かおさんのみみはねこのみみ

ふたのないたからばこ
〜コトバのむこうにあるもの〜

証明写真

2014-02-16 | 日記
証明写真が必要なときは、インスタント写真じゃなくて、写真屋さんにいって撮ってもらうようにしています。
結婚式の写真とかみたいに、何千円も何万円もかかるものじゃないし、インスタント写真だって タダじゃない。少しのところで、できあがりが全然違いますから。
写真館に嫁いでいる友達がいて、そこで撮ってもらっています。
カメラの前に座ると、背筋を伸ばしたり アゴを引き過ぎない程度に引いたり 顔の角度を微妙に動かしたり 視線をアドバイスされたりしながら、ベストの状態をつくっていきます。
表情は、証明写真ですから真顔なのですけれど、彼女は「笑って」と言います。もちろん、歯を見せて笑ってはダメですが、ほんのすこーし口角を上げるのです。
真顔の範囲って、そう思うと結構 幅があります。
真顔=しかめ面になってる人って 多いんじゃないかな、って思います。

雪が溶ける前に

2014-02-15 | 日記
ゆうべは 月の光が当たっていたのか、外が まるで白夜のように明るくて、かえって なんだか怖かったです。
その光のせいでは ないのでしょうが、アイスバーン確実と思った今朝の道は、大根おろし状で、みぞれ鍋のようでした。
雪だから行かなかった場所、雪でも行かなければならなかった場所、そのどちらでもなかった場所。いろんな場所があったと思うけれど、その当落線上に何かがのっかっているとき、気持ちは一等しんどい気がします。
なにがなんでも行かなければならない とか、決意を先にした方がいいような気がします。
腹はくくる、腰はすえる。

飴をかむ

2014-02-10 | 日記
今、“マクリ”を知っている人は どのくらい いるのでしょうか。
昭和の時代、学校や幼稚園では 定期的に“マクリ”を飲ませていました。
マクリは ようするに 虫下しの薬で、錠剤だったらよかったものを、液体の、それはそれは なんともいえない味と においのする薬で、それを お椀にたっぷりいっぱい飲み干すという行を、昭和の真ん中くらいの子どもたちは行っていました。
ただ、その行に耐えた ごほうびとして、先生から飴玉がもらえました。

わたしは 歯が強くないのもあって、すっかり大人になった今でも 飴をかむ習慣はありませんが、たまに口に入れた飴を 急いで食べてしまおうとして ぱきっとかむと、トラウマ的に思いだす 幼稚園のときの光景があります。

その日、マクリの時間の次は、紙芝居の時間でした。
わたしは 飴玉を口に入れたまま 紙芝居をきいていると、隣にいた男の子が「おまえ、まだ飴食ってんかよ。かめよ。」と言ったのです。
それまで、飴をかんだことがありませんでした。飴をかむ、飴をかむ・・・どうしよう、と思いながら、でも、その男の子が ちょっと怖かったので、結構まだ大きかった飴を 一生懸命 割れろ割れろ、と思いながら かんだという、そんな思い出なのですが。

あの頃、とてもとても 気弱な園児でした。
気弱でいることは、とてもとても しんどかった記憶があります。
しんどかったので、なんとか しんどくないように生きたいものだと思いました。
気弱でなくなることは、ほんとうに 強くなったということなのか、今でも 時々 疑問だったりします。

線香のけむり

2014-02-05 | 日記
うちにある仏壇にあげる 線香は、今はもう 銘柄をだいたい決めて買っていますが、どれにしようかな と、店頭で見比べると、その ほとんどが『煙が少ない』ことをウリにしているようでした。
線香って、なんのために あげるんだろう。煙は少なくても大丈夫なものなのかなぁ。
たしかに、煙で部屋の壁とか いぶされはしているけれど。

ロウソクはLEDライトになり、花はプリザーブドフラワーになったのも売ってます。
線香はそのうち、煙がまったく出ない方向になるのでしょうか。
仏壇にむかう姿勢の根本は 手を合わせることとすれば、その根本さえ失わなければ、ご先祖様は認めてくださるとして よいでしょうか。

日々、おそらく みんな危なっかしくてハラハラさせるようなことばっかやってる 現世の子孫たちのことを、しゃーないなぁ、と思って みてくれているのでしょうか。
線香あげるくらいしか できないから、煙の量は『ふつう』というやつを選んでいるのですけれど。