つらつら日暮らし

彼岸会のお中日(令和5年度春彼岸4)

今日は春分の日である。転ずれば、彼岸会のお中日である。そこで、思うところはお中日についても、色々な定め方があるということだろう。

然し何故に春と秋との彼岸といふ時を選び、其中に就いても中日を最も大切とするのであるかと云へば、梵網経の中に春分と秋分と二度づつ七生の世の前の父母親族等を祭ることが出て居るので、一年大層日の長い時もあれば短い時もある、寒い時もあれば暑い時もある。
    大内青巒居士「彼岸」、『人生の快楽』文昌堂・大正5年、390頁


これは、明治時代に在家仏教の展開をした大内青巒居士(1845~1918)の見解である。それで、気になったのは、『梵網経』の中に彼岸に関するようなことがあるとのことだが、これは事実だろうか。

・・・無いような気がする。いや、七生云々という話は、おそらく以下の一節のことだろう。

なんじ仏子、慈心を以ての故に放生の業を行ぜよ。一切の男子は、是れ我が父なり。一切の女人は、是れ我が母なり。我れ生生にこれに従って生を受けざること無し。故に六道の衆生は皆な是れ我が父母なり。而して殺して而も食するは、即ち我が父母を殺し、亦た我が身をも殺すなり。一切の地・水は是れ我が先身、一切の火・風は是れ我が本体なり。故に常に放生を行じ、生生に生を受くる常住の法をもて、人を教えて放生せしめよ。若し世人の、畜生を殺すを見たる時は、応に方便して救護し、その苦難を解き、常に教化して菩薩戒を講説し、衆生を救度すべし。若し父母・兄弟の死亡の日には、応に法師を請して菩薩戒経を講ぜしめて福をもて亡者を資け、諸仏を見ることを得て、人・天上に生ぜしむべし。若し爾らずんば、軽垢罪を犯す。
    第二十不救存亡戒


あれ?違うかな?一応、父母を祭る話なので、良いかなと思ったが、青巒居士が指摘すること、『梵網経』に該当する文脈が無い。だいたい、「春分・秋分」とか言っているけど、この経典には「春」も「秋」も、一字も出て来ない。もしかして、以下の文脈と勘違いしているのではないか?

仏、目連に告げ、十方の衆僧、七月十五日に於いて僧の自恣の時、当に七世の父母及び現在父母、厄難中の者の為に、具飯、百味・五果、汲潅盆器、香油・錠燭、床敷臥具し、尽世の甘美、盆中に著くるを以て、十方の大徳衆僧を供養す。〈中略〉清浄戒を具うる聖衆の道、其の徳汪洋なり。其れ此等の自恣僧を供養すること有れば、現在の父母、七世の父母、六種の親属、三途の苦を出づることを得て、応時に解脱し、衣食自然たり。
    『盂蘭盆経』、訓読は当方


絶対、こちらと混同していると思う。上記は、経典の名前から分かる通り、盂蘭盆会である。春分・秋分ではなくて、7月15日、いわゆる夏安居の自恣日である。だいたい、もし『梵網経』に春分・秋分のことが書いていれば、もう少し彼岸会の典拠として出て来るはずだが、出て来ていないのは、典拠にならないからである。

それで、『梵網経』と「春分・秋分」の関係を示す文献があるかな?と思ったら、以下の一節があった。

二時の頭陀と言うは、何れの時に在りや。謂わく正月十五日より、三月十五日に至る。是れ春分の時なり。八月十五日より、十月十五日に至る、是れ秋分の時なり。
    『梵網経直解』


中国明代の註釈書に、言葉として「春分・秋分」が出ていたが、これは、二時の頭陀の期間として、春の期間・秋の期間というくらいの意味で使われている。しかも、父母の供養などに関係が無い。よって、こちらも典拠にはならない。以上の通り、大内青巒居士の言葉に導かれて、彼岸会と『梵網経』の関係を検討したが、関係が無かったことが分かった。

明日からは、また、「けふ彼岸 菩提の種も 蒔く日かな」の俳句を検討してみたい。

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