妙 宣 寺

和歌山市に在ります
日蓮宗のお寺です

小梅日記の川合小梅さんのお墓です。

2010年01月10日 | 日記
川合小梅さんは、徳川和歌山藩士川合鼎と妻辰子とのあいだに、文化元年(1804)12月23日、和歌山釘貫町2丁目の川合家で生まれました。

父の鼎は紀州藩学習館の助教で、向学の志強く京都に遊学しましたが、おしくも文化5年[1808]3月4日、31歳で病没してしまいました。

小梅さんは当時5歳で祖父の春川と母の辰子の養育を受けました。

小梅の祖父・春川は名を衡(こう)宇は丈平と称します。母の達子は本居太平の門人で、国学と和歌を学び特に和歌に精通していました。

小梅は16歳で梅所と結婚しました。梅所は、名を修、通称豹蔵と称し、春川の養子で紀州藩の儒者を務めました。

安政4年(1858)12月、学習館督学になり、40石を下されたが、明治4年(1871)12月、小梅は明治22年[1889]11月2日86歳の生涯を終え、妙宣寺に葬られております。

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