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日本の教科の歴史(近代)

2021-11-15 15:19:18 | 学校
近代

教科については、明治時代から度重なる再定義が続いている。

明治維新による近代化政策(西洋化・欧化主義)の一環として、学制が施行され、1881年(明治14年)に小学校令を全部改正(第2次小学校令)、尋常小学校の教科として「修身、読書、作文、習字、算術、体操」が基本的なものとして定められた。その後、1891年(明治24年)に小学校令を再び全部改正(第3次小学校令)が定められ、教科の数は、増加の一途をたどっていった。

やがて、日本の学校教育は第二次世界大戦の戦時体制下に敷かれ、1941年(昭和16年)には、国民学校令が制定されて、それまでの小学校令にとって代わられたが、このときに数個の科目から教科を編成することにした。当時の編成は次の通りである。

国民科(修身、国語、国史、地理)
理数科(数学、算数、理科)
体錬科(体操、武道、水練)
芸能科(音楽、習字、図画、工作、裁縫、家事) - 裁縫は国民学校尋常科・高等科の女子、家事は国民学校高等科の女子のみ
実業科(農業、工業、商業、水産)- 国民学校高等科のみ
外国語その他必要なる科目

これが現代の「教科・科目制」の原型となっていった。



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