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Unknown
(
稲みのる
)
2007-03-17 20:45:18
「古事記」に、
「吾妻はや。」と詔りたまひき。故、その国を号けて阿豆麻(あづま)と謂ふ。 (岩波文庫版)
とあります。東国の語源です。「吾妻はや」は、今風に訳せば「オーマイゴッド」でしょうね。
「古事記」の須佐之男命が大蛇退治をする場面がありますが、その発端、須佐之男が出雲の斐伊川のほとりで、川上から流れてくる「箸」を見つけて、上流には人が住んでいるだろうと判断する場面があります。
以前から、何故箸が流れて来たのだろうと悩んでおります。毎日使う箸をうっかり流してしまったのか、それとも、現代の食堂みたいに当時にも使い捨ての割り箸でもあったのかな、第一、流れてくる木片を箸と判断出来るのかい、等々、箸一つの解釈に長年頭を痛めております。箸を見つけて、上流に人が住んでいると推測した須佐之男も大した洞察力と感心してしまいます。
ちなみに「日本書紀」の同じ場面では箸は出ていない。
Unknown
(
Bianca
)
2007-03-18 00:42:14
みのるさま、こんばんわ。
そうですか、「Oh My God!」の意味で、「妻」には大した意味は無い、と。何しろ、当時あの地方では、男女の距離について非常に神経質でしたので意識過剰だったみたいですね。
ところで、箸について、ネット検索して見ました。
「出雲竹材工業所」によると、スサノオが見つけたのは「竹を細く削って折り曲げたピンセットのような箸」だったそうです。「これは神様に食べ物をお供えしたり、神様とそれを食べたりする時に使うお箸だった」のだとあります。もっぱら神事用で、一度使えば捨てるものらしいです。箸の歴史、興味深いですね。
Unknown
(
稲みのる
)
2007-03-18 07:33:09
箸についてお調べ頂き、恐れ入ります。
成程さもありなん。積年の悩みが氷解しつつあります(未だ完全ではないのですが。書き手の発想自体に関心がありまして、ストーリー展開に箸は必要だったのでしょうか。日本書紀が箸を無視しているように、スサノオとクシナダ姫の出会いに箸の役目はないように感じているのです)。
Unknown
(
Bianca
)
2007-03-18 23:54:49
古事記と日本書紀の比較とか、実際の日本史との関係について考えるのは、難しそうですので、他の方にお任せして、古事記の詩や物語の面白い所だけを味わおうと思っています。
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「吾妻はや。」と詔りたまひき。故、その国を号けて阿豆麻(あづま)と謂ふ。 (岩波文庫版)
とあります。東国の語源です。「吾妻はや」は、今風に訳せば「オーマイゴッド」でしょうね。
「古事記」の須佐之男命が大蛇退治をする場面がありますが、その発端、須佐之男が出雲の斐伊川のほとりで、川上から流れてくる「箸」を見つけて、上流には人が住んでいるだろうと判断する場面があります。
以前から、何故箸が流れて来たのだろうと悩んでおります。毎日使う箸をうっかり流してしまったのか、それとも、現代の食堂みたいに当時にも使い捨ての割り箸でもあったのかな、第一、流れてくる木片を箸と判断出来るのかい、等々、箸一つの解釈に長年頭を痛めております。箸を見つけて、上流に人が住んでいると推測した須佐之男も大した洞察力と感心してしまいます。
ちなみに「日本書紀」の同じ場面では箸は出ていない。
そうですか、「Oh My God!」の意味で、「妻」には大した意味は無い、と。何しろ、当時あの地方では、男女の距離について非常に神経質でしたので意識過剰だったみたいですね。
ところで、箸について、ネット検索して見ました。
「出雲竹材工業所」によると、スサノオが見つけたのは「竹を細く削って折り曲げたピンセットのような箸」だったそうです。「これは神様に食べ物をお供えしたり、神様とそれを食べたりする時に使うお箸だった」のだとあります。もっぱら神事用で、一度使えば捨てるものらしいです。箸の歴史、興味深いですね。
成程さもありなん。積年の悩みが氷解しつつあります(未だ完全ではないのですが。書き手の発想自体に関心がありまして、ストーリー展開に箸は必要だったのでしょうか。日本書紀が箸を無視しているように、スサノオとクシナダ姫の出会いに箸の役目はないように感じているのです)。