TRUE TRAD JAPAN, SSPX Resistance Austrasia, Frs Chazal Picot

今から465年前(西暦1549年)聖フランシスコ ザビエルが日本に伝えたキリスト教 その尊い教義典礼をまもりつづける

人の死について(四終):公審判と私審判 59/68

2017-08-06 | Pictureカテキズム
絵の説明
●この絵には、我らの死するときに行われる私審判の有様が書いてある。

●まず、左方は善人の審判で右方は悪人の審判である。
 イエズスキリストの裁判所は、この二人が今息の絶えた部屋の上である。そして善人の親類は
 まだ彼のために祈っているのである。

●守護の天使は、聖マリアと聖ヨゼフのとの後について、善人の霊魂を、
 イエズスキリストの御前に導いている。
 イエズスの右方に一位の天使が、片手には善人のために栄福の冠を持ち、
 片手では秤で善悪をはかっている、ところが善のほうが勝っているので、
 イエズスキリストは彼をよくもてなし、彼のために利益となる裁判をくださるのである。

●悪人の霊魂も無上至尊の裁判官の御前に引き出されるが、羞恥のあまり、仰ぎ見ることができず、
 顔をかくすのである。悪魔たちは彼がくくられている鎖を引いて、地獄へ落とそうといたしている
 のである。その上方に天使が、やはり、秤をもって善と悪とを量っているが、罪悪のほうが
 至って重く、また、天使がもっている生命の書の中には、一つもその人の善行がしるされていない
 から、イエズスキリストが彼を見捨て給うて、彼のうえに永遠の刑罰を受けるべき宣告をいたされるのである。

※注意。公審判、天国、地獄の図解は、使徒信経の末尾にしるしてあるから、第10図、第16図、第17図参照のこと
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人の死について(四終):善人の死と悪人の死 58/68

2017-07-30 | Pictureカテキズム
絵の説明
この絵には、善人の最後と悪人の最後の有様が書いてある。
まず、善人の最後の有様は上のほうに書いてあって、
善人は安心してベッドの上にふせっていると、司祭はその傍らに立って
十字架を見せながら彼に善いすすめを聞かせている。
守護の天使は彼をなぐさめ、親類はひざまずいて彼のために祈っている。
また、イエズスキリストと聖母マリアとは、天国から彼を招いているのである。
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いと貴き御血の連祷

2017-07-26 | エレイソンコメンツ
7月は、「いと貴き御血の連祷」を唱えましょう。

<いと尊き御血の連祷>

主憐れみ給え ▲キリスト憐れみ給え。

主憐れみ給え

キリスト我らの祈りを聴き給え ▲キリスト我らの祈りを聴きいれ給え。

天主なる御父 ▲我らを憐れみ給え。

天主にして世のあがない主なる御子 ▲我らを憐れみ給え。

天主なる聖霊 ▲我らを憐れみ給え。

唯一の天主なる聖三位 ▲我らを憐れみ給え。

永遠の父の御独り子なるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

人となり給える天主の御言葉なるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

新たにして永遠なる契約のキリストの御血 ▲我らを救い給え。

御心痛のうちに地にしたたり落ちたるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

鞭打ちによりて多量に流されたるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

茨の冠によりて流されたるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

十字架の上にて溢れいでたるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

我らの救霊の代価なるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

罪の赦しの条件なるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

聖体の秘跡において心の糧にしてみそぎなるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

憐れみの本流なるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

悪魔に打ち勝ち給えるキリストの御血▲我らを救い給え。

殉教者の勇気なるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

証聖者の力なるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

童貞者を育くむキリストの御血 ▲我らを救い給え。

滅びゆかんとするものの救いなるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

重荷を負える者の支えなるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

悲しむ者の慰めなるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

悔い改むる者の希望なるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

死に臨める者の助けなるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

心の平和と柔和との源なるキリストの御血 ▲我らを救い給え。

永遠の生命の保証なるキリストの御血▲我らを救い給え。

煉獄より霊魂を解放するキリストの御血▲我らを救い給え。

全ての栄えと誉れとにいともふさわしきキリストの御血 ▲我らを救い給え。

世の罪を除き給う天主の子羊 ▲主、我らを赦し給え。

世の罪を除き給う天主の子羊 ▲主、我らの祈りを聴きいれ給え。

世の罪を除き給う天主の子羊 ▲我らを憐れみ給え。

主よ御身は貴き御血によりて我らを罪よりあがない給い
▲我らをもって天主の王国をつくり給えり。

祈願

全能永遠なる天主、主は御独り子を世の贖い主となし、その御血を我らの罪 の代償と定め給いたれば、我らをして、救霊の代価なる御血をふさわしき心もて礼拝し、御血のみ力によりて、この世においては もろもろの悪よりのがれしめ、 天においては、御血の永遠の実りにあずかるを得しめ給わんことを、我らの主キリストによりて願い奉る。 アーメン。
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人の死について(四終):死とは 57/68

2017-07-23 | Pictureカテキズム
絵の説明

この絵には、死の有様が書いてある。
これによって、この世のはかなさと、来世の幸福が重大であることを、
よく理解するために、たびたび死のことを思い出さねばならないと、
わたしたちが教えられるのである。

この絵の中央には、カール5世の侍従であったフランシスコ・ボルジアが立っている。
そしてその前には、有名なイザベラ皇后の御死骸が置いてある。
皇后が崩御されて、フランシスコは埋葬地であるグラナダという都市へ
御死骸を送り奉ることとなった。
グラナダに着いてから、当時の例に従い、フランシスコは皇后の御死骸に相違ない
と保証するために、棺のふたを開けた。
ところが、以前は絶世の美人でおられた皇后も、今はすでに二目とみられない
醜い有様となっておられた。
そのうえ、御死骸からは、だれも辛抱できないほどの、臭気を放っていた。
フランシスコはこの有様をご覧になって、はじめて
この世のはかなさを悟り、
よく考えたうえで、辞職してイエズス会に入り、
後日、大聖人となられたのである。

この絵の上部の左右には、いたって壮健な男と女とが、鏡に向かって立っている。
そしてこの二人の頭上に「今日」と記してあり、鏡の中に現れてある死骸の傍には
「明日」と書いてある。
その理由は、今日どれほど壮健であっても、明日は死骸となる可能性があるから、
壮健な人の有様と、死骸の有様とを比較してみて、
この甚だしい違いのあることを、わたしたちに悟らせるためである。
そしてまた、死ぬときに、嫌でも応でも離れなければならない。
肉身上の利益よりも、死後永遠に続く霊魂上の利益を重んじさせるためである。

下部に書いてあるのは、墓地であって、ところどころに十字架もあれば、
石碑もあり、碑銘もあって、骸骨も見えている。
中央の十字架の下には、人間よ、汝は塵なれば塵に帰るべきを記憶せよ
との、聖書の金言が刻銘されている。
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七つの秘跡 (七つの秘跡の概要:洗礼について)

2017-07-16 | Pictureカテキズム
◎絵の説明

18
 この絵の中央にあるのは、御主イエズスがヨルダン川において、
洗者聖ヨハネから洗礼を受け給うところである。
御主が洗礼をうけ給うとき、天が開けて天主の聖霊が
鳩の形をして、御主の御頭の上に降った。
そのとき天から声があり、
「これはわが心にかなう我が愛子なり」 
と仰せられたことは、聖書(マタイ3-17)に記してある。
われわれも、この洗礼を受けるとき、はやり天主の愛子となり
聖霊は聖寵をもって我々の心にくだり、
我々が御主イエズスの兄弟となるのである。

19
絵の下部のほうは、司祭がこどもに洗礼を授けるところである。
天使のもたらした白衣は、霊魂を天主の聖意にかなわしめる
聖寵をあらわしたものである。

20
洗礼をうけて死ぬこどもは、ただちに天国にのぼる。
このことは、絵の上部の右の方に示してある。

21
洗礼は、救霊を得るに必要不可欠であるから
洗礼を受けない者は、自罪のないこどもでも、
天国にのぼることができない。
このことは、絵の上部の左方に、示してある。
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アヴェ・マリアの祈り 天使祝詞 56/68

2017-07-09 | Pictureカテキズム
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主の祈り 55/68

2017-07-02 | Pictureカテキズム
主祷文

◎絵の説明

1 この絵の題は、主祷文(主の祈り)
  すなわち、わが主イエズス・キリストが自ら作り、
  弟子等に教えてくださった祈祷である。

2 主祷文は、短い緒言と7つの願いがある。
  そして、その7つの願いのうちの最初の3つは、
  天主の御栄光に関係し、他の4つは、我等の霊魂と肉身との恵みに
  関係するものである。

3 主祷文の緒言は、「天にましますわれらの父よ」という言葉で、
  一番上の方にある天国の絵をもって示されてある。
  諸天使、諸天使等は、その中央に座し給う天主の御栄光を賛美しているのである。

4 主祷文に天主を指して、「われらの父よ」と申してある理由は、
  われらが、天主の子であるゆえに、愛情と信頼の心をもって
  祈らねばならぬということを、思い出させるためである。

5 そして、「天にまします」と申すのは、
  この父は天地の主であるから、われらが祈るときには、
  恭しくせねばならぬということを知らせるためである。

6 第一の願いは、「願わくは御名のとうとまれんことを」
  という言葉で、一般の人々が、天主を認め、奉仕するように願うのである。

7 この願いは、左の方に、聖ペトロが一人の病者に、
  「ナザレトのイエズス、キリストの御名によって、汝、起きて歩め」
  と申している有様をもって示してある。
  病者はこの言葉がおわるか終わらない間に立ち上がって歩き出した。
  これは、とりもなおさず、聖ペトロが、イエズス・キリストの御名の
  神聖と権力とをあらわして、天主の御名をあがめたのである。

8 第二の願いは、「御国の来たらんことを」ということであるが
  われらは、この言葉をもって、3つのことを願うのである。
  すなわち
  (1)天主がわれらの精神をつかさどってくださること
  (2)死後天国においてご自分の栄光をわれらに分け与えてくださること
  (3)すべての帝王と国民とが、天主とその御子イエズス・キリストに従うことを
  願うのである。

<続く>





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聖寵 20/68

2017-06-25 | Pictureカテキズム
絵の説明

絵の右上に、聖寵によく従った聖パウロのことが書いてある。
ある日、パウロ(この時、まだサウロという名であった)が
キリスト信者を捕えるために、ダマスコという町に往く途中、
天から
「サウロよ、サウロよ、どうして私を迫害するのか」
という声を聞いて、
「主よ、あなたは誰ですか」といったところ、
「わたしは、あなたが迫害しつつあるイエズスである」
と、天から仰せられた。
そのとき、サウロは大いに驚いて、
「主よ、わたしに何をさせようとお考えなのでしょうか?」
と、すぐに改心して答えたのである。
(使徒行録第9章)
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地獄の様子 19/68

2017-06-18 | Pictureカテキズム
この絵は地獄の様子を示したものである。
上段の方に、右から左へ7つの穴のようなものがあるのは、
怠惰、嫉妬、邪淫、傲慢、貪吝(たんりん:よく深くケチなこと)、とう食(大食い)、
憤怒(ふんど:いかり)の罪の源に例えたもので、
人を地獄に落とす者が多くこの罪の源によるということを示したものである。
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天国の様子 18/68

2017-06-11 | Pictureカテキズム
この絵は、天国の様子を示したものである。
中央は、三位一体の天主が栄光の座にましますところで、
その周囲には天使が徘徊し、
聖母マリアは諸聖人よりも上座に座して、
その御子であるイエズスの右に座っていらっしゃる。

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絵の説明(イエズスの変容)04/68

2017-06-04 | Pictureカテキズム
この絵は、イエズス・キリストの変容といって、イエズス・キリストが本当に御子であることを、父である天主が言い表した時の状況である。

イエズス・キリストは、ペトロとヤコボとヨハネの3人を伴って、タボル山に登られたが、たちまち彼らの前でお姿が変わった。つまり、お顔は太陽のように輝き、衣は雪のように白くなった。モイゼとエリアは右と左に分かれて現れ、イエズスとしきりに話されていた。
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絵の説明(天地創造)03/68

2017-05-28 | Pictureカテキズム
上の翁(おきな)は天主で、6つの輪は6たびの順を表している。

1番うえの輪は、光をつくり、

2番目の輪は、青空を作って、陸と海を分け、

3番目の輪は、すべての草木をつくり、

4番目の輪は、日・月・星をつくり、

5番目の輪は、空に飛ぶ鳥と、水中にすむ魚を作り、

6番目の輪は、すべての獣類、そして最後に2人の人間をつくられた順序をしめしたものである。
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婚姻 27/68

2017-05-21 | Pictureカテキズム
絵の説明

中央には、聖ヨゼフがイエルサレムの聖殿において、大司祭の前で聖マリアと婚姻を結ばれるところが書いてある。

聖ヨゼフが開いてあるユリの花の枝を右の手に持っておられる。その理由は次の通りである。

ある伝えによれば、聖マリアが適齢期の年齢になった時、大司祭が、聖マリアを妻にもらいたいと思うダビデ王の血筋の数人を呼び集めて、各々に枝の1本ずつを渡し、その枝に名前を書かせて、祈ったところ、聖ヨゼフの枝だけ葉が出て、ユリの花が咲いた。左の青年は、天主に選ばれなかったと憤って、自分の枝を折っている様子が書いてある。
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聖ジャニュアリウスの血が液状化しない

2017-02-22 | おしらせ
「シャザール神父様のひとこと」

ヨーロッパでは、聖ジャニュアリウスの血が液状化しないことが、
大きくニュースで取り上げられていましたが、
日本ではニュースになっていないようですね。
ぜひ、皆様にお知らせください。
イタリアのナポリでの出来事です。
カトリックの儀式の際、聖ジャニュアリウスの血は、
多くの場合液状化するのですが、平成28年12月、液状化しなかったのです。
聖ジャニュアリウスの血が液状化しない年は、不吉な出来事がおこりました。
この他、「バチカンから放たれた平和のシンボルの鳩」が、すぐに、
カラスに惨殺されたりしています。

ーーー以下ーーー英文記事の和訳(試訳)

「聖ジャニュアリウスの血が液状化しない」

この聖人の血が液状化しないことは、従来から、破壊的な出来事の勃発と関連がある
とされてきた。

聖ジャニュアリウスの血が、(儀式の際)予期されたときに液状化しなかったことで、
「これは何を意味するのか」という懸念の声が多数寄せられている。

聖ジャニュアリウスは、ローマ帝国時代のキリスト教殉教者。
ローマ皇帝ディオクレティアヌスのキリスト教徒迫害の際、西暦305年頃に殉教したと
されるイタリア、ナポリの司教。

聖ジャニュアリウスの血は、ナポリのカテドラル(司教座聖堂)内の、密閉された
ガラスの容器内に残されている。
通常の場合、年に3回、液状化する。
7月19日、12月16日、それから、5月の初めの日曜日の前の土曜日。

しかしながら、ナポリのカテドラルの大聖堂でのミサの際、金曜日の報告によると、
聖堂の修道院長である、モンシグノール=ヴィンセンゾ=グレゴリオは、聖人の血が
液状化しなかったことを明らかにした。

修道院長は、午後7時15分まで待っている間、信徒達に祈り続けることを頼んだ。
でも、修道院長ヴィンセンゾによると、「疑いなく固体」で遺物箱にしまわれた。

ミサが終わる前に、修道院長ヴィンセンゾは、
「わたしたちは、悲劇的なことや、大災難のことを考えるべきではありません。
 わたしたちは、信仰をもった者たちなのですから、祈り続けなければなりません」
と語った。

ナポリの人々が心配しているとおり、
血が液状化せず、固体であり続けたことは、不吉の前兆かもしれない。

聖人の血が液状化せず、固体であり続けたことは、過去に数度あった。
1980年に、液状化しなかった年は、地震がイタリアを襲った。
1973年に、液状化しなかった年は、ナポリでコレラの感染、流行となった。
1939年は、第二次世界大戦が勃発した年。
1940年は、イタリアが第二次世界大戦に参戦した年。
そして、1943年は、イタリアがナチスに占領された年。

(今回、液状化しなかった聖人の血であるが、前回は)
2015年3月に教皇がナポリを訪問され、参席した際は、部分的に液状化したという。

<以上、和訳(試訳)終了>

原文は、Blood of St Januarius fails to liquefy で検索してください
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エレイソンコメンツ 2016年9月24日号 美しいチーズ

2016-10-10 | エレイソンコメンツ
ちょうど1か月前、オーストラリアにおいてSSPX総長は、
ご自身の野望を生き生きと口述なさいました。

SSPXが、第二バチカン公会議派のバチカン高官に屈服する日が
差し迫っているということでした。
フェレー司教様の長いお説教の中で、ここに挙げるのは
いくつかの意義深い発言です。
発言は、要約されており、また、引用されています。
「イタリック体」


「・・・」
ローマは、私たちに、「新しい組織」を与えてくださるでしょう。
その組織のトップは、「ある一人の司教であり、教皇により選ばれるでしょう」
その司教は、SSPXの名を冠する3人の司教のうちから選ばれるでしょう。
彼は、司祭たちの上に権威をもつでしょう。
また、新組織に加入したいと願うすべての聖職者の上に立つでしょう。
また、新組織に属するすべてのカトリック信者の上にたつでしょう。
これらの者は、SSPX司祭たちから、結婚の秘跡を含むすべての秘跡を受ける、
絶対的な権利を有することとなるでしょう。
この司教は、学校を設立し、神学校を設立し、「司祭を」叙階し、
新しい修道院を設立していくことでしょう。
この組織は、ちょうど、小教区を超越したものであり、地元司教からの介入は
受けないでしょう。
他の言葉で言うと、信者にとっては、
「今後も、今までと何の変化もなく」ちょうどあなたが方がSSPXで受けてきた
ものを受け続けることとなるでしょう。
今後、今までとの違いは、
カトリックとして「公に認められる」ということです。
あなた方は、地元司教と衝突することを簡単に想像できるでしょう。
ですから私たちは用心深くせねばなりません。
しかしながら、今回の提案は、最上のものなのです。
これを、ワナだと考えるべきではありません。
「これはワナではありません。」このような提案をしてくださるのは、
私たちの繁栄を、バチカン高官が望んでくださっているからです。
カトリック教会の中で、伝統派を望み、カトリック教会の中で利益を得て、
カトリック伝統派が繁栄することを望んでいるのです。
このような提案が、敵から来ると考えるのは不可能です。
彼らが私たちを破壊する方法は数多くあります。でもこの方法は
敵の手段としてはあり得ない方法です。


ここで、ハイライトされた発言についてコメントをしてみました。

※「新組織」を公言することは、多分、SSPXは本質的に
ルフェーブル大司教様が設立された組織を放棄するということです。
ローマは、完全に新しい統一体を作り上げるのです。
さようなら、親愛なるSSPX。

※「教皇により選出されたひとりの司教」というのが非常に重要です。
そして、「新しい組織体」のトップは、多分、教皇が選出することと
なるおです。
これがどういう意味をもつのか、聖ペトロ会に聞いてごらんなさい。
1990年代、彼らは、強制的に、つまずかせられました。

※特記事項
 司教には、「司祭叙階」ができるのであって、司教祝別が除外されていることに
注目ください。
ローマは、SSPX新組織に対して、ムチ打ちを加えることになるでしょう。

※「SSPXは公認されるでしょう」
・・・しかし、まことのカトリックは、教会の破壊者である、ネオ近代主義者の
バチカン高官による公認が必要なのでしょうか。
そのような公認は、かえって悪い兆候であるはずです。

※「ワナじゃないか・・・・?」
この文節全体は、本当に特筆的です。このコメンツの著者(=ウィリアムソン司教様)
は、コメントするのに、
ミッキーマウスと彼の愛するパートナーであるミニーマウスにご登壇いただく
必要があると感じました。

ミッキー「ねえ君、ボクにはおいしそうなにおいがするんだけど、
     君にはおいしそうなチーズのにおいがしないかい?
     ほらごらん、ここにある!」

ミニー 「でも、ミッキー。それは、ネズミ捕りのワナよ。
     家主が、わたしたちを駆除するために仕掛けたものよ。
     わからないの?」

ミッキー「ワナのわけないよ! 
     もし誰かが、あんなに上等のチーズをボクたちにくれるとしたら、
     それは、その人たちがボクたちにチーズをあげたいと望んだからだよ。
     家主は、僕たちネズミが家の中で栄えて、利益を得て、繁栄するのを
     望んでいるのは明らかだよ。」

ミニー (嘆願的に)「ねえ、ミッキー。
     覚えてないの?
     何人もの従兄弟、従姉妹がこのようにして死んでいったわ。」

ミッキー「前回も言ったじゃないか。
     『ボクは、間違ったことなんてないんだ。』って。
     ボクの敵が、こんなにおいしいチーズを贈ってくるわけないじゃないか。
     ボクの敵が、ボクたちを滅ぼすためにそんな手段に出るなんて、
     ありえないよ。」

ミニー (深いため息)「私たちを撲滅させるのに、これ以上の手段はないわ!
     それに、友人たちや、親戚たちの多くが、あなたに追随するなんて?
     なんて高慢な男性の思い上がりでしょう。」


読者のみなさん、軽率なたとえをお許しください。
わたしたちは、本当にディズニーランドと取引をしている恐れがあるのです。

キリエ エレイソン
(主よ、あわれみたまえ)

リチャード=ウィリアムソン司教様


The tastier the bait put on the hook,
The more poor fish their foes for friends mistook.
In Australia just one month ago the Superior General of the Society of St Pius X painted a glowing picture of his – as he hopes – imminent subjection of the Society to the officials of Conciliar Rome. From a long discourse here are a few significant remarks he made, summarised or quoted in full (in italics):—
[ . . . ] Rome is offering us a new structure. At its head will be a bishop, chosen by the Pope from a list of three Society members, named by the Society. He will have authority over priests, over any religious wanting to join the new structure and over Catholics belonging to the new structure. These will have an absolute right to receive from Society priests all the sacraments, including marriage. This bishop will be able to set up schools and seminaries, to ordain ( priests ), to establish new religious Congregations. The structure will be like a super-diocese, independent of all local bishops. In other words, for you faithful, there will be no change from what you are already enjoying with the Society. The only difference will be that you will be officially recognized as Catholics.
You can easily imagine that there will be clashes with the local bishops. So we must be prudent, but as things stand you cannot imagine anything better than this offer, which is such that you cannot think it is a trap. It is not a trap , and if anyone makes us such an offer it can only be because he wishes us well . He wants Tradition to prosper and to flourish within the Church. It is impossible that such an offer could come from our enemies. They have many other ways to crush us, but not that way [ . . . ].
The remarks highlighted here in heavy print call for comment:—
* A “new structure” means presumably that Archbishop Lefebvre’s structure for the Society will, essentially, be abandoned. Rome is creating a completely new entity. Good-bye, dear SSPX.
* A “bishop chosen by the Pope” is extremely important. And the head of the “new structure” will presumably go on being chosen by the Pope. Ask the Fraternity of St Peter what that means. It meant in the 1990’s their own choice of Superior General being overridden by Rome, so that Rome’s own choice was forcibly installed (Fr. A. D.), to bring St Peter’s to heel.
* Note also how this bishop will be able “to ordain (priests)” but not bishops. Rome will thus retain the whip-hand over the new entity.
* “There will be no change”? But of course there will! Rome will henceforth be in control.
* “You will be officially recognized” – but what Catholic needs any recognition by such destroyers of the Church as her present neo-modernist officials? Any such recognition can only be a bad sign.
* “Not a trap . . .”? This whole paragraph is truly remarkable. The author of these “Comments” feels obliged to turn to Mickey Mouse and to his beloved partner, Minnie Mouse, for comment:—
Mickey: Darling, can you smell that delicious cheese that I can smell? Oh look, here it is!
Minnie: But Mickey, it’s a mousetrap, set by the owner of the house to get rid of us. Can’t you see that?
Mickey: It cannot be a trap! I tell you, if anyone offers us such good cheese, it can only be because he wishes us well. It’s clear that he wants us mice to prosper and flourish inside his house.
Minnie: (imploringly) Oh darling, can’t you remember how many of our cousins died this way?
Mickey: For the last time, I tell you – and I am never wrong – it is impossible for such delicious cheese to come from our enemies! They could never use that way to crush us.
Minnie: (with a deep sigh) There is no better way to crush us! And how many more of our friends and relatives are going to follow your lead? Oh, masculine pride!
Forgive the frivolity, dear readers – there is reason to fear we are dealing with a real Disneyland!
Kyrie eleison.
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