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【自動思考の自傷思考】

2024-02-04 00:00:00 | 仮説・プロセス

 

「思考」は「行為」ではない。

けれども、わたしの自己破壊的な思考パターンは、自傷行為にとても近い。

もはや「自傷思考」と呼んで差し支えない。

さらに、それが「自動思考的」になっているのだ。

 

 

身体とともに在ること。

現実を俯瞰して観察すること。

気分や意識を切り替えること。

身体をケアすること。

 

様々な技を身に付けてきて、今気づくことがある。

わたしの「思考」は、まだ絶望しているのだ、と。

 

 

あらゆる物事の最悪のパターンを、豊か過ぎる想像力でありありとイメージし続けてしまう。

これは、ある面から見れば「予習」なのだ。

(もしもこんな最悪のパターンになってしまったら……)というシミュレーションの役割を持つ。

ただし、幼少の頃より磨きに磨きをかけてきた《最悪のパターンの妄想力》は、どんどんスケールが大きくなり、今ではほとんど現実離れしたものになっている。

ついには「自傷思考」と呼べるほどに、その「想像ストーリー」は「被害的で自己破壊的なビジョン」が多くを占めているのだ。

 

 

自身の内側に向いている自傷思考は、臨界点を迎えてしまうとき、外側に向かって「すべて滅べばいい」というような殺戮的思考にも変化するだろう。

 

 

 

 

 

今までも、自分の自傷思考について、立ち止まって見つめることはあった。

けれども、そんなときは、必ず退行していたように思う。

 

非力な子どもの意識に戻ることで、「わたしには耐えられない」という逃げ道が生まれる。

あるいは、「こんなことわからない」「自分に責任を持てない」など、放棄する感覚だ。

『自分がどれほど自傷的な思考を続けているか』という現実から目を背けるために、退行という自己防衛が働いたのではないだろうか。

 

 

 

「自傷思考してんなぁ」と気づくたび、そんな自分に腐りそうになる。

でも、耐えてみようと思うよ。

 



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