麻箒(あさほうき)ここの雑記帖

読書と落書きなど徒然なるままに

【2018_04】つれづれつぶやき〜餅と執着と道元禅師

2018-04-04 19:50:56 | つぶやきではない、普通の記事
柔らかいお餅を
左手に持って
(熱くないお餅を
お持ちください)、

それを右手でびよんと伸ばすと

右手左手に餅の玉、
玉の間にはお餅の橋ができまする。

右手の玉を餅R、
左手の玉を餅L、
RL間の餅の橋をbとします。

次に餅Rを
気になる何か(物体Aとする)に
向かって、ひょうと投げます。

餅Rは物体Aにとりつきます。

少し前まで、RL間にあったbは、
AL間に架橋されます。

L、つまり私の左手がAに近づくか、
Aが私に近づくと、
bは短く短くなって、
餅は一つに戻ります。



お取引先に「ドウモトさん」
という方がいて、

漢字が「道本さん」。

で、そのドウモトさんが
「よく、『道元』と書かれるのです。
 宛名に」とおっしゃった

…からでしょうか、

図書館で『道元禅師』(立松和平著)が
目に留まり、
ひとまず上巻を
手にとった次第。

あさほうきの亡き母は、

五木寛之さんの
著書を通じて蓮如、

梅原猛さんの
著書を通じて法然

と、なぜかお坊さんに親しみ、
本をちょこちょこ持っていました。

亡き父も、仏教の勉強を
していたとかナントカ
聞いております。


はて、何か、同じようなものに
手を伸ばす遺伝子でも
仕込まれているのかしら。

しかも、三十代になって
発現する遺伝子。

ううむ。


Aを好ましいと思う性質は、
遺伝子なのか、
育ってきた環境なのかに由来して、

ぺちゃりと餅Rを投げる動作を
起こさせるものは、
きっと人間なら誰しも持つ
執着で、

その後、Aを自分に引き寄せるか
自分がAに近づくかは、

きっとそこは私のオリジナルに
なるのでしょう。

きっと、そのオリジナルすらも

何やかやの影響で決まるのだろうけど。



ああ、そういえば、
新しい職場は、

きっと一生縁がないだろうと
思っていた
その昔、父が多少携わったであろう
業界でして、

朧げながらもご縁を感じております。

縁と因果と申しますが
様々の縁を感じつつ、

何の因果となるかこの生は、と
日々考えておる次第です。

4月3日(火)のつぶやき

2018-04-04 01:49:47 | 旧 今日のつぶやき(Twitterまとめ)