岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

菱形と楕円との混在を探して その五

 南アフリカのブロンボス洞窟で発見された人類最古の模様と、僕が数日前の夜に描いた「菱形と楕円との混在の試み」の中の一枚との間には、同じような模索の心がないだろうか。有るとすれば、7万5千年以上の時と数千キロの空間とを隔てて生じた小さな偶然だ。南無阿弥陀仏。



 僕はこの幾何学模様から菱形を読み取る。そして、左端から4番目の、下向きの三角形を形作る右側の線がやや弧のように丸みを帯びているのが分かるが、これこそ僕の「混在の試み」の描線と一致するものだ。このOCREに線を刻みつけた洞窟人は、菱形と楕円との混在を案出しようとしていたのだ。慢性こじつけ病者としては、どうしてもこの推理の線を崩せない。崩したくない。



 これは、菱形と楕円形とが〈偶然に生じ、絡みつくように〉と私が意図的に描いた線です。


 ところで、なぜ僕は今日6月24日、ブロンボス洞窟に辿り着いたのか。なぜブロンボス洞窟を発見する前に、即ち、昨夜23日の夜、「洞窟へ導いてくれる予感」と僕は書き記すことができたのだろうか。

 僕は今夕、仕事帰りの道すがら、どういう脈絡からかもう覚えがないが、水玉模様について考えるともなく考えていた。紀元前からあった模様なのか。一体いつ頃から模様として使われ出したのか。そんなことに思いを巡らせながら歩いていた。同時に、路傍の葉の多様性にも心を奪われながら。なるようにしかならない。この娑婆では、辿り着ける所にしか辿り着けない。偶然が偶然を呼び、模様が模様を呼び、本能が本能を呼び覚ますのだ。言葉を選んで書いているのではない。「偶然」も「模様」も「本能」も、僕が曖昧な気分のままに名付けているにすぎない。「型」と「模様」と「意匠」、これらについては、いずれ僕なりの定義をすることになるだろう。その他の定義をせずに使う多くの言葉は、言わば僕の俗歌だから、軽く聞き流してほしい。まるで何事もなかったかのように。そうすれば、君も僕の気紛れな反乱という名の飛翔に付いてこられるだろう。あるいは、荒唐無稽な断章に。あるいは、覚束ない線上の不安に彩られた自由の感覚に。

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