政治家に物申したい。政治家も立派な職業、そのことについての文句はない。ただ、政治家は偉いと勘違いしてもらっては困る。政治は人間がするもの。そこには必ず情がなければならない。その情を忘れた政治家がいかに多くなったか、そこのところが我慢ならないのである。
一つの例を挙げてみる。いま、貧困の女性が増えている。話に聞くと20歳代から60歳代の女性で、3人に1人が貧困状態にあるという。もちろん貧困生活をするに至ったのにはそれなりの理由がある。母親や父親からDVを受け、家を飛び出した者。あるいは連帯保証人になって止むおえず借金を抱えることとなり、一家がばらばらになった。(自分が遊びや贅沢をするために借金を重ねて破綻した人間については、まったく同情できないし、同情する必要もないが……)こうした女性難民とい
うか、貧困者が確実に増えている。さらには、こうした人たちは、友人宅を泊まり歩いたり、野宿をしてみたり、ネットカフェで過ごしたり、いわゆるホームレス化しているのである。こうした女性は、いくら働きたくても住所が定まっていないということで、まともな職に就きたくても就けない。ブラック企業の餌食になり泣き寝入りすることも多いという。もちろん東京都が、安いアパートに住まわせて、介護などの技能を身につけさせ、新たな出発をすべくてを差し伸べている部分はある。だ
が、それはほんの一部に過ぎない。多くの人はまったく恩恵を受けていないのである。
また、保育所の問題、待機児童の問題も深刻である。ところが政治家がこうした問題に親身になって動くことはない。なぜか、ずばり「票」にならないからである。政治家は社会福祉の問題についての話はするが、それは市民に対して耳障りのいいこ
とを言わなければならないと思っている。だが、実際に貧乏人のためにどれほど動いているかとなると、話しは聞くがその場かぎり。時間を割くこと自体馬鹿馬鹿しいとさえ思っているのが現実である。政治家が高給を取っているのを批判するつもりはない。ただし、それなりの仕事をしているかである。政務活動費など、なんに使っても構わない。領収書も不要。こんなことを未だに続けている。本当に貧乏人のことを考え、待機児童などのことを考えるなら、何をおいてもやるべきだし、資金は
無駄を省き、捻出するくらいの知恵は出してほしいものである。
「政治家は金が儲かる」今の多くの政治化の本心はここにあるのではないかと疑いたくもなる。 ではまた。
一口メモ……誰でも言うだけならできる。実行が伴わなければ何もしていないのと同じである。
一つの例を挙げてみる。いま、貧困の女性が増えている。話に聞くと20歳代から60歳代の女性で、3人に1人が貧困状態にあるという。もちろん貧困生活をするに至ったのにはそれなりの理由がある。母親や父親からDVを受け、家を飛び出した者。あるいは連帯保証人になって止むおえず借金を抱えることとなり、一家がばらばらになった。(自分が遊びや贅沢をするために借金を重ねて破綻した人間については、まったく同情できないし、同情する必要もないが……)こうした女性難民とい
うか、貧困者が確実に増えている。さらには、こうした人たちは、友人宅を泊まり歩いたり、野宿をしてみたり、ネットカフェで過ごしたり、いわゆるホームレス化しているのである。こうした女性は、いくら働きたくても住所が定まっていないということで、まともな職に就きたくても就けない。ブラック企業の餌食になり泣き寝入りすることも多いという。もちろん東京都が、安いアパートに住まわせて、介護などの技能を身につけさせ、新たな出発をすべくてを差し伸べている部分はある。だ
が、それはほんの一部に過ぎない。多くの人はまったく恩恵を受けていないのである。
また、保育所の問題、待機児童の問題も深刻である。ところが政治家がこうした問題に親身になって動くことはない。なぜか、ずばり「票」にならないからである。政治家は社会福祉の問題についての話はするが、それは市民に対して耳障りのいいこ
とを言わなければならないと思っている。だが、実際に貧乏人のためにどれほど動いているかとなると、話しは聞くがその場かぎり。時間を割くこと自体馬鹿馬鹿しいとさえ思っているのが現実である。政治家が高給を取っているのを批判するつもりはない。ただし、それなりの仕事をしているかである。政務活動費など、なんに使っても構わない。領収書も不要。こんなことを未だに続けている。本当に貧乏人のことを考え、待機児童などのことを考えるなら、何をおいてもやるべきだし、資金は
無駄を省き、捻出するくらいの知恵は出してほしいものである。
「政治家は金が儲かる」今の多くの政治化の本心はここにあるのではないかと疑いたくもなる。 ではまた。
一口メモ……誰でも言うだけならできる。実行が伴わなければ何もしていないのと同じである。