ポジティブ意識の智恵

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クリシュナムルティ(2)~「あるがまま」の意識に向けて

2009-12-03 21:41:09 | 精神世界・自己変革


クリシュナムルティの「自我の終焉」は、かなり難解な本ですのでじっくり理解を進めて欲し
いと思います。
この「自我の終焉」を読むときの注意点は、言葉の意味、その奥深くに隠れている本当の意味
を探ることです。
この本の内容を理解するにも、説明している言葉の一つひとつの意味を知ることが大事です。
それを繰り返して行けば、最終的にこの本を理解した、自我の終焉に至ったとなります。

この言葉の意味とは、これまで自分が勉強し経験で得たすべての知識で考えたとき、それをど
の程度解るかということです。
この本で使われている言葉の意味をどう解釈するか、それでその人の意識レベル、神秘霊的レ
ベルまで大体検討が付くのです
この本を理解納得するには、心から始まって、意識、潜在意識、無意識、霊意識まで、すべて
の意識が関わって来ます。

それは、心理学から始まって、哲学、精神世界、宗教、神秘などの理解も含まれます。
見方を変えれば、「自我の終焉」は、初歩の人にとっては非常に混乱を招く困った本です。
しかし、意識向上という点から見れば、脳、意識が鍛えられるとてもすばらしい本なのです。
脳、意識が鍛えられるとは、思考回路、意識回路が広がっていくという意味です。
この本の内容に関して、どんな質問にも答えられるようになると精神世界は完全卒業です。

こう考えると、この本の内容は相当レベルが高い、そして難解だということも理解出来ると思
います。
「到達」、「達観」は、この本の内容をどんな質問からでも、またどのテーマからでも全体像
を説明が出来るということが要求されると思います。
この本1冊で、必要な意識の通る道や途中の段階まで説明出来るのです。

その途中段階である通過点の意識が、その時の自分を創る言葉の意味ということです。
前回も書きましたが、私は本当にこの本を意識向上のためのテキストにしたいくらいです。
とにかく、この本1冊で「自我の終焉」という、かなりの自己革新、そして自己確信まで高め
て行けます。
逆に、この内容を浅い理解で納得してしまうと、おそらく本来の自分が進む道からだんだん離
れて行くでしょう。

何故なら、間違った言葉の意味で物事を考え判断するからです。
もう一度言いますと、この本を理解納得するポイントは、意識段階における言葉の意味をしっ
かり意識化することです。
意識化、それは新しく絶対的に自信を持った自分にすることで、最終的にはそれが自分の潜在
意識にさせることです。

それまでのあなたとは違う、自分自身が完全納得する新しい自分になるということです。
この本は、その基本、枠を説明していると考えてください。
けっして、そうなるためのすべてを説明しているわけではありません。 まだ、枠です。
蜂の巣の中にまだ幼虫が見えないスカスカの状態で、これから働き蜂が幼虫を成長させて行か
なければなりません。
その働き蜂が自分で、言葉の意味の理解納得によって、いずれは巣全体を生命で充たすのです。

この本の説明にない、すべてを把握するものは何か、を知ることが意識の勉強ということです。
一部の精神世界で何とかなると思ってはいけません。
最初の全体把握、それは深い部分まで知るということではありません。
枠組みを知ること、基礎的土台を創ること、要するにとりあえずでもすべての全体像、仕組み
を知ることです。

行き先も知らず、目標もなく進むくらい、不安なものはないでしょう。
基本を見つめ、よく考えて見てください。
ただ本を読んでいれば何とかなる、精神世界に触れていれば何とかなる、誰かさんを信じてそ
こにいれば何とかなる、こんなことは絶対ないのです。
これはあくまで、真の自立を目標として自己意識成長に対して言っています。

本の言葉の意味だけでなく、同時に自己変革、自己意識成長の意味、そして今ある精神世界の
意味まで見つめることが出来たらと思います。
たとえば、本の中でクリシュナムルティは「努力は要らない」というようなことも書いています。
しかし、こういうレベルの本ですから、表面的ではなく当然それにも深い意味があるのです。
「努力は要らない」は、その意味が解ったとき、その意識にあって初めて解るものです。

「自我の終焉」、イコール、「あるがまま」の意識ということです。
この本は、このレベルになることを目標に、誰にも通じる言葉のみで説明しています。
宗教や精神世界、神秘霊的なことの説明は抜きにです。
ただクリシュナムルティ自身はすべて知っているという観点から説明していますので、何も知
らない人にとっては深い意識に入って行きたくてもその接点が見つけられないと思います。

ですから、この本を十分に理解するためにも、まず偏らない、そして全体的な基本的知識が必
要になるのです。
「あるがまま」の感じもいろいろあります。
ただ、この「あるがまま」の感じを一度でも感じたことのある人は、目指すべき方向の大きな
証拠を得たと感じています。

私もそうでしたが、最初の「あるがまま」を感じたのは、この勉強を始めてからすぐでした。
たくさん勉強しなければ、こういう感じは味わえないということもありません。
このような人もけっこういますし、また知っています。
しかし、その感じが何回も来るかというと、それっきりという人も多いと思います。
その感じに触れさせてくれたのも、未来の自分の方向を示唆する魂の援助の一つだと思います。

「あるがまま」の感じは、何かを一生懸命努力しなくても来ることがあるのです。
だからといって、それが即、意識が向上したということにはならないのです。
意識向上とは、自分の意志で自分自身を支配するまでに意識を高めることにあります。
その本当に高いレベルに自分があるとき、「あるがまま」の意識とか、「努力は要らない」と
いう本当の意味が自動的に解るのです。
これは「悟った」というのではなく、「悟りの高い段階に至った」となるのです。

本質レベルから言うと、私たちは何の努力も無しに「あるがまま」に入れると思います。
では、どうしたら?
それは、自分の意識を純粋にすることです。
純粋ですよ、出来ますか?
それ以外の方法では、「あるがまま」の意識を知ることは無理だと思います。
これは、「あるがまま」を感じるというのではなく、その意識になるという意味で。

紀元前から現代まで、世界中に哲学、宗教を通して求道者達が捜し求めて来た、追い求めてき
た絶対的意識、神。
神に近づくには、「あるがまま」の意識は当然で、それが無意識で触れる世界です。
私たちが知らなくても、長い歴史の中でそれに達した者もたくさんいたに違いありません。
しかし、その方法は残されていますか? 簡単な方法でも何でもいいのですが。

今の精神世界を見渡せば、子羊の群れそのものではないでしょうか。
これまで、イエスでも、釈迦でも、その他の聖者方でも、その方法を分りやすく説いた人がい
たでしょうか。
聖者方は、まず「愛」「慈愛」を自分の意識にすることを言います。
純粋意識はこれです。
でも、現代人はなかなかこの意識にはなれないのです。

何故、なれないのか?

続きは、次回!

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