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注意!食べられません~お金の話し~

2010-10-11 11:27:24 | うらちゅう
今の日本では、ほとんどの人が自分の食べるものを自分で作らずに「お金」で買っています。
あまりに誰もがそうで当たり前になっていてそのことに疑問を持つ人は滅多にいません。

ではなぜ、ただの紙切れに価値が付き、食べ物やいろんなものが買えるのでしょうか?

その「無」から「有」を生み出すお金のしくみの事を業界用語で「信用創造」と言います。
読んで字のごとく、お金とは「信用」によって「創造」されるのです。
お金による売買とは、例えば日本銀行発行の一万円札が日本国内でなら場所や時間を問わず同じ価値のもとで使えるというお互いの「信用」のもとで成り立つ取引なのです。

つまり、お金とは実体の無い、人の心の中にのみ存在するものなのです。

なぜ、誰もがお金の価値を疑うことがないのかと言えば、それはただ単に「お金の価値が急激に変わることなんてあるわけない」と思いこんでいるからです。
それでは、過去の歴史の中でお金の価値が突然変化するということがどれくらいあったのでしょうか?

国家破産の例で言うと、1982年メキシコ、1997年 韓国、1999年 ソビエト連邦、2001年 アルゼンチン、などなど。
他にも、第一次大戦に負けたドイツが賠償金を支払うために大量の紙幣を刷り、パンを買うのにトラックに紙幣を積んでいた写真を教科書で見たのを覚えているかと思います。
そして、日本でもつい六十数年前、太平洋戦争に負けた時に、新円との切り替えが行われ、それまでの紙幣は紙くず同然となりました。

このように、国の自己破産や、預金封鎖や、紙幣の切り替えというのは、意外にもごく現実的に繰り返し起きてきた事なのです。
そして今の日本の状況は、繰り返しニュースでも伝えられているとおりです。

ただ、破産したからと言って何かがどうかなればちゃんと何かがどうにかなるように出来ているのでそれほど心配することは無いと思いますが。
少なくともお金の価値、お金と言うものが、架空のものであることは知っておいて損はないと思います。
いざという時、お金は食べることが出来ないのですから!


業務連絡

2010-08-25 01:12:08 | うらちゅう
現在管理人は引っ越し作業の真っ最中でして、なかなかこちらのブログの更新をすることができません(気づけば前の記事が一か月前…!(+_+)。
落ち着きましたら必ず続きを書きますので、今しばらくお待ちくださいませm(__)m




画像は最近知人に借りた本で、通勤の間の時間などを利用してコツコツ読んでます。
とても勉強になるし、僕の秘めた気持ちを堂々と書いてくれててスッキリします。
「偶然の一致」に何かを感じている方は是非是非!

僕の半生

2010-07-25 23:25:35 | うらちゅう

僕は今年で29歳になりますが、その29年間はさながらひとつの「答え」を探すための旅のようなものでした。
そしてそのずっと探していた「答え」とは、庭先の青い鳥のように、もともと自分の中に持っていてただ気づくことができないでいた、一番あたりまえなことでした。
では、そんな僕の答えに至る道のりを簡単に振り返ってみようと思います。


1.「なぜ?なぜ?」の幼小時代

誰もがそうだったように、僕の幼年期も「何故?何故?」と何に対しても疑問を持つ子供でした。
ただ、前述したように、僕の両親は僕の些細な疑問を相手にしなかったり、見つけた不思議な法則を「そんなの気のせいだ」とか「ただの偶然だ」とか言う両親ではなく、むしろ褒めてくれるような『子供の感覚』を大切にする両親でした。

だから僕は、周りの友人たちが常識の中で「大人」へとなっていく間にも、先入観の無い目のままでいれたし、「なぜ?なぜ?」の気持ちを持ち続けたまま成長することができました。

ちなみに、当時の僕が発見した不思議な法則に「シンクロニシティ(共時性)=偶然とは思えない偶然」という名前がついていたということを、最近母が手紙で知らせてくれました。


つづく…

豊かさのツケと増税

2010-07-10 17:50:49 | うらちゅう

他に書き途中の記事があるのですが、なかなかまとまらないうちに衆議院選挙が明日へと迫ってきましたので、先にこちらを書きます。

なぜ増税なのか、日本の借金とは何なのか、そもそも日本の財政の内訳ってどうなってるんだ?という疑問に、財務省のホームページで解りやすく説明していたのでご紹介します。
ただ、財務省というか国の公表しているデータなのであまり信用はしておりませんが(^_^;)

財務省ホームページより
・「日本の財政を考える」http://www.mof.go.jp/zaisei/index.htm
・動画「わが国の財政について」http://www.mof.go.jp/zaisei/con_09.html

もしここで公表しているようなことがおおむね事実であるならば、財政赤字を無くすには、税収を増やすか、社会保障(年金や健康保険保障など)を削るか、その両方をしてもまだ足りないくらいの異常事態にあることがわかります。
「国の借金」とは「国債」のことです。国債を国民や銀行に売り、税収だけで足りない分を補っていたわけなのですが、国債は借金ですので、当然いつか返さなければならないだけでなく「利息」が発生します。
そしてその利息を払うためにまた国債を売って、増えた借金を返すためにまた売って…という繰り返しの中で、日本の借金は世界でも群を抜いてぶっちぎりのナンバー1になってしまいました。
借金が雪だるま式に膨れ上がった人の末路は…。

「経済大国ニッポン」という栄光は「借金大国ニッポン」という闇とのバランスによって成り立っていたのです。

そんなバカバカしいことがなぜ起きてしまうのか、政府は何をやってきたんだ!と思うでしょうが、例えば個人レベルでみても、便利な暮らしが確実に環境破壊に繋がっているとわかっていても、なかなかそれをやめることはできないものです。
事実、経済や政治にちゃんと関心を持って接していれば、十年以上もずっと前から専門家からは絶えず警告があり、いつでもそのことに気づくことはできたのです。(その他の要因はここでは置いておいて)

僕らが見ていた「豊かさ」とは、借金に借金を重ねることで掴んでいた夢みたいなもので、その先送りにしていた借金のツケをそろそろ払わなければいけないようです。

以上のことから、破綻するにせよしないにせよ、来る超高齢化社会にむけて、増税と年金や社会保障の削減はまず免れられなさそうです。

僕はなるべくお金に頼らない生き方にシフトしていくつもりです。
衣食住をなるべく自分の手元に近いところでまかなえるように自給自足の研究をして、東洋医学の考え方を取り入れて、病気になりにくいバランスの取れた体づくりで、生涯現役を目指します。
「健康長寿大国ニッポン」になるとよいですね。

失うものがあるとき、得るものもまた同じようにあることを知っている人はお得なのです。

はじめに~旅の扉

2010-07-01 03:40:10 | うらちゅう

「宇宙からの帰還」立花隆、「世界一受けたい脳科学の授業」茂木健一郎(監修)富永裕久(著)、「日銀~円の王権」吉田祐二、「冒険手帳~火の起こし方からイカダの組み方まで」谷川尚規、「世界の宗教と信仰~八つの型と共存への道」加藤智見、「ヒンドゥー教の本~インド神話が語る宇宙的覚醒への道」学研ブックス、「脳内革命」春山茂雄、「『超能力』から『能力』へ~宇宙的な未知の力を身近なソフトウェアに」村上龍&山岸隆、「聖書~新共同訳」、「仏教経典散策」中村元(編集)、「アトランティスの叡智」ゲリー・ボーネル(著)よしもとばなな(序文)、「正統カバラ・タロット占術」斉藤啓一(著)安久津和巳(絵)、「実践カバラ~自己探求の旅」大沼忠弘。

突然ですが、こんな感じの本が、今、僕のパソコンの横に積み重なっています。

上に挙げた文献のなかには非常に「胡散臭い」と思われるであろうものがたくさん含まれています。もし僕のことを知らない人がこれだけ見たら、僕のことを胡散臭いオカルト好きな人間に思うかもしれません。
事実、昔からUFOや超能力なんかのことも大好きではあったけど、それは多くの大好きなものの中の一つで、「(真偽は)どちらでもいい」といった接し方でしかありませんでした。
だけど、あることに気がついてから、僕はそういったオカルト、超常と呼ばれる現象が事実存在するのだということを、理屈で解ってしまったのです。

ただ、解ったからと言って、やはり僕にとって「どちらでもいい」ことであるのには変わりがありません。
後で述べる理由によって、僕にとってのこの世界はいつでも100%完璧で、これ以上望むものなんて何もないのです。

だから、このブログの中で、何かに対して一時的に否定的、批判的な書き方をする箇所もあるかもしれませんが、それはただ部分部分の見解であって、全体としては「肯定」の立場でいることを先にお伝えしておきます。

では、そのことをお伝えするのに、表ブログで書いたものを引用させていただきます。

===========表世界より引用===============

以前に少し書きましたが、僕にはある時点からずっと探していた「答え」があって、それに最近やっと気付くことができました。

それで、そのことに気づいてしまってからは、それまでとは物の見方、考え方、価値観などが全く変わってしまって、世間とのギャップが生まれてしまって、少し戸惑っています。

何からどのように話せば、みんながびっくりすることなく自分の考え方を自然に受け入れてもらえるのか。
特に今は、行動よりも言葉ばかりが先行してしまい、もどかしい気持ちです。

かと言って何も話さなければ、急に農業やるって言い出したり、何やらあやしげなことを言い出したりして、一体どうしたんだろう?何か宗教にでも入ったのだろうか?よっぽど悲しいことがあって、気が違ってしまったのだろうか?とか、余計なご心配をおかけするのもアレですので、簡単に解説してみようかと思います。

それで、いろいろと自由に書けるように、新しく裏ブログを開設することにしました。
僕の今までの人生がどんなで、何を考えて生きてきたのか、どのようにして「気づき」に至ったのか、あと、気づいて解ったこととか、まあ、どうでもよいことやら何やらをゆっくり綴っていこうかと思っております。
ご興味ございましたら、たまに覗きにいらしてくださいませ。

さて、それで一体何に気づいたの?ってことなんですが、ええと、まあ単純に言うと「すべてはひとつだったんだ!」っていう、一番あたりまえなことに気づいて、それに繋がっていろいろと「あらゆるものはもともと無かったんだ!心でつくっているだけなんだ!」ということ等などに気づいたわけなんです。

例えば身近なものでいうと、お金とか経済とかって、もともと「無い」ものを大人たちが「有る」ことにして活用しているわけなんです。
同じように国境とか人種とか、政治とか宗教とか、善とか悪とか、幸とか不幸とか、豊かさとか貧しさとか、恨みとか憎しみだとか、あらゆるものがことごとく心が作りだす幻なんです。

っていうのは、それらの存在を否定したいわけではなくって、もともと無いものなんだから、そんなもののために争ったり、奪い合ったり、思い悩んだり、ましてや殺したり、自殺したりなんてのは無意味なことなんじゃないかなー、と普通に思うわけなんです。
無意味なものに勝手に意味をつけて右往左往するのは、人類の演じるとんだ茶番なわけなんです。

「悟り」っていうのは「悟り」なんていういかめしい仏教用語を使うから日常から離れていってしまうのであって、ようは「気づく」ことなんです。

あらゆる知識常識の着物、飾り物をぬぐい去って、生まれた瞬間の何も知らなかった自分、ただ単に宇宙の一点でしかない自分に気づき、思い出すことなんです。

人は生まれて目が開いたその瞬間から、知識を得ていくごとにひたすら心の目が閉じていくのです。
その点で「子供の感覚」を大切にして、それを大人の常識で否定してしまおうとしなかった僕の両親が、今のような僕を育ててくれたと言えると思います。
子供は大人が知っているのと同じように、大人の知らないことを知っているのです。

以下は、僕の中に自然発生的に生まれた、この宇宙のしくみを3つの法則で表したもので、「調和の三原則」とか「デクノボー三原則」とかって呼んでいます。

1.等価交換

何かを得るときには、必ずそれと同等の何かを失う。
何かを失うときには、必ずそれと同等の何かを得る。

2.陰陽一元

あらゆるひとつのものは、その中に陰と陽の二つの要素を持ち、また、陰の中にも陽の要素が含まれ、陽の中にも陰の要素が含まれる。*添付画像「対極図」


3.すべては一つ

あらゆる個別のものは大きな一つの中の部分部分に過ぎない。
これにより、あらゆる個別のものは同時に一つでもある。


詳しくはまた表か裏のブログで解説するかもしれませんが、ようはあらゆることはもともと無意味で「ただ起きているだけ」なのです。そして全く無駄がないのです。
そして、もともと無意味だからこそ

「人間は起きた出来事に、自分だけの意味をつける自由がある」カール・ユング

ということになるのです。

だから、この世の無意味さを真に知ることは虚無感へとつながっているのではなく、むしろ限りなく自由で、無限の可能性を秘めた自分を知ることであり、すべてが赦されている広大な宇宙という神様のふところに生きていることを知ることでもあります。

かくして僕は、この宇宙はもともと完璧で、無償の愛によって常に満たされているということを知ったのです。

苦楽を超えて、善悪を超えて、自分と他人とを超えて、生と死とを超えて、あらゆる境界線の無いすべてがひとつの世界。

楽園なんて意外と身近にあるものですね。

=====================

最初に挙げた本は、今たまたま置いてある本で、他にも漢方、東洋医学のことも知りたいし、占星術や錬金術、人類の歴史のことも、量子力学や、遺伝子のことについても、とにかくなんでも知りたいです。

だからこれは、宇宙の一点であると同時に宇宙全体でもある「僕」という存在と、真に向き合うべく歩み出す、壮大で気楽な旅への散歩です。

あるいはここに書くことが、単に僕自身の知識欲を満たすだけのものになったり、暴走してしまったりということのないように、皆さんの「目」というお力添えを、何卒よろしくお願い致します。

うらちゅう散歩へようこそ!!