測量のお話し

東京都八王子市の測量会社、株式会社東横測量設計事務所の社員のブログ。

境界のお話し(その2)

2010-06-23 18:21:50 | 社長との会話
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本日、ホームページをついに開設しました。
皆様ぜひともよろしくお願いします。

測量業界に転職して3年の社員によるブログです。
まだまだ未熟ですが、ひとつよろしくお願いします。

前回の続きになります。
地積測量図が年代によって作りが違う点について、土地の値段の変化と測量技術の進歩が関係してくる、との社長の分析が続きます。

社長「昭和40年以前の地積測量図は無かっただろ?」

私 「はい、登記所の職員の方にも昭和40年までの地積測量図はありませんと言われました。」

社長「八王子を例にすると、昭和40年当時は今と違ってまわりは畑や山ばかりだったわけだ。土地の値段も、今と比べてずいぶんと安かったと思う。」

私 「ですね。」

社長「当時の大学卒の初任給が1万円くらいだったとして、仮に1坪くらい面積が違ったとしても、2500円くらいの値段しかなかったんだ。」

私 「はい。」

社長「その程度の金額で、お隣さんとの遺恨を残したくない、そう考えるのは普通の感覚だよ。」

私 「ええ。」

社長「だから、境界から10cmくらい下がって塀を建てたり、ブロックを積んだりするわけ。ところが10年20年と経つうちに、電気、ガス、水道、道路が整備されて、最初は畑と田んぼしかなかった所が、今や市街地の中心地になった。便利になるとおのずと土地の値段も上がってくる。」

私 「はい。」

社長「しかも日本の国自体も力がついてきて、国土全体の土地の値段が底上げされた。」

私 「ええ。」

社長「当初、1坪2500円くらいだったのが、今や40万~60万くらいになっていたら、君ならどうする?」

私 「私なら、当然ですが塀から10cm離れたところが境界だ、と主張しますね。40万~60万くらいになっていたら1坪でも大切な財産なので。財産を子供に譲るとか、引越しをしたいので売りたいとか、そういった境界をはっきりさせる必要性にかられて、とは思いますが。」

社長「ところが、相手は10cm下がって塀を建てたことなど知らないから、塀が境界だと主張するよね。地積測量図が残っていないし、お互いで境界を確認した文書を取り交わしてもいない。」

私 「境界が問題になるのは、そういったことがきっかけになるんですね。」

社長「おおざっぱな説明だけどね。」

私 「では、地積測量図が残っていた場合でも、境界でもめることってあるんですか?」

社長「地積測量図があったとしても、それが作成された時期によって信頼性が変わってくるよ。」

話はもう少し続きます。
次回までお待ちください。

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境界のお話し(その1)

2010-06-17 19:17:33 | 社長との会話
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さて、まだまだ奥が深いこの世界。
先日、「お隣さんとの境界を決めてほしい」との依頼で、3人でお客様のところへ行ってきました。

最初はすぐに境界が決まるだろうと思っていましたが、次第に雲行きがあやしくなり・・・
で、よくわからなかった事を、社長に聞いてみました。


私 「登記所に収められている地積測量図なんですが、年代によって図面の作りが違う気がします。」

社長「そうだね。」

私 「だんだんと、図面の作り方が正確になって来ているというかシビアになって来ているというか・・・」

社長「最近の地積測量図は公共の基準点を使って測量図を作るようになって来ているんだ。」

私 「どうしてですか?」

社長「それよりも基準点って何だか分かるよね?」

私 「測量の作業をするための基準になる点です。その基準点に器械を設置して境界点を観測します。」

社長「だいたいそんな感じだ。で、公共の基準点を使って観測した場合の最大の利点は何だか分かるかい?」

私 「分かりません。」

社長「最大の利点は、復元性だね。誰がやっても、使っている座標系が同じだから、ほぼ同じ点に境界を復元できるんだ。」

私 「なるほど。でも以前は違ったんですか?」

社長「その時その時の測量士や土地家屋調査士の判断で、任意に基準点を設けていたんだ。」

私 「というと?」

社長「極端な例を言えば、畑とか田んぼの境界を観測する場合、土地のど真ん中に基準点を作ってあげれば四方八方が見渡せるから境界点の観測は楽だよね。基準点は1点で済むから金額も安く済む。ところが、何年か経って改めて来てみたら、そこに家が建っていて基準点が無くなっていた、って事は往々にあるよ。」

私 「なるほど。」

社長「いざ境界を復元しようと思っても基準点が無くなっているから、しかたなく家の周りの道路に基準点を作って、もう一度境界点を観測するよね。」

私 「そうですね、鋲などを打って基準点にします。」

社長「次に来てみたら、アスファルトが新しくなっていて道路に作った基準点が無くなっていた。」

私 「悲しい話です。」

社長「そういった時でも、公共の基準点を使って観測しておくことが良い方法だと思うよ。公共機関で管理されているので、よほどのことが無い限り無くならない。工事屋さんも注意するからね。」

私 「分かりました。」

社長「では最初の君の質問に戻ろう。地積測量図が年代によって作りが違う理由だけど、これは土地の値段の変化と測量技術の進歩が関係してくるんだ・・・。」


話が盛り上がってきたところですが、続きは次回。
お楽しみに。


小津坂峠に行ってきた

2010-06-10 17:14:36 | 散策
ホームページ開設前夜祭としまして、ブログを先行させます。

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記念すべきブログ第1回目は「力石小津農道(ちからいしおずのうどう)」を散策。
社長が若かりしころ、測量作業を行った物件だそうです。
自宅から近いこともあり、休日に友達と行ってみました。



陣場街道「河原宿」信号をさらに直進、童謡「夕やけ小やけ」誕生の地の少し手前、
恩方マス釣場の向かいに「力石小津農道」がある。



ほかのホームページを見ると、「小津坂」や「小津坂峠」との表記があり、
そちらのほうが一般的かもしれない。



遠くに見えるのが「力石小津農道」、勾配がきつそうだ。



勾配10%の標識を発見、ここから「力石小津農道」が始まる。



勾配はこんな感じ。



坂の途中で眼下を見る。ふる里の風景。
景色が良いのもここまで。



上恩方配水所を横に見ながらさらに進む。



下り勾配10%の標識を発見。
ここが峠か。



両側はコンクリートの壁。
圧迫感がある。



コンクリートの壁が続く。
坂も急である。



民家が見えてきた。
農道の終わりが近づく。



「力石小津農道」の終点か。
看板が見えてきた。



車の通過が少なく、峠の坂道を満喫できる。
運動部のトレーニングなどに最適かも。



小津町に到着。


勾配10%を実際に歩く機会も無いので、貴重な体験ができました。
地元の方ともすれ違い挨拶を交わしました。
ちょうど良い散歩コースかもしれません。

今回は「力石小津農道」を紹介しました。