日常感覚

世界を“当たり前の感覚”で見つめる日常エッセイ

「総合」を志した理論物理学者・シュレディンガー~著書「生命とは何か」からひもとくメッセージ

2006年05月13日 | Weblog
 先日、本の執筆のお手伝いをしている、「共鳴気功」の創案者・小川素治氏から、非常に興味深い本を紹介された。
 「気」と呼ばれる「摩訶不思議なもの」を明確な実体としてとらえることができ、いくつもの信じられないような治癒例を挙げている氏は、同時にすさまじいばかりの読書家。 自らが感知している「気」の本質を説き明かすべく、最近では量子力学のかなり深い領域にまで入り込み、先端科学でも解き得ない「重力」の正体を「気」との関係性の中でひもとこうとしている。
 まゆつばに思うかもしれないが、アカデミックな現場ばかりに先端の科学があるわけではない。多くは世間の光の当たらない場所で、真実の芽は育てられ、表に出るための準備をしているわけである。(そうした芽を掘り起こすのが本来のマスメディアの役割でもあるわけですが)

 で、紹介された本は、理論物理学の大家として知られたシュレディンガー「生命とは何か」。
 一時代前の大科学者とでも思えばいいが、その彼がいまから40年以上も前、1940年代に既に次のようなことを語っている。
 やや長いが、注釈を入れつつ紹介していこう。

 われわれは、すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする熱望を、先祖代々承け継いできました。  学問の最高の殿堂に与えられた総合大学(university)の名は、古代から幾世紀もの時代を通じて、総合的な姿こそ、十全の信頼を与えられるべき唯一のものであったことを、われわれの心に銘記させます。

 学問とは何か? それをシュレディンガーは、「すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする熱望」と表現しています。
 世界を説明する言葉。世界とは認識できるすべての領域。それを包括的に統一する知識。それを求める熱望。本当にその通りだと思います。

 しかし、過ぐる百年余の間に、学問の多種多様の分枝は、その広さにおいても、またその深さにおいてもますます拡がり、われわれは奇妙な矛盾に直面するに至りました。

 包括的な知識を求める熱望の結果、多種多様な学問が生まれた。そのクオリティーも、一時代前までと比べて信じられないくらいに広く、そして深くなった。 では、そこで直面した矛盾とは?

 われわれは、今までに知られてきたことの総和を結び合わせて一つの全一的なものにするに足りる信頼できる素材が、今ようやく獲得されはじめたばかりであることを、はっきりと感じます。

 ところが一方では、ただ一人の人間の頭脳が、学問全体の中の一つの小さな専門領域以上のものを十分に支配することは、ほとんど不可能に近くなってしまったのです。


 そう。すべてを一人ではまかないきれないくらいに、学問の領域は拡がった。当たり前だ。それが世界を説き明かすためのものである以上、無限の拡がりを見せても驚くほどのことではない。
 しかし、無限の拡がりは、別の見方をすれば学問の細分化につながる。専門家は増えたが、全体を包括する知識の実体は見えなくなってしまった。 シュレディンガーはそれを危惧し、警告している。

 この矛盾を切り抜けるには(われわれの真の目的が永久に失われてしまわないようにするためには)、われわれの中の誰かが、諸々の事実や理論を総合する仕事に思い切って手をつけるより他には道がないと思います。

 そうです。結局そういうことになる。

 たとえその事実や理論の若干については、又聞きで不完全にしか知らなくとも、また物笑いの種になる危険を冒しても、そうするより他には道がないと思うのです。
 (以上、エルヴィン・シュレーディンガー「生命とは何か 物理的にみた生細胞」岩波新書)


 専門化という名の細分化は、学問に限らず現代社会のあらゆる局面の必然。しかし人は本来、世界の全体を感じて、その世界の中で呼吸し、生きている。
 シュレディンガーが言うように、「ただ一人の人間の頭脳が、学問全体の中の一つの小さな専門領域以上のものを十分に支配することは、ほとんど不可能」。である以上、「たとえその事実や理論の若干については、又聞きで不完全にしか知らなくとも、また物笑いの種になる危険を冒しても」、「諸々の事実や理論を総合する仕事に思い切って手をつけるより他には道がない」。

 全体を感じる。これは理屈ではできない。専門化に慣れすぎてしまっている人には、雲をつかむような感覚でしかなくなっているかもしれない。
 こうしてあなたがいま、ここに生きているというのに!
 筆者はシュレディンガーのような「偉大な学者」ではないが、しかし、こうした時代の要請のなかで「総合」というものを志し、形にする作業を続けている。言ってみれば、それが仕事だ。

 今回はこの「初心」を忘れないための備忘録として、ここに記録した。小川氏のユニークで非常に興味深い研究については、また機会を見て紹介することにしたい。