しかし、現実はそうなってくれはしなかった。
2006年1月、ペルー政府はフジモリ氏の大統領立候補に
赤信号のサインを出し、事実上復権への道を閉ざす。
一方チリでの審議もなかなかはじまらず、2006年2月ようやく開始。
しかし、審議には半年から1年はかかるとの見通しが出された。
2006年4月、ガルシア氏がペルーの新大統領に就任。
2006年9月現在、フジモリ氏は審議中ではあるが、保釈が
認められ、現在はチリの首都サンチャゴで生活を営んでいる。
もちろんチリ国外へ出ることは不可能で、チリ国内での政治活動も
規制されている。
アルベルト・フジモリ 現在68歳。
彼はこのまま政治生命を終えることになるのだろうか。
いくつかの疑惑に関与していたのかは、現在審議中ではあるが、
これまでに彼がペルーにもたらした実績は忘れてはならない。
「フジモリさんは、グッドプレジデントだ。きっとまた帰ってくるさ。」
「フジモリさんは、初めてペルー国民の為に働いてくれた大統領だ。」
そう語ってくれたペルー人の笑顔が今なお忘れられない。
(完)
フジモリ氏がチリへと入国後、チリ政府に逮捕された事は
彼にとっては想定内の出来事だった。いや、むしろチリ政府に
拘束して欲しかったのではないか。
フジモリ氏の拘束後、ペルー政府は早速チリ政府に対し
身柄引渡し請求を行う。そしてチリ政府は、そのペルー政府
からの引渡し請求が妥当なものであるのかを、審議する。
大統領時代、フジモリ氏とチリ政府との関係は良好であり、
チリ政府の判断がフジモリ氏に有利に働く可能性もある。
もし・・・
チリ政府がフジモリ氏に有利な判断を下せば、フジモリ氏は
正々堂々とペルーに入国できることになる。そして今もなお
ペルーの地方では15%前後の高い支持率を誇るフジモリ氏が
同国に戻れば、その勢いが一気に加速する可能性だってある。
そして、その先には大統領という光が見える。
これがフジモリ氏の描く、青写真だった。
しかし・・・
(つづく)
2005年秋、翌年行われる大統領選挙に立候補する為、
フジモリ氏は再びペルーへと向かう決意を固める。
しかし、ペルーで立候補する為にはひとつ大きな問題がある。
2001年秋の段階で、ペルー政府はフジモリ氏に
殺人容疑での逮捕状を出しており、直接ペルーに行った
としても現政権にすぐ捕まってしまう。
これは困った…。
そこでフジモリ氏は考えた。
まずは隣国のチリに行こう。
これは意外に妙案だった。
そして2005年11月、東京からのチャーター機に
乗り込んだフジモリ氏はチリへと向かった。
しかし、ペルー政府の要求を受け、2003年の段階で
国際手配されていたフジモリ氏は、チリ到着後に
さっそくチリ当局に逮捕されることとなった。
チリへの入国作戦は失敗に終わったかに見えたが、
そこには彼なりの戦略があったのだ。
それは・・・
(つづく)
2000年、フジモリ政権はひとつの転機を迎えた。
政治スキャンダルが吹き上がり、政権維持が困難になる。
2000年秋、東南アジアでの国際会議に出席していたフジモリ氏は、
帰りに母国・日本へと立ち寄り、なんとこともあろうにFAXでペルー政府に
辞表を提出。「僕、もう大統領辞めます」と…。
現職大統領のまわりに「何かしらのお金」はつきものとはいえ、
この容疑が有罪か無罪なのかが、ひとつの大きな焦点となる。
大統領を辞任したフジモリ氏は、その後の5年間を日本で過ごし、
2005年秋、再び南米大陸へと向かう。
2006年ペルー大統領選挙へと立候補するために。
(つづく)
その発端は、今年4月に行われたペルー大統領選挙にさかのぼる。
では何故、ペルーの大統領選挙で隣国のチリ政府に拘束されたのか。
ストーリーのバックグラウンドはこうである。
もともと社会格差の大きな中南米の国々では、政治のタイプが2つに分かれている。
市場の開放、民営化など、アメリカが喜びそうな「アメリカ追従型」の政治。
国民の大半を占める貧困層の対策を打ち出すなど「ポピュリスト型」の政治。
ペルーのフジモリ氏は明らかに後者のタイプだった。
1990年、大統領に就任してからはインフレの抑制、経済の安定、
貧困対策、左派ゲリラの制圧など、歴代の大統領がなし得なかった
ことに着々と道筋をつけていく。
そして1995年、大統領再選。
翌1996年末にはペルーの日本大使公邸が左派ゲリラに
占拠される事件なども起きたが、ゲリラに屈することなく
なんとか危機を乗り切る。
順風満帆に見えるフジモリ政権だったが、
2000年ひとつの転機を迎える・・・
(つづく)
「フジモリさんは、グッドプレジデントだ。きっとまた帰ってくるさ。」
「フジモリさんは、初めてペルー国民の為に働いてくれた大統領だ。」
そんなフジモリさんは今、どこで何をしているのか。
今もなおチリにいて、拘束され続けているのか。
「アルベルト・フジモリ」という名前を聞いた事があるだろうか?
言わずと知れたペルーの前大統領であり、日系2世である。
両親が熊本県出身の日系2世としてペルーに生まれ、
アメリカの大学で数学を学び、農業経済学者に。
その後1990年の大統領選に出馬し、日系人としては
初めてペルーの大統領にまでなった人物である。
(在任期間 1990~2000年迄)
そんな彼がいま、何故ペルーではなく、チリにいて
しかもチリ政府に拘束されているのか?
その発端は・・・
(つづく)