今日的とは思いませんでした。
それでもサイヤのような新しい動きもあり、来年はきっと流れが変わると信じています。
その願いをこめて、年賀状には「清風来」と筆書きして送りました。
良い年をお迎えください。
実家の手入れは竹の伐採と、膨大な落ち葉の整理処分のみです。
東アジア圏にそれほど興味はない僕は、SIAのブログのお陰で眠っていた、文学への好奇心が、少しだけ目覚めました。
また、高樹さんの幻視世界に対する、かなり免疫力も付いてきました。
新聞連載小説は上海を舞台にしたものとの由、中国の方々にも愛読される、小説になると好いですね。
あっ、こんな風な圧力をかけると、小説家はダメなんでしょうか・・?
楽しみにしてます。
中国の政治家では周恩来さんは感じの好い方でした。
日本と核の平和利用の分野でも、交流はされてるそうですし、中国とはお互いに上手く利用する関係を、構築するしかないのでしょう。
尚、前記ベトナムの所で、故小田実氏の件から想い出し、'60年安保全学連元ブント書記長[島成郎シマ・シゲオ]さんを検索すると2000年10月(69才)に末期胃癌で既に亡くならてました。
實は、昔々の渋谷のバー(てこな)で何度か、医師・島成郎さん達と出会い、楽しく飲んでたのです。
沖縄で精神医療をされていたグループの明るい方々でした。
女医に貴方の頭蓋骨は形が良いとか、からかわれた記憶が有ります。
又、失礼ながらこの場をお借りして検索コピーを書き込まさせて下さい。
彼は明るく真っ当な方でしたので。
追悼文「将たる器」の人 島成郎さんを悼む 吉本隆明(「沖縄タイムズ」2000年10月22日)
初めて島成郎さんに会ったのは、全学連主流派が主導した六○年安保闘争の初期だった。
島さんたち「ブント」の幹部数人がいたと思うが、
竹内好さん、鶴見俊輔さんはじめ、わたしたち文化人(!?)を招いて、
島さんから自分たちの闘争に理解も持って
見守って頂きたい旨の要請が語られた。
竹内さんなどから二、三の質問があって、島さんが答えていたとの記憶がある。
確か本郷東大の向かいの喫茶店だった。
わたしが鮮やかに覚えているのは、そんなことではない。
その時、島さんは戦いは自分たちが主体で、あくまでやるから、
文化人の方々は好意的に見守っていてくれればいい旨の発言をしたと記憶する。
わたしは、この人は「将(指導者)たる器」があるなと感じた。
戦いはいつもうまく運べば何も寄与しないが、同伴していた文化人の手柄のように宣伝され、負ければ学生さんの乱暴な振る舞いのせいにされる。
この社会の常識はそんな風にできている。
わたしは島さんがそんな常識に、釘を刺しておきたかったのだと思い、同感を禁じ得なかった。
わたしは学生さんの闘いのそばにくっついているだけだったが、
心のなかでは「学生さんの戦いの前には出まい、でも学生さんのやることは何でもやろう」
という原則を抱いて六〇年安保闘争に臨んだ。
それでもこのわたしの原則は効力がなかったかもしれないが、
わたしの方から破ったことはなかった。
島さんはじめ「ブント」の人たちの心意気にわたしも心のなかで呼応しようと思ったのだ。
文字通り現場にくっついていただけで、闘争に何の寄与もしなかった。
島さんの主導する全学連主流派の人たちは、孤立と孤独のうちに、世界に先駆けて独立左翼(ソ連派でも中共派でもない)の闘争を押し進めた。
それが六〇年安保闘争の全学連主流派の戦いの世界史的な意味だと、わたしは思っている。
闘争は敗北と言ってよく、ブントをはじめ主流となった諸派は解体の危機を体験した。
しかし、独立左翼の戦いが成り立ちうることを世界に先駆けて明示した。
この異議の深さは、無化されることはない。
安保闘争の敗北の後、わたしは島さんを深く知るようになった。
彼の「将たる器」を深く感ずるようになったからだ。
わたしが旧「ブント」のメンバーの誰彼を非難したり、悪たれを言ったりすると、
島さんはいつも、それは誤解ですと言って、
その得失と人柄を説いて聞かせた。
わたしは「将たる器」とはこういうものかと感嘆した。
わたしなど、言わんでもいい悪口を商売にしているようなもので、
島さんの一貫した仲間擁護の言説を知るほどに、たくさんのことを学んだような気がする。
わたしの子供達は、豪放磊落(らいらく)な島成郎さんを「悪い島さん」と愛称して、よく遊んでもらったり、お風呂に入れてもらったりしていた。
わたしとは別の意味で、幼い日を思い出すごとに、島さんの人なつこい人柄を思い出すに違いない。
知っている範囲で谷川雁さんと武井昭夫さんとともに島成郎さんは「将たる器」を持った優れたオルガナイザーだと思ってきた。
臨床精神科医としての島さんの活動については、わたしは語る資格がない。
だが、この人を失ってしまった悲しみは骨身にこたえる。
きっとたくさんの人がそう思っているに違いない。
僕の世代とは空気も違い涙がでました。
彼は80年代後半の飲み屋でも、品格も有り爽やかで好い男でしたよ。
彼は早過ぎます!
2000年10月は銀座の個展で多忙でしたから知りませんでした。
長文を失礼しました。
良いお年をお過しください!
そういえば、60年安保闘争の時、僕は大学受験浪人中で、もっぱらテレヴィで観戦していました。もし僕が現役で合格していたら、僕の人生は、大きく変わっていたかもしれませんね。
高樹先生は、来年は、新聞小説を書かれるのですか。超人的いそがしさになるでしょうね。御健闘と御健康を祈ります。
吉本隆明さんはよく解りませんが、学生の頃、団塊世代の気の利いた山手の友人達は、ブントの島成郎さんを評価はしてました。
僕は既に学生時代、個展をしたり創作者でしたから、かなり消極的参加で69年冬の東大闘争での負傷です。
87年頃、島成郎さんをママから紹介されたときは、少し緊張しましたが、想定外でなんとも穏やかで、周りが和む愉快な方でした。
若々しく色々と話をしてました。
建築からは遠い方ですが、経営者にも向いてたと思います。
近年、荻窪で一緒に遊んでる、元社長80翁も似たタイプですから。
島成郎さんは中学時代は生物部に在籍したようです。
人物像はこちらで。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/sengogakuseiundo_4_hosoku2_6.htm
大晦日も残り三時間余り、お寺で鐘でも撞いてこようっと!
ゴォ~ン~・・・ゴォ~ン~・・・
大晦日 徃しへ人よ 鐘を撞く
来年は良い年になりますように!