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吉備国と出雲の境界 岡山県北部播州奥バタ屋東内銅相場の無いブログ那岐山因幡

2014-03-31 07:04:40 | Weblog
日曜日は あいにくの雨で 岡山・鳥取方面へ向かう観光バスは少なかったみたい 
しかし、山間の村々の草木には 春の元気が出てきていて
この雨で 一層 今朝は 野や山や 里山春の息吹で 活気づいてきていると思う
中国自動車道から 新しく出来た 鳥取道を走って 
鳥取道に入ると すぐに 左手に ワシの古代史では 気にしている【平福】って所 
山村の小さな村だが 
今 NHKでやっている
【黒田官兵衛】でも 出てくる 【赤松氏】 の平福の宿場町 も 左下に見えてるんやね 
まあ そこは 今回は通り過ぎて・・・

【智頭】インターという岡山県の山を越えた鳥取県の境の辺で 下道に下り
智頭のお年寄りの 少し歴史に詳しそうな お爺さんと30分ほど 会話

『この辺は その昔は 山を越えて 岡山県の山深くの荒くれた者が 
因幡(イナバ)に 女や子供を さらいに きていた って 』
---昔話しを 語ってくれた なんか『7人の侍の 取材地は此処の地区なのじゃ』  
とか 言っておられた

そうか 岡山の者を 鳥取の イナバの人々は 少し恐がっていた歴史が あるのかな?


兵庫県 西部山村の 佐用 上月  から 少し山を 北へ入れば 
宮本武蔵の出自の村辺りにも出る 
この兵庫県西部から美作東北部の一部よ このあたりは その昔の一時代 
赤松氏の勢力圏やね
赤松氏は その昔から 荒くれ者や 

ワシの祖母は 美作 那岐の辺りの出自で 親族では赤松系の その血の流れも
ワシにも 多少あると思うてる 東内誠㈱トーナイ スクラップ銅の追っかけ人

---それは エエとしても

鳥取の因幡の山村の人は 岡山の山の人を嫌っているんだよね
それは 今回で 解かったことやね
因幡の白兎 の伝説 もあって ここらも 日本昔話の国なんや
因幡の山村は 平地が少なく 山間に 石積みをして 田畑をその昔から 開墾してきたというような
田畑や ここらの川から エエ石がたくさん採れるので その石を上手に使って石積みし田んぼの畦を作ってるんやね 綺麗な石積みや
 

『川から 石を戴いたらあかんか』 って 村人に聞いたら
今は 国土交通省が見たら 逮捕される って 言っていたね 鳥取のお年寄りの方

そうか 川の石を拾っても 盗人になるんか そうなんや 
ワシの 欲しいような 石は どやろ 多分 一個何トンもあるような 大きな形の良い石や
ワシの もっている大型車に取り付けた ユニックなら 3トン程度のものなら吊れるけどね
エエ 格好の石が このあたりは たくさんあるのんじゃ

石を見て廻った次は 樹や 樹の古いのを 見てきた この樹は 樹齢900年と書いてあった
イチョウやね 
樹齢900年 と言えば 平らの清盛の時代より 前から植えたんや 凄い 古木や高さは
どうやろ 40mはある

これは 鳥取県と 元吉備国 その後に 美作国の どやろ 県境 国境の山の中に生えている
この山頂の 寺も 西暦700年に建立されたみたい と 書いてあるので 東大寺の建立が
西暦 何年 だったっけ また 忘れてしもうた【・・・西暦747年でした】
この 寺の もう少し 南側の 山頂は1000m程度でな 此処からは 日本海と 瀬戸内海 どちらも見渡せる場所や
その昔 渡来人が 陸地に上がってきたら この場所は 
まあ 部下に必ず 見張り 見渡しに行かせると思う

ここに 陣を構えて 瀬戸内 日本海側 双方を見張って いれば 何処に大軍が 来ているかもある程度は 古代でも 見えると思う
軍事的な要所やな
この山 の 西側には 陸上自衛隊演習場があるので 
此処には 進入したらアカン って看板が出てた

ここが 元 吉備国 美作国の 最北端やな
そこを 鳥取側に下りたら もうそこは 岡山県人を やや 嫌っている傾向やから
ここは 【出雲系との 境界線かも】 知れないね
(間違っているかも 知れない  単なる バタ屋東内 藤内 ワシの感覚なので)

この 大イチョウの樹 の 菩提寺は 浄土宗やったね 
そうか 浄土宗か・・・南無阿弥陀仏か法然 叡山を下りて開宗、
ご本尊は 阿弥陀如来(あみだにょらい)なのか

真言宗御室派 仁和寺(ニンナジ)も 
真言宗じゃけれど 
宇多天皇(888年)が 阿弥陀如来 をご本尊にされておられます

ここも 応仁の乱で 一度 消失しているのかな?

まあ ええか 京都 の 仁和寺 を書き始めたら また長くなる
春の仁和寺も 是非 立ち寄りたい場所やけれどね
あそこも見たい こちらも行ってみたいでは仕事が出来なくなる

お話しは京都には向わず 岡山 美作に戻して っと
応仁の乱 山名氏 この辺り と この美作のお寺 関係するかもしない
ある時代 山名が 菩提寺 を襲う 襲撃して焼いたように 書いてあった
応仁の乱で 赤松と山名は 敵 同士みたいだったんだねえ

戦国時代の始まり頃、 今から500年ほども前の時代かな?
そういえばワシの出身地には 山名もいているし 赤松もおるな

とにかく 美作の国 那岐山 山頂付近は 大山 蒜山高原には やや 景色で負けるが
山頂からの眺めは けっして そう負けたものではない
そうなんや 昨日も 山の中を どやろ400kmは走ったぞ

なんで ワシ 山に入っていくんじゃろね
日ごろは 大阪港の 海の玄関のところで 仕事してるんじゃけれど 
どないしてか 山中を徘徊してしまう習性のようなモノがあるのじゃ

まあ この週は 中国貿易も 盛んになって ワシのスクラップ貿易も繁盛して欲しい
中国貿易の 総量的にも 総額的にも 減少していってる傾向や

日中貿易は この3年間 減少を続けているのやで
それは 貿易統計にも 明らかに 出てきているのですね

2013年は 日本側の統計によれば 5兆円だったかの 貿易赤字金額やね(中国の税関では そうなっては いないのですが)
中国人が 2300年ほど前に セッコウ省付近から ニッポンを目指して 大陸から押し出されてもあったのでしょう
わが国に 住み始めて 2000年以上もの 貿易やから その貿易の歴史は古いのんやね
その2000年前から 船を使った航海術は かなりのものだった かも 知れない

だから 数千年も前の 米の元祖というようなものも6000年だったか 前のものが 有明海と 吉備 岡山県でも 見つかっているのですから
数千年も前から 海を船で航海して 行き来してたと ワシは空想してるんじゃ 
TVもない時代なので 夜は 星の位置も 暇だし 観察した と思う

そして 中国人が この島国に 最初 来たら 高い山へ 登って その島国の人の生活様子や軍事力を調べるやろ そないに思ってるんや

こちらのリンクは㈱トーナイ 日々更新会社HP

http://tohnai.com/top_main.html

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