色んな意味で、私のルーツ。
縫物を楽しいと教えてくれた人だし、
悲しい思いも苦しい暮らしもした人だから、
すごく強かったし、
面白い考え方をする人だった。
たまに泊まりに来ては、
しばらく私と弟の間で眠るばあちゃんは、
足腰をマッサージしてあげるとそのお礼に、
沢山のお話をしてくれた。
「怖い話してあげようか」と決まっていうので、
真っ暗にして、三人ピッタリ引っ付いて、
眠くなるまで話を聞いた。
大人になってわかったことは、
あの時の怖い話は思いつくままの作り話だったってこと!
よくまぁ、あんなに怖いお化けの話をたくさん作ったもんだわ(笑)
私にも孫が出来たなら、
絶対同じように作り話を沢山してあげるようって決めてる(笑)
戦争中の話もたくさん聞いた。
これは正真正銘ホントの話だったよね(笑)
敗戦後に赤ちゃんの母をしょって逃げる話は
何度も聞いた。
夜中に見つからないように側溝を這うように進むんだよって。
子どもの私は聞けば聞くほど目がさえる。
骨と皮だけの死にそうな母を
周りの人に置いて行けと言われても、
絶対離さないでいてくれたから、私は今生きてるのよね。
おかゆに顔から突っ込んで大やけどした赤ちゃんの母を
内緒で治療してくれて、とても効く薬をくれた中国人のお医者さんの話も好きだった。
戦争はしらないけど、
戦争のなかを走り回ったばあちゃんの口から聞いた話は、
半世紀近く経っても驚くほどよく覚えてる。
今ねぇ、
日本も世界もおかしいんだよ。
ばあちゃんは空から見てるから知ってるだろうけど。
ばあちゃん生きてたらなんて言うかね。
