仕方がないので、国保への切り替えを母に頼んだ。
昼過ぎからの急遽入院だったので食事の用意は無く、食べ物も買ってきてもらった。
個室を仮の住まいとした僕のところにDr.がやってきたのは何時頃だったか。
まず、数日先までの予定の説明があった。
院内の各所を回って検査を受けてもらうこと。
院内であっても好き勝手出歩かないこと等々。
5月が終わろうとしていた。
それから数日は、確か1日に1つ検査を受けるだけの退屈な日々が続いた。
そうしているうちに4人部屋が空いたということで、そちらに移った。
僕が最年少で、他3名はおじいちゃんばかりだった。
入院してすぐの頃だったが、期間工(派遣)で入った部署の面々が見舞いに来てくれたりした。これはめずらしいことだと思う。地元企業ならではだろうか。
ベッドの傍らにはカードを差し込むことで観られるテレビがあったが、何日もしないうちに飽きてしまった。
面白かった?のは、毎日決まった時間に3方から同じメロディが聴こえてくること。
おじいちゃんたちが揃って同じ番組を観ているのだ。
NHKの朝ドラ、タイトルは忘れたがあの当時毎日聴かされたメロディは覚えている。“ありがとうって伝えたくて~”というやつだ。
お年寄りのNHK信仰は異常。
同じ部屋のおじいちゃんたちが「他の局はあんまり観ないけど、NHKだけは観る!」と言っていたのを覚えている。
ある日の検査で内科の部長から「君、のどが狭いね」と言われた。
昔からよく物をのどに詰めていた、その原因が判明した瞬間だった。
「どうする?脚の手術の後にのどの手術もする?」と聞かれたが、「日常生活ではそんなに困っていない」とか何とか言ってその話はそれで終わった。
その頃には手術の日は6月4日に決まっていた(これはハッキリ覚えている)
その2、3日前に手術の段取りについて説明するということで家族が呼ばれた。
今はどうか知らないが、当時、整形外科の病棟は確か4階にあり、ナースステーションで説明を受けた。
全身麻酔をして片方ずつ処置していく…つまり2回に分けず、その日だけで終わらせることになったのだった。
続く