おさむしのぜんつっぱりなブログ

5年目突入した三十路のブログです。

中身はありません…

地震凄かった(11日から14日の流れ)

2011-03-14 23:19:01 | 日常生活

今福島市に住んでいるんだけど、先日の地震は隣町の川俣町で体験しました。
これはやばいって初めて思える揺れ。
速攻で安全な場所に退避したけれど、机の上の書類とか床に落ちてぐっちゃぐちゃになってしまった。
身の危険を感じたので書類等は放置して逃げました。。。

外へ出ると信号は消えてるわブロック塀は崩れているわでひどい有様。
一刻も早く福島市へ帰還しようと車を走らせる。
途中車のTVで名取の町が消えていく様子を見ました。
津波なんて堤防周辺をちょろっとぬらす程度じゃなかったのかよ。
今までそんな程度で済んできたじゃんって思ってしまう。

福島市内の職場に戻り、上長と連絡を取り合う。
ワンセグにくぎ付け。
落ち着いたころ自宅に帰りました。

家。電気付かない。
玄関に懐中電灯があったので、部屋を照らしながら中に入る。
水槽の破損という最悪の事態は避けられていた。
が、水が思いっきりこぼれていた。
TVも落ちていた。
寝室もぐちゃぐちゃ。泣きたくなった。ここで寝るのか。
とりあえず床の水はなんとかせねば。
雑巾で床を拭く。手を洗おうと思ったが水は出なかった。断水。
あきらめて寝た。余震でさっぱり眠れなかったが。

12日。
一応出勤した。やることなし。やれることなし。
ワンセグをみて過ごす。
南三陸町が消えていた。大学の後輩確かあのあたりの出身では…気になる。
ちょっとだけ食料調達して援助した。
伊達のあたりの人に配られたとか。

13日。
一応出勤した。
電話で双葉郡担当していた時のパートさんの家が流されていることを知った。
原発のこともあり、隣町の川俣町に避難してきていることを知ったので出来る限りの援助をした。
勝手にやってしまったので上司に怒られてしまったが。
ボランティアには何とも言えない充実感があった。
お金にならないが。

14日。
ホワイトデーだが世の中はそれどころではなかった。
みんな放射能汚染が怖くて逃げていた@うちの社員。
逃げるか残るかぎりぎりの判断を強いられた。
「お前も逃げろ俺は避難する」といわれると逃げないととっても危険な気持ちになる。
こんなときこそ落ち着いて情報を整理してから行動しようと思い一人福島市に残った。
今のところは吉と出ているが…東電社員さん頑張ってください。