たらったら♪生活

10年前の子宮頸がん2b放射線単独療法経験日記

一難去ってまた一難

2006-01-17 | もう1つのがん(病気)日記

私が何事もなく1年が過ぎて家族と世話好きな叔母達も
ひと安心し出した05年の春、体調不良が続きの叔母が
病院へ行った。極度の貧血ということがわかり即、輸血を
受けた。付き添って行った母にいきなり医師が、がん末期
で余命3ヶ月と告げた。病院へ行って1時間やそこらで
思いもしなかった突然の酷知だった。(いきなりの残酷な
告知を酷知という。)

叔母は糖尿病と高血圧を患っていたが食事や運動に
その分、気をつけていたから何も心配はなかった。
痩せてきたことに本人は少し気にしていたが
何より食欲はあったから心配はしていなかった。

胃と肝臓、すい臓にがんが見つかった。
もう治療として出来ることは何もないそうだ。
医師から緩和ケアの出来る病院への転院を
やんわりと提案される。

昔から胃は痛かったらしい。病院へ行く少し前に黒い
便に気づいたようだが(黒い便は胃などの出血を意味
する)特別、自覚症状はなかったらしい。ただ体は
しばらくしてとても痩せていることにパジャマ姿を見て
私達は気づく。

私が、がんデビューしたことで家族や叔母達それぞれは
「自分のがんの可能性」ということをみな考えてはいたが
誰も「いつかは」と考えても「今日、見つかる」とは
思わない。私自身、頭では2人に1人はがんになると
知っていても、まさか私に続いて叔母に見つかるなんて。
しかも、いきなりのまるで映画やドラマのような
3ヵ月という余命の末期だとは。

がんは静かに体の中で正常細胞と共存して育っている。
治療可能な時点で自覚症状が出る場合と特に症状も
現さず、自爆装置のスイッチが入ってカウントが
始まっていて手遅れで見つかる場合と。

子宮頸がんは最初、婦人科で細胞診を受け一週間ほど
「がんなんだろうか、まさか。筋腫?ただのびらん?」
と落ち着かない日々を過ごさなくてはいけないのだけど
この落ち着かない一週間は逆に自分も家族も「もしか
すると」という最悪な覚悟も軽く、持てる時間だ。
そして組織診という順番を踏むという2クッションが
ある。

しかし内臓は内視鏡検査などで行ったその日に、
辛い事実を知ることになる。これはキツイ。
突きつけられる心の準備もなくいきなり短い余命の
告知はやはり残酷だ。初日には「深刻な状況なので
覚悟が必要です」くらいで留めて数日後、告知して
欲しいと思うのだが。