コメント
 
 
 
田舎とて (kenryu)
2006-05-31 10:06:55
こんにちわ、ご無沙汰していますが、結構忙しそうですね、残~念!

葬儀、確かに大きな転換期なのか、規制仏教教団の存続の危機なのか・・・。田舎とて同様に簡素化の一途をたどるばかりのような気もしてなりません。没後作僧、授戒得度・・・教化力量不足なのでしょうねぇ。ある宗門の方は「檀家の立場に立った安心を図る工夫」を力説されていましたが、「それって、当然なこと!」と思ってしまう拙僧って「変」なのでしょうか。毅然とした僧侶でありたいものですが・・・
 
 
 
→kenryu兄 (tera)
2006-05-31 13:48:02
やっと今日はいい天気になり、蒸し暑いくらいです。4日から広島なので、準備やらでバタバタやっています。

確かに葬儀の簡素化は、全国的に大差がないような現状になるのかも知れません。

檀徒の安心については、当然なことが当然にできていないので、真顔の発言となるのでしょうね。今まで意識すらなかったとしたら、何をかいわんやという感じですね。

「毅然」とするところに宗教性があると思い、大切なところだと思います。いつも貴兄を見習っております。。。
 
 
 
なるほど (某子)
2006-05-31 15:42:00
大変興味深く読ませていただきました。

ここ数年大きな変化があった業界ですよね。

全く違う業種からの新規参入が相次いだり、料金体系がやたら分かりやすくなったり、などなど。

葬儀業者に対する見方が厳しくなっているのも事実でしょう。墓に対する意識も変わってきていますね。



かといって、ごく一般的な日本人は相変わらず宗教心などなくて、お寺との付き合いもなく、付き合い方も分からない、そんな現状もあります。



本当のところ、死というものが見えなくなっている日本。ひとりひとりの存在が貴重なものとして、命の尊さをきちんと伝えていく、それが大切だと思います。



あああ~、まとまりがない上に、視点がずれてきてしまってすみません……。 
 
 
 
新語とキーワード (ぜん)
2006-05-31 18:02:10
読んでいて、なるほどと思ってしまいます。

ここで、感心をしてはいけないのでしょうが、葬儀を取り巻く環境はどんどん変わってきていますね。

僧侶が時代に取り残されるのか、そうはならじと後を追いかけるのか、それとも檀信徒を昔に引き戻すのか、いずれにしても難しいですね。

両師がおっしゃるとおり、まずは「毅然」とした葬儀ができれば良いなと思います。そこから宗教性が芽生えれば理想的です。

 
 
 
→某子さん (tera)
2006-05-31 19:55:41
ほんとに、びっくりした現状でした。



>ごく一般的な日本人は相変わらず宗教心などなくて、お寺との付き合いもなく、付き合い方も分からない、そんな現状もあります。



そうなのですよね。それで、このようなブログで親しんでもらえたらということがきっかけでした。そろそろ1年です。



ほんとうは、葬儀は命の大切さに気付く最も重要な機会だと思うのです。それが、損得の問題でないがしろになることは残念なことです。私達僧侶も襟を正して取り組まなければならないと思います。
 
 
 
→ぜんさん (tera)
2006-05-31 20:15:32
私も今回はかなり目からウロコという感じでした。確かに感心している場合ではないかも知れませんが、変に納得してしまうところもあったりで苦笑してしまいました。



毅然とした信念が私達に必要なことは、確かだと思います。その信念が一般の人の心を捉えていなければならないのでしょうね。
 
 
 
こんばんは。 (hitomi)
2006-06-01 00:26:32
私個人としては納得する部分もあります。

一人息子に負担をかけたくないと常々思っています。

しかし、主人がと思うと出来るだけの事はしたい。と考えてしまいます。

依然にもteraさんと話した事があったと思いますが、teraさんのblogに出会う迄、私の田舎のお寺の住職を基準に判断していたと深く反省しております。

teraさん始めこちらへコメントされる僧侶の皆様は、常に勉強、修行されていて、このような僧侶の方たちがまだいた事に驚いたほどです。規準が間違っていた事恥ずかしい限りです。

先祖にたいしては、核家族は関係あるかも知れませんが、自分が今ここに存在している意味を親がご先祖様を大切にする事を家庭で教えていく事と思います。

私の実家もteraさんのお寺さんと同じ、曹洞宗ですが田舎は過疎化が進み老人の比率が、かなり高い為か勉強会も壇家の集まりも滅多になく、葬儀での説法もありきたりです。

このようなな事が長年続くと、当然住職様に対する尊敬は薄れるばかり、専門的な事はわかりませんが本山が末寺をもう少し指導して頂ければと感じました。

昔は集落でいざこざがあるとお寺さんか庄屋さんに相談するといったそうですが、実家の住職様は法要でお経をあげに来てくださっても、お経が終わるとすぐに帰られコミュニケーションを取ろうとしません。

私はずっとそんなものだと思っていましたが、皆様のコメントを読ませて頂き家のお寺さんが住職と言うだけで、宗教者としての貢献をしていなかったのだと改めて感じました。

気分を害されたら申\し訳ありません。

私はteraさん始めこちらへコメントされる僧侶の方々は尊敬出来る宗教者と思っていますので、こんな愚痴並びにお願いめ出てしまいました。



〉旦那さんと違う墓・・

なんて寂しい人生でしょう。それほど迄考えている方だったら、私ならすぐに離婚を薦めます。

人生のパートナーと考えておられる旦那さんがあまりに殺伐とした生活を送っておられる様で気の毒になります。

私共も息子の負担にならない為に近々墓石が完成予\定です。

縁起でもないと叱られるかも知れませんが、もし主人が今逝ったとしても、私は再婚は絶対に考えないと思います。

ひとりぼっちになる主人がかわいそう過ぎて、私は同じお墓に眠る事を望むからです。

葬儀で大変なのは親族です。ゆっくりお別れも出来ず時間が過ぎるのは望みません。

静かに家族で感謝を込めて送ってあげたいと思います。

 
 
 
↑のコメント。 (hitomi)
2006-06-01 00:33:31
長々すみませんでした。

お気を悪いされましたら、お許しください。無知な奴と笑って下さい。



私事ですが暫くblogを閉鎖しました。

記事は投稿するつもりです。

もう暫くしたら公開しますのでお寄り下さい。

又ご指摘のほど宜しくお願い致します。
 
 
 
→hitomiさん (tera)
2006-06-01 08:38:22
丁寧なコメント有難うございます。その後、いかがかと思っておりました。

葬儀の事情、寺・僧侶の存在の在り方、考えさせられることばかりです。hitomiさんのお考え、正におっしゃる通りでよく理解できます。

私は至りませんが、他のコメントをいただいている同胞の方々に、温かなお心をお寄せ頂き嬉しく思います。確かに頑張っていられる僧侶の方々沢山いらっしゃいます。どうか根気強く私どもをお見守りいただければ幸いです。自己改革がなければ、私達の業界?も、やがて淘汰されるであろうと、危機感を感じています。



宗門としましても、教化の実際については、各寺の住職の自覚に頼らざるを得ないのが実情です。唯一、地方巡回として、本山から代役の僧が寺を訪問して近隣檀家の方々に説法する機会があります。そんな折にでも、水戸黄門様のように住職さんにアドバイスできたり、気付いてもらったりできるといいのですが・・・。

(実は今回この代役僧に当たってしまったのです。)



さて、あの世離婚についてですが、ほんとにびっくりすることですね。この問題点は、家制度、檀家制度とも関連しているようですが、根底は、夫婦の絆の弱さにあると言えます。



ブログ、リニューアルなさるご様子。楽しみです。

よろしくお願いします。
 
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