断片録

思うことなど漫然と記す。(記事内容をよりよくするため、しばしば修正や削除もします。)

西洋近代について 11

2019-03-19 21:57:39 | 日記
※まだソ連在りし若き頃書いた駄文。記念に載せます。過ちも多いので、読者諸氏よ、夢信じる勿れ。

ルネサンスの長所としては、何ものにもとらわれない自由な精神であり、喜怒哀楽の豊かさであり、不自然にエロスを抑圧することもない。自然を大いなる書物とみなし、古典を尊重し、特定の主義主張に拘泥しない。その理想はある意味ではレオナルド・ダ・ビンチである。逆に、ルネサンスの短所は共産主義に集約されている。生命に対する畏敬の念の欠如であり、人権意識の濫用であり、暴動への衝動であり、放恣への傾向である。これみな共産主義の心理的傾向を一面において如実に表すものではないだろうか。

西洋近代について 10

2019-03-19 21:51:41 | 日記
※まだソ連在りし若き頃書いた駄文。記念に載せます。過ちも多いので、読者諸氏よ、夢信じる勿れ。

総じてルネサンス人は、野蛮で、けんかっ早く、自分の権利を主張するばかりで(ルターもどこかでそんな指摘をしている)、他人の権利を尊重せず、生命に対する畏敬の念も持たない、実に猥雑なる人種であった。半面、素朴な信仰心を持ち、素朴に神を信じる者も多かった。パフォーマンスが得意で、機知と諧謔に富み、時に悪意でもって他人をからかうこともしばしばであった。同時に個性的で、喜怒哀楽も豊かであり、自分の才能を思う存分開花させていた。当然、当時は議会などもなかったから、君主や政治家が世論を汲んで政治を行うこともできず、政治が順当に行われなければ、人々の不満は潜在化し、鬱積し、突然の暴動となって現れるしかなかった。野蛮な人々が多かったから、不満は暴徒を作り、暴徒は扇動者に煽られ、ただ暴力的に流血沙汰を好むだけとなった。

西洋近代について 9

2019-03-19 21:39:52 | 日記
※まだソ連在りし若き頃書いた駄文。記念に載せます。過ちも多いので、読者諸氏よ、夢信じる勿れ。

ミラノのある若者貴族たちは、扇動者に扇動され、さる君侯の殺害計画を立てた。殺害前には、彼らは民衆のために聖者に成功を祈願した。計画は首尾よく運んだが、彼らは捕まった。実は彼らに影響を与えたものが、古代ローマの陰謀家カティリナであった。カティリナは、古代ローマ共和制末期の野心的陰謀家である。彼は当時のローマ社会で貧富の差が激しく、社会にわだかまっていた不満を利用して、暴力により政権を取ろうとして陰謀を企てた。大動乱の一歩手前まで進んだが、政敵キケロから元老院で、陰謀を弾劾され、逃亡中敗死した。彼の陰謀は社会改革的なものではなく、単に自分自身の野望を成就せんがために、社会不満を利用したものだった。彼の人柄も、当時のローマ社会の道義の廃れ、放恣な頽廃面を代表するものとされている。この人物は誰かに似ていないだろうか。そう、マルクスに瓜二つの人物である。悪霊めいた妄念に憑かれたカティリナの陰謀主義精神がルネサンスに伝わり、一部の人々がカティリナ的陰謀の虜となった。これが近代のマルクスにまで流れ込んでいる。古代ローマの遺産はキリスト教だけではなかったのだ。

西洋近代について 8

2019-03-19 21:29:13 | 日記
※まだソ連在りし若き頃書いた駄文。記念に載せます。過ちも多いので、読者諸氏よ、夢信じる勿れ。

中世と同様、ルネサンス人は容易に群衆となり、暴徒の群れと化した。この時代、暴君に支配され、自由を奪われていた地域に住む人々は、まず暴君の殺害を考えた。暴君さえ排除されれば、問題は自ずと解決されると人々は不合理にも考えていた。法は尊重されず、法自体も無整備だったので、どんなやり口さえも認められた。ボッカッチオは述べる、「私は独裁者を王とか君侯とかと呼び、これを自分の首長として忠誠を守るべきであろうか。否! その者は国家の敵である。その者に対して私は、武器、陰謀、密偵、陥穽、詭計を用いることができる。それはやむを得ない神聖な仕事である。暴君の血よりも好ましい犠牲は存在しない」と。暴君の殺害は、時には市民の理想とも信じられた。かくして暴君や君侯は、教会の入り口で、教会の中で、荘厳なるミサの間に、暴徒により殺害されたのである。

西洋近代について 7

2019-03-19 21:26:06 | 日記
※まだソ連在りし若き頃書いた駄文。記念に載せます。過ちも多いので、読者諸氏よ、夢信じる勿れ。

ルネサンスは、カトリック教会により不自然に抑えつけられていた感情を解放した。人間的な喜怒哀楽のみならず、憎悪や破壊衝動さえも野に放った。それは放恣にも近い自由で、混乱と暴動、ついには内乱をも招来しかねない自由だった。規範が必要だった。外的な規範(他律)はもはやアテにならなかった。人々は自分の心の中に規範を樹立させなければならなかった。これが自律ということであり、この仕事は宗教改革を待たなければならなかった。