裏 Ordinary Days

バイクで世界一周するはずが、なぜか南北アメリカ大陸縦断だけで
旅を終えた、男らしいリオガジェゴスライダーの生き様。

アルベルト・フジモリ 6 (完)

2006年09月30日 | ペルー


しかし、現実はそうなってくれはしなかった。

2006年1月、ペルー政府はフジモリ氏の大統領立候補に
赤信号のサインを出し、事実上復権への道を閉ざす。

一方チリでの審議もなかなかはじまらず、2006年2月ようやく開始。
しかし、審議には半年から1年はかかるとの見通しが出された。

2006年4月、ガルシア氏がペルーの新大統領に就任。

2006年9月現在、フジモリ氏は審議中ではあるが、保釈が
認められ、現在はチリの首都サンチャゴで生活を営んでいる。
もちろんチリ国外へ出ることは不可能で、チリ国内での政治活動も
規制されている。

アルベルト・フジモリ 現在68歳。

彼はこのまま政治生命を終えることになるのだろうか。
いくつかの疑惑に関与していたのかは、現在審議中ではあるが、
これまでに彼がペルーにもたらした実績は忘れてはならない。

「フジモリさんは、グッドプレジデントだ。きっとまた帰ってくるさ。」
「フジモリさんは、初めてペルー国民の為に働いてくれた大統領だ。」

そう語ってくれたペルー人の笑顔が今なお忘れられない。
                                    (完)


アルベルト・フジモリ 5

2006年09月29日 | ペルー


フジモリ氏がチリへと入国後、チリ政府に逮捕された事は
彼にとっては想定内の出来事だった。いや、むしろチリ政府に
拘束して欲しかったのではないか。

フジモリ氏の拘束後、ペルー政府は早速チリ政府に対し
身柄引渡し請求を行う。そしてチリ政府は、そのペルー政府
からの引渡し請求が妥当なものであるのかを、審議する。

大統領時代、フジモリ氏とチリ政府との関係は良好であり、
チリ政府の判断がフジモリ氏に有利に働く可能性もある。

もし・・・

チリ政府がフジモリ氏に有利な判断を下せば、フジモリ氏は
正々堂々とペルーに入国できることになる。そして今もなお
ペルーの地方では15%前後の高い支持率を誇るフジモリ氏が
同国に戻れば、その勢いが一気に加速する可能性だってある。

そして、その先には大統領という光が見える。

これがフジモリ氏の描く、青写真だった。

しかし・・・
                           (つづく)


アルベルト・フジモリ 4

2006年09月28日 | ペルー


2005年秋、翌年行われる大統領選挙に立候補する為、
フジモリ氏は再びペルーへと向かう決意を固める。

しかし、ペルーで立候補する為にはひとつ大きな問題がある。
2001年秋の段階で、ペルー政府はフジモリ氏に
殺人容疑での逮捕状を出しており、直接ペルーに行った
としても現政権にすぐ捕まってしまう。

これは困った…。
そこでフジモリ氏は考えた。

まずは隣国のチリに行こう。
これは意外に妙案だった。

そして2005年11月、東京からのチャーター機に
乗り込んだフジモリ氏はチリへと向かった。

しかし、ペルー政府の要求を受け、2003年の段階で
国際手配されていたフジモリ氏は、チリ到着後に
さっそくチリ当局に逮捕されることとなった。

チリへの入国作戦は失敗に終わったかに見えたが、
そこには彼なりの戦略があったのだ。

それは・・・
                          (つづく)


アルベルト・フジモリ 3

2006年09月27日 | ペルー


2000年、フジモリ政権はひとつの転機を迎えた。

買収問題、武器取引疑惑、汚職など大統領のまわりでにわかに
政治スキャンダルが吹き上がり、政権維持が困難になる。

2000年秋、東南アジアでの国際会議に出席していたフジモリ氏は、
帰りに母国・日本へと立ち寄り、なんとこともあろうにFAXでペルー政府に
辞表を提出。「僕、もう大統領辞めます」と…。

現職大統領のまわりに「何かしらのお金」はつきものとはいえ、
この容疑が有罪か無罪なのかが、ひとつの大きな焦点となる。

大統領を辞任したフジモリ氏は、その後の5年間を日本で過ごし、
2005年秋、再び南米大陸へと向かう。

2006年ペルー大統領選挙へと立候補するために。 
                                 (つづく)
                                               


アルベルト・フジモリ 2

2006年09月26日 | ペルー


その発端は、今年4月に行われたペルー大統領選挙にさかのぼる。
では何故、ペルーの大統領選挙で隣国のチリ政府に拘束されたのか。

ストーリーのバックグラウンドはこうである。

もともと社会格差の大きな中南米の国々では、政治のタイプが2つに分かれている。
市場の開放、民営化など、アメリカが喜びそうな「アメリカ追従型」の政治。
国民の大半を占める貧困層の対策を打ち出すなど「ポピュリスト型」の政治。

ペルーのフジモリ氏は明らかに後者のタイプだった。
1990年、大統領に就任してからはインフレの抑制、経済の安定、
貧困対策、左派ゲリラの制圧など、歴代の大統領がなし得なかった
ことに着々と道筋をつけていく。

そして1995年、大統領再選。
翌1996年末にはペルーの日本大使公邸が左派ゲリラに
占拠される事件なども起きたが、ゲリラに屈することなく
なんとか危機を乗り切る。

順風満帆に見えるフジモリ政権だったが、
2000年ひとつの転機を迎える・・・
                               (つづく)


アルベルト・フジモリ 1

2006年09月25日 | ペルー


「フジモリさんは、グッドプレジデントだ。きっとまた帰ってくるさ。」
「フジモリさんは、初めてペルー国民の為に働いてくれた大統領だ。」


目をキラキラと輝かせながら「彼」の事を語るペルー人に出会った。
そんなフジモリさんは今、どこで何をしているのか。
今もなおチリにいて、拘束され続けているのか。

「アルベルト・フジモリ」という名前を聞いた事があるだろうか?
言わずと知れたペルーの前大統領であり、日系2世である。

両親が熊本県出身の日系2世としてペルーに生まれ、
アメリカの大学で数学を学び、農業経済学者に。
その後1990年の大統領選に出馬し、日系人としては
初めてペルーの大統領にまでなった人物である。
(在任期間 1990~2000年迄)

そんな彼がいま、何故ペルーではなく、チリにいて
しかもチリ政府に拘束されているのか?

その発端は・・・
                         (つづく)