カメラを持って出掛けよう

仕事と音楽の合間に一眼レフとコンデジで撮った写真を掲載しています。

父親(おやじ)の通った道を息子が

2020年09月27日 | ザルツブルク(オーストリア)
今年も早一年が過ぎようとしている今日この頃ですが、一日に一度は思い出して嬉しく思うことがあります。
それは音大を出て大阪のバロックオーケストラに所属している息子が昨年末、年明け二月に演奏する楽器のマスタークラスを受講するため渡欧することを決めたことでした。
しかも単なる偶然なのか訪問先は私の縁があるモーッアルテウム関係でした。



かねてより私は趣味の音楽でレッスンやコンサートのため渡欧はしていましたふが、プロになった息子には音楽の本場に留学することや旅行をすることを強要は一切して来ませんでした。



彼には彼の生き方や価値観があると思うので親父がしてきたことは別の事として今まで来たつもりです。
ただ心の中では音楽で生活をするならば需要のある本場ヨーロッパに移り住んで活躍して欲しい願望は持ってはいました。しかし一言も彼の前では語ったことがありませんでした。



それがなんと彼が決めた渡欧先は広いヨーロッパの中でも私がかつて訪れたザルツブルク、ドイツのボン、ケルンでした。
親子二代で同じ景色を見て空気を吸うなんて、こんな嬉しいことはありませんでした。

ただ彼の帰国があと一週間遅れていたらヨーロッパ各地ではロックダウンで帰って来られなかったかも知れませんでした。
でも人間の記憶は自分に都合のいいことばかりが心に残るものなのか、今でも当時の心配事よりも嬉しかったことを反芻するようになっています。



小説「Obralmの風」



岳は大山寺の神聖とも思える澄んだ空気を吸いながら境内を散策したが、結局心に響くような場所には行き着けなかった。
しかし辺りは鶯をはじめたくさんの小鳥が囀り正にこの世の楽園を思わせる空間であった。
時々樹木の間から流れて来る風は、冬の記憶を少し残したような冷たさがある。
そんな風を顔に受けながら岳はもっと早くにこのような環境に慣れ親しんでいたなら、深刻な病を抱えることはなかったかも知れないと思った。
人間は出生から現在までの環境を宿命と受け止めるのか、それとも生きて行ける環境を自らの力で求めなければならないのだろうか。
残念ながら岳の積み上げてきた時間は後述のようなアクティブ的なものではなかった。
省みれば病を抱えるのも自己の責任なのだろう。

急ぐ宛てもない岳は米子の街へ下りるため、山門近くでタクシーに乗り込んだ。
しばらく走ったところで岳は欧州造りのペンションを再び見た。
「運転手さん、さっき右手にあったんはペンション?」
「えっ?・・・ああ、さっきのペンションですか」
「そうそう、あれはペンションやんなぁ」
「よかったら引き返しましょうか?」
「そやな・・・、構まへん?」
運転手は快く返事をすると車をUターンさせた。
そのペンションの何が心に共鳴したのかは判らないが、岳は強い磁力のように引きつけられるような気がした。




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