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Unknown (桃すけ)
2013-09-26 16:51:39
少年H、映画観ました。妹2人を連れて。言葉に少しひっかかりましたが、神戸弁はあういうものかもわかりません。本も読んでいたし、河童さんの本はかなり読みました。私の父が河童さんみたいな人で、私はまったく似ていませんが。「少年Hと少年A」も読みました。野坂の大ファンです。昭和5年生まれの人が好きで、この年生まれの人を探していました。見つけたんですよ。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2013-09-28 11:22:12
桃すけ様 コメント有難うございます。しばらく留守にしていたので、返事が遅れてごめんなさい。
河童の映画も本もずいぶん御覧になっているんですね。映画の方言は、地元の人が見ると引っかかるものですが、やはりそうでしたか。私はあまり気になりませんでしたが、現に、一日中関西弁のシャワーを浴びている貴女としてはやはりそうでしょうね。妹さん方もでしょうか?
昭和5年(1930年)生まれの人って結構多いですね。クリント・イーストウッド、佐藤忠男、黒木和雄も……。野坂によると、前後の世代とはまるで経験が違うそうですね。身近にもいらっしゃるのですか?
 
 
 
少年H (桃すけ)
2013-09-28 16:41:54
映画の中の関西弁、比較的じょうずだったと思いますが、
やはり、少しね。ランちゃんの方がじょうずでした。でも、映画の内容は上質のものだったと思います。焼夷弾で家が焼かれる場面で、「くやしい」と思ったんですよ。大阪でも空襲があって、焼夷弾の中を赤ちゃんの私を抱いて逃げたという、母の言葉を思い出して。
昭和5年生まれというと、終戦時15歳の少年です。15歳でその洗礼を受けた人独特の感性があるように思って、関心があります。私の会社のオーナーがそうでした。ある種の魅力があるんですね。クリント・イーストウッドは、ローハイドのときファンになりました。大好きです。
高倉健も勝新もそうですね。ファンというわけではありませんが・・。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2013-09-29 22:17:37
桃すけ様
私もあなたも、零歳のときに空襲を経験しているんですね。それでも宮崎は遠くだったのですが、焼夷弾の中を赤ちゃんを抱いて逃げ惑うとはひどい経験だったでしょうね。しかし「くやしい」とは米軍に対して思ったのですか?私はこの時代の被災者を見ると、戦争をいつやめるかという判断もできず、決断力もない日本の支配者に対して一番腹が立ち、別に米軍には何とも思わないのですが。ところでその年生まれは勝新や健さんもですか、たしかにどこか一味違いますね。あなたのしばしば話題に上るそのお方もそうなんですね。なーるほど!!
 
 
 
Unknown (桃すけ)
2013-10-01 13:25:09
何に対して「くやしい」と思ったのか、自分でもわからないんです。初めは、「アメリカ」に対して、だったように思います。でも、それだけではないようにも思います。
「ひどいやないの!」と感じたのは事実で、それは、戦争そのものにだったのかもわかりません。
 
 
 
Unknown (Bianca)
2013-10-02 07:58:32
「くやしい」とい感情が私の場合ないのです。勝ちっ放しというわけじゃなくて、負けたらすぐに相手は偉いんだなあと思ってしまいます。運動会で5等以内に入れなくてもそうでした。ただ、タリバンが世界遺跡にしたような、貴重なものが失われることに対しては「おしい」「もったいない」とは感じますけどね。
 
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