常設展の「北美・北荘の作家達」を見てきました。福井県であった前衛絵画取り込みの動きです。シュールレアリスムやアンフォルメルなど、いちはやく世界の美術潮流を取り込もうとして、阿部展也や岡本太郎はじめ日本の現代美術の牽引者である作家たち、そして評論家たちが福井に呼ばれたそうです。なんとなく知っていただけだったので、参加した福井県の作家たちの作品を見て、興味深く感じました。
企画展では国立近代美術館のコレクション展が開催されていましたので、ちらっと流し見してきました。日本の近代洋画と現代絵画への流れをさらりと見せてくれています。
洋画受容の最初期にあたる五姓田の作品はなかったですが、黒田清輝らの外光派らの作品などで始まり、明治から大正の洋画家たち、それからエコールドパリの画家たち、シュールレアリスムの画家たちなどです。
メモがてら記憶に残った作品について少し。
●藤田嗣治「自画像」
乳白色の白色で、面相筆の細い輪郭線、猫がいてフジタがいて、小さい作品ですが、フジタの作品を堪能できて喜びを感じる一作です。
●里美勝蔵の「女」
肉感のある人体と構図、激しい色彩と筆致。なにより女の頬の肉付きと無造作にこすりつけられたような赤い線がすごかったです。いままで見たことあるのは風景画が多かったので、小ぶりながら力強いこの作品は印象に残りました。
●岡鹿之助「冬の街」
これが絵画でいいのか分かりませんが。かすれたような筆遣いと温かい色調で描かれた、絵本の挿絵を思いおこすような冬の色彩と街の風景。むずかしいことぬきにちょっと心引かれる絵です。先般東京であった回顧展になぜいかなかったのか、ちょっぴり後悔しました。
●東郷青児「サルタンバンク」
題名は道化の一種。金属のオモチャのような造形ですが、陰影のグラデーションを見ていると、つい先日見た源頼朝像の帽子の表現を思い出してしまいます。なんだか共通点があるようにも思えますが、いいのかなぁ?
●野田英雄
孤独、でも三人の人が淡い色彩で描かれています。この人の絵はいつも絵の具づかいが特徴的でいつも気になります。
●北脇昇「空港」
小さい絵なのですが、紅葉の種のようなものや、木切れのようなものが画面に浮かんでいて、それが自然なようでいて実は不自然な並べ方になっていて、なんとなく無人の空港のように見えます。無人感が不思議な感覚をもたらします。ちょっと面白かった。
●古賀春江「海」
有名な絵画。フランスではじまり日本では詩人らによってもたらされたシュールレアリスム的な方法が用いられたかなり初期の例だそうです。
本格的なシュールとは異なる解釈と方法だけれども、海を想起させる物体があちこちに並べられていて、日本のシュールの早いサンプルだといえるそうです。出品されていませんが、嶋田しづさんのフランス時代の作品を思い描いてしまいました。
●瑛九「午後(虫の不在)」
絵の具の点々。明度の高い色、低い色(青、黄色)など、いろんな色彩の点々が集まり、画面全体に動きがみえるという絵なのです。しかしそれだけではない(…と勝手に感じている)。色のバランス、動き、すべてが絵に溶け合って、音楽のような、踊りのような、全体的にゆるやかなのですが、すこし煌めきのようなものもあり、大地のように落ち着いてゆったりとしていながら、波の渦のように回転している…。銀河のようなところもあるかもしれません。とにかく感覚的にひたっていたいような素晴らしいバランスの絵です(バランスといいきっていいのかどうか分かりませんが…)。
タイトルがまたすごい。「午後」。私は午後の要素を絵のなかにさがします。点々だけだけど、色や動きのなかに探してみる。季節はいつなんだろうかとか、一気に思いがうずまく。「虫の不在」。この詩的な響きはなんだろう!なぜ虫はいないのですか、と訊きたくなってしまいます。これは森の中ですか、土をながめた絵なのですか?なぜ黄色がまぶしくちりばめられているのですか?-などと、画面のなかを思いが彷徨っっていきます。
絵の描き方も、タイトルも、私がここでいうほど思わせぶりではない、さりげなく素のままであったのでしたが、なんだかいろいろ考えたり感じたりして、長い時間をこの絵のまえで過せてしまえそうでした。いかに自分なりの答えでよいからといっても、そう一発で思考の果てにたどりつくはずもなく、美術館って、こういう絵がいつも飾られていて、ときどき行って自分なりの答えを探す時間をつくったりしたいところだなぁって、思いました。
●草間弥生「残骸のアキュミレイション(離人カーテンの囚人)」
1950年の初期作品です。クサマは、銀色の細胞形巨大クッションのようなインスタレーションや赤や緑色のドット模様の南瓜などの印象が強いですが、いささか商業的な趣きにもなってるようにも(勝手ながら)感じていました。初期作品、なるほど。こういう原点があるところに、すべてを許してしまおうと思いました。細胞のようなカメラのファインダーをのぞいたような、向こう側には小さく外の自然界がひろがり、青空が小さくのぞけ、枯れ木の黒いシルエットが具体的に分かる現実的な造形でした。むろん枯れ木は黒くて些か不気味で、でも小さいのでさほど気にならないのですが、やっぱりちょっぴりシュールです。その手前にひろがる細胞のような眩暈のような赤い細胞のような造形も、やっぱりシュール。細胞膜の数箇所に襞のヨレのようなものがギザギザと描かれていますが、これがヨレなのか、向こう側に見えるのと同じ「木」が生えているのか、にわかに判別できません。ニュースによると、なにやら脳の中の信号をとらえることで、見た夢を映像化できる最新技術ができるとか何とかですが、まさにこの絵も頭の中を覗かれたような、夢か幻影の世界ですね。クサマの真の実力を見せていただいたような気がして、印象に残りました。(あれ、なんだかナニサマ発言ですね-汗)
2008.12.13 up