tsuyoshi miyazawaの出来事

強君のページ

超・超OMからいただいた物

2018-06-29 09:01:34 | 日記
 私の中学生の頃から懇意にしていただいているアマチュア無線の大先輩から『いい物あげるからおいで』と電話があった。この先輩とは、私が村に住んでいる私のアマチュア無線の先生の所にお邪魔している時、偶然ご夫婦で訪問された時から懇意にしていただいている方で、前回も電話があり、訊ねた所、 治して使ってくれとR-390Aを指差され【サブサブいぼ】が出た経験があり、今度は何だろうと期待して行ったところ、トリオ製 CO-50オシロスコープを出され、『少し壊れているけど、宮ちゃんなら治して使えるだろう』とおっしゃった、私は『ハイありがとうございます治して使います』と言ってしまった、この機械は今から50年以上前の機械で、それからの技術進歩は素様しく、私の所にも最新型とは言いにくいが、同期の執れる、2ヶの波形の同時に見える機械が3台も有るのだが、口には出せず、いただいてきました。
 先輩はこれのダイレクトに変調波と高周波を入れ変調波をモニターしながら出ていたとのことでした。私より一回り以上年上の先輩には、50年以上昔のことで、このオシロと同じように私も中学生に見えて居たのかも知れません。
 先輩・奥様と一緒に昼食を食べ、何度か聞いた事のある昔話を聞いて、先輩のお宅を後にしました。
家に帰り早速、修理に取り掛かる、掃除機で埃を取り、真空管を全部取り換え、スライダック経由で100Vを入れるが、異常なし、ただし輝点が出ない、POSを回すうちに輝点が出た、掃引時間SWが空回り・・締め付け・・掃引しない・・・裏側を覗く・・ははーん、チューブラーコンのリークか容量減と思い、片側をはずしチェック0.5μF・0.01μFがリーク、似た容量のコンデンサーに取り換え、その内高い周波数で掃引が始まる、垂直AMPにすると輝点がどこかに遊びに行く、回路図が無いので頭整理で一旦中止としました。

北の善光寺、南の北向き観音    その3

2018-06-26 20:35:45 | 歴史・言い伝えを振り返って見たら
 善光寺と北向き観音は正確に相対していない事は前回に発表した通りです。そして北向き観音がある塩田に地にて正確に善光寺と向かいあっている場所は、前山の塩野神社と保野の塩野神社であり、この三か所は東経138度11分15.4秒の子午線上にある事が分かりました。この三か所はある力で意図的に作られたと言っても良い位の偶然であり、等に善光寺と前山の塩野神社の線上にある保野の塩野神社の舞台の背後にある遠見窓の存在と廻り舞台について大胆な仮説で発表したところです。
ここで今から1200年位前にどのような方法で子午線上に三か所を建設することが出来たかを考えてみたいと思います。まずこの三か所を見通せる場所が必要で、調べてみると、前山の塩野神社の後方に聳える独鈷山ではないかと考えました。この独鈷山は塩野神社とは関係が深く、この塩野神社の奥宮ともいわれる山と分かりました、そしてGPSを持っての独鈷山登山は来春の雪解けを待って行う事としました。

 
 さて長い冬も終わり念願の独鈷山登山を5月に実行しようと考え準備をし、登山決行の日となりました。当日は朝から快晴で、車で前山の塩野神社に向かい、車は中禅寺の駐車場に置かせていただくことにして、その駐車場の横にあるお休み処で独鈷山山頂で食べるお団子を買った所、お茶とお茶請けの漬物まで出していただき、元気いっぱいで出発いたしました。
この独鈷山の登頂ルートは3ルート有るようで、私は塩野神社に流れ込む川を遡るルートとしました。
中禅寺から100メートルほど西に戻ると独鈷山登山道入り口と書いた立て札があり、頂上までの所要時間が書いてあり、何故か140分と書いてあり、2時間20分とは書いてない、チョット訳ありの感じではあるが登り始めました。
川に沿って舗装された快適な登山道で調子よく登って行くと100m位で舗装が途切れ砂利道となってしまいました、道幅は2m位、杉、檜の林の中を進み、しばらくすると、そこここに物凄く大きな岩が覆いかぶるようにあり、異様な風景がしばらく続きます、そのうちに道がつずら折になり、急峻になってきました。
桧の林を抜けると紅葉樹林帯となり、道は凄く急坂となり、顔から汗が滴り落ち、心臓はドキドキ早鐘のようで、息はハアハア、独鈷山の山容から考えると中国の桂林の山のようで、道は急峻なのは解かっていたはずなのに、その内に頂上まで100分との立て札があり、もうかれこれ1時間は歩いたはずなのに、時間がおかしくなってきた、でも歩く、歩く、胸突き八丁とはこのような場所なのかと気が付く、急こう配の場所には黄色と黒のロープが張ってあり、それにお世話になりながら登る登る、そして稜線にたどり着いた。
稜線の場所は、竜の峰、雨首と言うらしい、前山の塩野神社の本地佛と言われる地蔵菩薩が鎮座する中禅寺の山号は竜王山と言います、何か関係がありそで、なさそで、ここでGPS測定すると東経138度11分3.7秒で目的地は300m位東に存在するようだ。
しばらく行くと何百トンもありそうな一枚岩があり、その岩に沿ってのぼりきり、稜線を行くと左右が50m以上の絶壁です、ちょうど戸隠の アリのと渡りのようで、怖い、ここで落ちたら・・・発見された時は白骨だろうと考えながら慎重に慎重に登る。しばらく進むと下りになり、少し広い広場になり、道が集まった所に出た、反対側の道は鹿教湯温泉側からの道だだろう、ここでバードワッチングをしているご夫婦が居て、ゴジュウカラがなかなかファインダーに収まらず苦労をしているとのことで、頂上を尋ねると、すぐ先とのこと、5分ほどで頂上に立った。
頂上は南北6m、東西12m位の広さで、中央に石の祠が南を向いて安置されていた。そこでおもむろにGPSをONにすると東経138度11分14,3秒・・・1,1秒の誤差であり東側は岩場で崖のようになっていた。
善光寺から真南に伸ばした子午線は保野の塩の神社を抜け、前山の塩野神社を抜けこの独鈷山頂に約1秒の差でかすめています、これは偶然なのか・・・。
独鈷山からの眺望は北・善光寺方面、足下に塩田平があり、保野の塩の神社裏のゴルフ場が見え、霞ながら西上田界隈がみえ、西方に麻績村方面よりの山塊が途絶え千曲川に入り、その対岸は太郎山に続く山塊の始まりとなっていて、この方面だけが開いています、その先に善光寺は見えるはずなのですが・・・東に目をやれば、足元に三才山トンネルに続く254号国道号線、そして富士嶽山、南は美ヶ原台地、西に大明神岳が見えます。
さて、この独鈷山については私の想定の範囲でしたので、この子午線の上にどのような神社があるかを調べたところ、上田市の小泉と言うところに大日堂があり、GPS測定をしたところ10秒ほどずれていましたが、ここも何か関係がありそうです、大日堂は勿論大日如来が祀られていて、この仏像は密教で言うところの最上位、最強の仏様です。
東経138度11分15,4秒この子午線上にある善光寺の謎の一つに守屋柱の存在があります、この柱に向かって左の側に善光寺如来の瑠璃壇右に開山御三卿の間があり、外陣の賽銭箱の真ん中で内陣に向かいお参りをすると、この守屋柱にお参りしている事になります。
善光寺監修のパンフによると【善光寺の柱の数は108本あり内部の柱は全部丸柱で、外にある向拝柱の正面の4本、東側の2本、西側の2本は四角柱です、この守屋柱も4角の杉の柱であり、ご本尊の直ぐ近くにある柱なので仏教伝来の折亡ぼされた廃仏派の 物部守屋 の怨念を封じ込めたとも伝えられる】とあります。
他に善光寺に存在する聖徳太子像、山門にあるスサノオの尊など心躍る謎だらけです。
東経138度11分15,4秒の子午線、さてあなたならどのように考えますか。
                                          北の善光寺 南の北向き観音     完

連綿と八百年以上も続く行事を持つ家がある

2018-06-09 16:44:41 | 歴史・言い伝えを振り返って見たら

長野市の大岡地区に高峰寺と言う古刹があり開山祭法要が厳修された。この寺は鎌倉時代に学道上人により開かれ、その開山をお祝いするための護摩祈祷・大般若転読会が厳粛に行われました。
今から八百年以上前、学道上人が聖山頂上に登るための道を付け、上人をお助けし、そのために鉞大権現の称号をいただいたと言われる家があり、その家の家長が私を懇意にしていただいているため、毎年誘われ法要に参加していました。
昨年までは、法要が終わり御斎を過ぎると彼の家族を残し帰宅していたのですが、今年は終わった後何かあるのかを聞くと、彼は家族で学道上人のお墓と言われる場所にお参りに行くとのことで私もお供することにしました。その場所は樋知神社の右手の奥まった所にあり、そこには直径30㎝位で高さが150㎝の自然石が立っていた、彼はそこにひざまずくと祝詞と思われる言葉を唱え出し、彼の奥方、長男も手を合わせ祈り始めました、何分くらい経っただろうか、祝詞が終わり二礼二拍一拝をしたのです、これはまさしく神事であり、私はこの神事が鉞大権現のためのものではないかと思いました、それは、村の昔話に“その時お世話をした爺が過労のため、清水の湧き出でる場所で亡くなり、それを哀れに思い【鉞大権現】の称号を与えた”と書いてあったのを思い出したからですが。
信州には屋号がオオワデと呼ばれている家があり、昔から豊年豊作を祈るため、田んぼの水の取り入れ口に寺社よりいただいた柳の小枝を差す風習があり、その柳の枝を農家に渡す役割を寺社から認められた家のことで、この場合にはやはり八百年以上前の学道上人と鉞大権現にさかのぼるのではないかと思います。
それにしても八百年も前から途切れる事もなく、親から子に子から孫にこの神事をつないできた一族があったと言う事は、凄いなーの一言で済まされない何かが有るのです。



ラジオ少年全員集合

2018-06-05 20:18:58 | 日記

信州は千曲川の畔、屋代橋運動公園に元ラジオ少年が集合した。この仲間達は、アマチュア無線仲間で古い方は60年以上もこの趣味を続けている。
この頃は電波も出さず悠々自適の生活を送っている方もいれば、電波を出して知り合いとコンタクトをしたいと思っても、簡単に出来ない方も増えていると聞いた。それは、人生の終末を迎えるにあたり、後始末(鉄塔・アンテナの撤去)を奥様や子供さんに言われ、アンテナや鉄塔をスケールダウン又は完全に取り外す方も多いと聞いた、それで趣味を止めても自分の家のトラブルを良しとしない優しい気持ちの方が多いのではとも思う。今回いらっしゃった方の中でも何人かは、アンテナも降ろし無線機も整理している方を知っている、その方達も昔鳴らした事をおおきな声でしゃべっている、この集まりが好きなのだ、そのためにも、一年に3回位は開きたいと会長に進言したところです。
なにはともあれ、元紅顔の美少年が時間の経過で、しわが増え、頭の毛がなくなっても昔の時間を取り戻す機会を作りたい、家に帰り、鬼嫁・鬼子供にもめげず、来年も一人も欠ける」事もなく、この河川敷に集まって欲しいと思いながら、解散をした、と書くと何だか家族に対する愚痴だけを言いに集まったのかと言われる恐れがあるため、ミーティングの流れについてお話をしましょう。
10時現地集合とのことで、皆さんその時間までには集まったと思うが、私は9時頃までに現地に着くように8時頃家を出たのでしたが、途中でトラブルに巻き込まれ、時間を大幅にロスし、現地に遅れて到着となった。皆さんはアンテナ設営も終わり開会式を待つだけとなったようで、私からは途中で遅れる旨を連絡してあったので、雰囲気としては遅れた人を待つ状態の所に私が現れたので、一斉にブーイングとなった。
開会式はJH0PHS堀内さんで小林会長JA0FSEの開会のあいさつがあり、10年の記念大会と言う事で、篤志家より集められた機器、部品の抽選配布会となった、
何故か私が進行役となったのでお得意の手を使い特別賞をブンドル事が出来なくなった。
抽選されたものは
特別賞・・・・ALINCO DJ-530X 144・430 トランシーバー一台   JA0PBM̪氏より
1等賞・・・・7MHZダイポールアンテナ 10張り JA0FSE作  材料提供はJA0EWA氏
2等賞・・・・トラップ作成用ボビン10個
10周年特別省・・・・夏休みに長野市少年科学センターで行われる少年少女AMラジオ教室の教材のラジオ 2台
残念賞・・・・M型レセプタクル
が全員に渡された。
特別賞を射止めた黒沢氏は勿論ニコニコ顔でしたが・・・。このクソ暑い所、元ラジオ少年等はもともと熱中性のため熱中症にもならず、誰が作ったか分からないお弁当を頬張りながらのアイボールコンタクトは永遠に続くと思われた。
2時頃にはアンテナ撤収を始め3時には来年も必ず会うとの約束をして解散となった。
 話したりない方が温泉に泊まり込みミーティングとしゃれこんだ、有志(雄姿)は6名、今までは大体一人ビール一本平均で終わったが、今年はかなり酒量が増えたが、大枚7.5K円で済んだ(源泉かけ流しで、某会社の保養施設に割り増し料金で潜りこんだため廉価)
酒を飲んでも無線の話です、そこで私が『私たちは一番良い時に生まれた』と持論を展開した、ラジオ放送が始まり、ラジオが進化し、テレビ放送が始まりブラウン管テレビ・カラーテレビ・4Kテレビ、衛星放送、通信機器としてはハンドルを回す電話機から、黒電話・携帯電話、パソコン・インターネット、月に人類が行って、医学が進歩し、私がアブレーション・カテーテルで一命をとりとめ・・・などと話し、皆さんも仕方なくうなずいてくれた。
確かにこの世紀は物凄く人類が世界を進化させたと思う、しかし負の現象として、環境破壊、地球温暖化などが起り、もうどうにも止まらないところまで来ていると思う、地球が病んでいる、この病気の病原体は人間なので、クリエーターが動かない事を願うだけです。