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Unknown
(
おキヨ
)
2009-11-30 23:55:48
〔モンパルナスの灯〕遠い昔観ました。ジェラール・フィリップは上手くモジリアーニを表現していましたが、実際はもっと大ぶりな顔立ちの美男のようですよ。
夭逝したことで伝説の多い画家ですね。
ジャンヌ役のアヌーク・エーメは美しかったですね。
〔男と女〕はつい先日観ましたが、髪の間からのぞく横顔がいかにも女っぽいと思いました。
おキヨ様
(
Bianca
)
2009-12-02 00:25:33
コメント有難うございます。かれ元来イタリア人ですものね。フランス人の役者では無理かも。ジェラール・フィリップと握手した美少年好きの長沢セツが、彼の意外に分厚い掌にガッカリしたといっています。(手フェチだったらしい)「男と女」のエーメはすっかり女性らしくなっていますね。そこが人気の出た理由でしょうが、残念ながら私は未成熟が好み。ロリコン?
男娼
(
bakeneko
)
2019-09-20 02:17:07
『妻の肖像画』が売れたのは事実なので、セーヌ川にお金を投げ込んだのも事実なのでしょう.
そして、アメリカの富豪の話も、私は事実だと思います.
芸術とは人の心を、素直な心を描いたものである.
富豪との話で、彼はゴッホの話を、ゴッホが苦悩を描く話をしました.
彼の絵も、ゴッホと同様に苦悩を描いたものであったと仮定しましょう.その絵をアメリカの富豪は、化粧品のビンのラベルにすると言いました.
化粧品・・・・・
苦悩・・・・・
あなたはこの組み合わせから、何を連想されるでしょうか?.
『美しくなりたい』と言う願望・・・・・
アメリカの富豪は、彼の絵を化粧品のラベルにすれば、それを観た時、女性は『美しくなりたい』と言う願望を抱き、化粧品を買うことになる、と考えたのではないでしょうか.
モジリアニはピカソが羨むほどの才能の持ち主でした.ですからピカソが売れたのですから、彼の絵が売れないはずは無かったのです.
では、なぜ売れなかったかと言えば、世間一般的に言って、彼があまりにも酷い人間だったからに過ぎません.
彼は男娼で、結婚して子供が出来てからも愛人の所に入り浸っていたそうです.妻が貧乏のどん底であえいでいるのに、愛人の女と酒浸りの生活をしている、そんな人間の絵が売れるはずがありません.
ですから、彼が死んで時間が経って、皆の記憶から、彼の悪い評判が薄れて行くに従って、絵は売れ始めたのだと思われます.
アヌーク・エーメ
未熟な彼女がお望みでしたら『火の接吻』、(アンドレ・カイヤット 1949年)がきっと一番では.
17歳でしょうか、裸で泳ぐ彼女が観れます.
この映画の彼女は既におばさんの範疇で、ロリコンと言うには無理があるのでは.....
それはさておきカイヤットの作品は、『火の接吻』『眼には眼を』『裁きは終わりぬ』の3本しかDVDになっていないので、『裁きは終わりぬ』は、ぜひご覧になってください.
男娼のどこが悪い
(
Bianca
)
2019-09-23 12:11:35
イタリア人は男女を問わず自分の性的魅力を絶えず意識しみがいているということは文化人類学者の指摘でご存知だと思います。それに常日頃からあなたの荒っぽい言語感覚と倫理観が鼻につきます。
「男娼」と言うレッテルを張ることで芸術家の価値を無にするとはなんという感覚でしょうか。
アンドレ・カイヤットの「目には目を」は2年ほど前にツタヤに置いてありましたが、もう廃棄されたのかな。
絵とお金
(
bakeneko
)
2019-09-24 02:51:50
モジリアニとピカソは親友だったのですが、何かの拍子にピカソの絵が先に売れてしまったのでしょう.モジリアニはピカソを『金のために絵を描いている』と言って批判しました.
そして『俺は天才だ.だから俺の絵は誰にも理解できないから売れないのだ』と、自惚れることによって自分の絵が売れないことを正当化してしまったのだと思われます.
彼の絵がなぜ売れなかったかは、映画に端的に描かれています.個展を開きながら彼はお客の相手を全くせず、一人で酒を飲んでいました.更には、二日目は個展に来ることすらしませんでした.
こんなことで絵が売れるわけがありません.ピカソがお金のために絵を描いていたのかどうか、あるいはお客に媚びた絵を描いていたかどうかは知りませんが、ピカソだって初めはお客に頭を下げて絵を売ったはずです.誰だって初めはお客に頭を下げなくちゃ売れるはずがありません.
- 個展二日目 -
「売れたか?」
「数枚」
「知り合いにな」(一日目の客は知り合いばかり、悪く言えばサクラの客ばかりだった)
友人の画商と、陰険な画商のモレロの会話です.
個展一日目の客は、主に画廊の主人が集めたのでしょう、サクラの客ばかり.それが分っているので、モジリアニは客の相手を全くしなかった.二日目はサクラの客は来ない.....つまり、誰も客が来ないと考えたモジリアニは個展に来なかった.
『俺は天才だ.だから俺の絵は誰にも分らない』、こう考えてモジリアニはお客の相手をしなかったのです.けれどもこれでは絵が売れるはずは有りません.
一人でも、二人でも、誰か自分の絵が分る者が居るのではないか.....こう考えて親切にお客の相手をしなければ、絵が売れはしないのです.
- 絵とお金 -
モジリアニがお金ね汚い人間だったのはよく知られています.
『妻の肖像画』を売ったお金を、彼はセーヌ川に投げ込んでしまった.
だから、彼はお金のために絵を描いているのでは無かった.....本当でしょうか?
友人の画商が、アメリカの富豪が絵を買いたがっていると言う話を持ってきた.
「どうせ、二足三文で買いたたく気だろう」
.....彼は絵を安く売る気はなかった.
.....少しでも高く売ろうと考えていた.
---------------------------------------
絵とお金は書きました.では、女とお金はどうだったのか?.
「寝た後は雄弁ね」、ベアトリスがこう言うとモジリアニはベアトリスが気絶するほど殴りつけました.
なぜですか?.
破壊無くして創造無し.アメリカの富豪に会いに行った帰り、エレベータでベアトリスと乗り合わせるのは、ジャック・ベッケルの創造のはず.(史実ではありません)
以下、ベアトリスの話.
「個展では、私の裸婦画で散々だったわね」
「良い身体してたでしょ」(モジリアニに)
「あなたにも見せたかったわ」(ベアトリスの婚約者に)
「良い身体してたでしょ」と、モジリアニがベアトリスを気絶するほど殴りつけたのは、関連があるのです.
Unknown
(
Bianca
)
2019-09-25 10:49:26
深夜に書いたものは、翌朝読み直すと、過剰なところ、足りない所が目に付いて、殆どものにならないと言うことはよくあることですよね。あなたはどうして午前2時ごろにだしているのでしょうか?もしかすると昼夜逆転の生活をしておられるか?
ところでロリコンとは弾みで言っただけで、アヌーク・エーメには全然ふさわしくない、おっしゃる通りです。もともとあの「女の色香」を世間がもてはやすのが全く理解できない私が、たまたま若かりしころのこの映画では「まだましだわ」と言う程度だったのを、ついああ表現してしまったのですね。嫌いなものに会えて近づくのは危険ということでしょうね。あなたもモジリアニが嫌いなんじゃありませんか。
映画はほとんどが脚本家と監督の創作と考えていいのじゃないでしょうか?
男娼はどこに行ったのか?
私も「あらゆる女は娼婦である」と言われている女性の一員でありますから、男娼その仲間であると思えば一概にけなせないのです。
おかねに汚いということは、大抵は(生まれ、育ちや現在の苦境)からそうなるので、人間として最大の欠点だとは思いません。むしろ、動機としては分かりやすいのではないでしょうか?むしろ付き合いやすい人種だと思いますよ。
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夭逝したことで伝説の多い画家ですね。
ジャンヌ役のアヌーク・エーメは美しかったですね。
〔男と女〕はつい先日観ましたが、髪の間からのぞく横顔がいかにも女っぽいと思いました。
そして、アメリカの富豪の話も、私は事実だと思います.
芸術とは人の心を、素直な心を描いたものである.
富豪との話で、彼はゴッホの話を、ゴッホが苦悩を描く話をしました.
彼の絵も、ゴッホと同様に苦悩を描いたものであったと仮定しましょう.その絵をアメリカの富豪は、化粧品のビンのラベルにすると言いました.
化粧品・・・・・
苦悩・・・・・
あなたはこの組み合わせから、何を連想されるでしょうか?.
『美しくなりたい』と言う願望・・・・・
アメリカの富豪は、彼の絵を化粧品のラベルにすれば、それを観た時、女性は『美しくなりたい』と言う願望を抱き、化粧品を買うことになる、と考えたのではないでしょうか.
モジリアニはピカソが羨むほどの才能の持ち主でした.ですからピカソが売れたのですから、彼の絵が売れないはずは無かったのです.
では、なぜ売れなかったかと言えば、世間一般的に言って、彼があまりにも酷い人間だったからに過ぎません.
彼は男娼で、結婚して子供が出来てからも愛人の所に入り浸っていたそうです.妻が貧乏のどん底であえいでいるのに、愛人の女と酒浸りの生活をしている、そんな人間の絵が売れるはずがありません.
ですから、彼が死んで時間が経って、皆の記憶から、彼の悪い評判が薄れて行くに従って、絵は売れ始めたのだと思われます.
アヌーク・エーメ
未熟な彼女がお望みでしたら『火の接吻』、(アンドレ・カイヤット 1949年)がきっと一番では.
17歳でしょうか、裸で泳ぐ彼女が観れます.
この映画の彼女は既におばさんの範疇で、ロリコンと言うには無理があるのでは.....
それはさておきカイヤットの作品は、『火の接吻』『眼には眼を』『裁きは終わりぬ』の3本しかDVDになっていないので、『裁きは終わりぬ』は、ぜひご覧になってください.
「男娼」と言うレッテルを張ることで芸術家の価値を無にするとはなんという感覚でしょうか。
アンドレ・カイヤットの「目には目を」は2年ほど前にツタヤに置いてありましたが、もう廃棄されたのかな。
そして『俺は天才だ.だから俺の絵は誰にも理解できないから売れないのだ』と、自惚れることによって自分の絵が売れないことを正当化してしまったのだと思われます.
彼の絵がなぜ売れなかったかは、映画に端的に描かれています.個展を開きながら彼はお客の相手を全くせず、一人で酒を飲んでいました.更には、二日目は個展に来ることすらしませんでした.
こんなことで絵が売れるわけがありません.ピカソがお金のために絵を描いていたのかどうか、あるいはお客に媚びた絵を描いていたかどうかは知りませんが、ピカソだって初めはお客に頭を下げて絵を売ったはずです.誰だって初めはお客に頭を下げなくちゃ売れるはずがありません.
- 個展二日目 -
「売れたか?」
「数枚」
「知り合いにな」(一日目の客は知り合いばかり、悪く言えばサクラの客ばかりだった)
友人の画商と、陰険な画商のモレロの会話です.
個展一日目の客は、主に画廊の主人が集めたのでしょう、サクラの客ばかり.それが分っているので、モジリアニは客の相手を全くしなかった.二日目はサクラの客は来ない.....つまり、誰も客が来ないと考えたモジリアニは個展に来なかった.
『俺は天才だ.だから俺の絵は誰にも分らない』、こう考えてモジリアニはお客の相手をしなかったのです.けれどもこれでは絵が売れるはずは有りません.
一人でも、二人でも、誰か自分の絵が分る者が居るのではないか.....こう考えて親切にお客の相手をしなければ、絵が売れはしないのです.
- 絵とお金 -
モジリアニがお金ね汚い人間だったのはよく知られています.
『妻の肖像画』を売ったお金を、彼はセーヌ川に投げ込んでしまった.
だから、彼はお金のために絵を描いているのでは無かった.....本当でしょうか?
友人の画商が、アメリカの富豪が絵を買いたがっていると言う話を持ってきた.
「どうせ、二足三文で買いたたく気だろう」
.....彼は絵を安く売る気はなかった.
.....少しでも高く売ろうと考えていた.
---------------------------------------
絵とお金は書きました.では、女とお金はどうだったのか?.
「寝た後は雄弁ね」、ベアトリスがこう言うとモジリアニはベアトリスが気絶するほど殴りつけました.
なぜですか?.
破壊無くして創造無し.アメリカの富豪に会いに行った帰り、エレベータでベアトリスと乗り合わせるのは、ジャック・ベッケルの創造のはず.(史実ではありません)
以下、ベアトリスの話.
「個展では、私の裸婦画で散々だったわね」
「良い身体してたでしょ」(モジリアニに)
「あなたにも見せたかったわ」(ベアトリスの婚約者に)
「良い身体してたでしょ」と、モジリアニがベアトリスを気絶するほど殴りつけたのは、関連があるのです.
ところでロリコンとは弾みで言っただけで、アヌーク・エーメには全然ふさわしくない、おっしゃる通りです。もともとあの「女の色香」を世間がもてはやすのが全く理解できない私が、たまたま若かりしころのこの映画では「まだましだわ」と言う程度だったのを、ついああ表現してしまったのですね。嫌いなものに会えて近づくのは危険ということでしょうね。あなたもモジリアニが嫌いなんじゃありませんか。
映画はほとんどが脚本家と監督の創作と考えていいのじゃないでしょうか?
男娼はどこに行ったのか?
私も「あらゆる女は娼婦である」と言われている女性の一員でありますから、男娼その仲間であると思えば一概にけなせないのです。
おかねに汚いということは、大抵は(生まれ、育ちや現在の苦境)からそうなるので、人間として最大の欠点だとは思いません。むしろ、動機としては分かりやすいのではないでしょうか?むしろ付き合いやすい人種だと思いますよ。