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法事 (としちゃん)
2014-01-09 07:54:54
お墓参りの後に素敵なお食事ができるところがあるのはいいですね。
私が子供のころ、うちのお墓は赤坂TBSの近くにあったのですが、法事の後に、赤坂のうなぎ屋さんに行ったことが思い出されます。ごくごく子供だったので、うなぎが桶の中をぐるぐると動き回るのを見ているのが面白かったのです。小さい子供にとっては法事なんて良く分かりませんものね。
でもこういう機会があって、兄弟姉妹などと会って、亡くなった人のことを思い出させてくれるのは、それはそれでいいことでしょうね。
お母さま、ご存命でしたら90歳でしたね。
 
 
 
つながり (カンカン)
2014-01-09 12:20:16
ほんとうにお母様達がそういう時間を
くれていると思うわ。
この頃、また夜寝る前にバッハとかカレーラスの歌を聴いているのですが、マオリ族の子守歌
ヒネ・エ・ヒネを聴いていると今でも涙が出てきちゃう。
 
 
 
Kiri te Kanawa (久我山散人)
2014-01-09 20:16:25
Kiri te Kanawa
 すばらしいです
  マオリという
   人びとのことは
    今までよくわからなかったのですが
     最近はだんだんわかってきたようです
 
 
 
キリ・テ・カナワ (カンカン)
2014-01-09 22:21:30
以前にTVでも見たことありますが
そんなに素晴らしいとも思わなかった。
また聴いてみます。そういえばキャスリーン・バトルとか
もどうしているのでしょうね。

マオリっていわゆるアボリジニーですよね。
 
 
 
としちゃんへ (トントン)
2014-01-09 22:39:51
そうなの,これを楽しみに言ってしまうようなところもあるような・・
と言うわけだからではないけれど、ひどいもので!!!ワタクシ、お位牌を持っていくのを忘れた。
そして紅蓮ときたら、なかなか点かないチャッカマン、慌てて落としたのを私の掌に・・なんと火がついているほうを置くし・・あちち
でやっと点いたと思ったら隣のお墓に御線香を!!(笑)
母たちも笑っているでしょう。
明後日が母のお誕生日で生きていれば90歳でしたね。


 
 
 
カンカンへ (トントン)
2014-01-09 23:01:59
カンカンのお母様は最後まで「お母さん」でしたよね。
母は、インスリンの注射を打つためのビデオをもらってきたとき、あけもせずに私のところに直行したような人で「T子なら打てる」・・
子どものような人でした。
だから、なくなった時、私もよれよれだったので、とりあえず私の方が先でなかったとほっとした。
いまだに涙は出ない・・
父は母の出来ないことを私にさせようとしたのでしょうね、
だからほんとについて回って指示してくるような人だった。
父も母も妹たちとはまったく対し方が違うと、この席でも話に出ていました。
だからこんな子になってしまったかな・・(笑)
カンカンのお母さんはもう私の見本です。
涙が出ちゃうって羨ましい。
他のお母さんがうらやましいと言うより自分が「お母さんになりたい」と思って育った気がする、だから、見本です。
最後の言葉が「もう・・」
もう、無理と言いたかったのか・・もういいよと私に言いたかったのか・・
ほんのり柔かい顔でした。
 
 
 
久我山散人さんへ (トントン)
2014-01-09 23:30:07
Kiri te Kanawa、聴いてみたいですね。
マオリってアボリジニーなのかしら?
アート、絵画もいいものがありますよね。

 
 
 
トントンへ (カンカン)
2014-01-09 23:59:03
トントンはいいお母さんになったと思う。
反面教師だったのかな?(失礼な言い方でごめん!)
うちの母はふつーのお母さんなだけだと思う。
最後の「もういいのよ」というのは救いだったかもね。
きっと感謝の言葉だと思う。
私は離れていたので、電話の声をよく思い出す。
若いころは反発していたけど、年取るほどに好きになりました。

マオリとアボリジニーはニュージーランドとオーストラリアで人種が全然違うんだって。いい加減なことを
言ってしまった。
 
 
 
カンカンへ (トントン)
2014-01-10 23:43:55
母は反面教師にはならないほど性格が違っていたのよ、これが!
お母さんってふつーのお母さんがいいよね、すごいことだし、素敵。
私は、どう見たっていいお母さんじゃないよ。
いいお母さんになろうと思ったこともなかったような・・食べさせることだけね・・これだけは!だった(笑)これって自分の好みね。
若いころは反発していたけど、年取るほどに好きになりました・・いい言葉だわ、すごく。

マオリとアボリジニーはちがっていたのね。
パリのケ・ブランリでの、世界各国の原住民の作品(と言っていいのかな)を思い出しました。









 
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