つらつら日暮らし

胎児に授戒の功徳は及ぶのか?(再)

以前に聴講した或る学会で、胎児に及ぶ人権の有無について、現在のアメリカ合衆国内での議論をまとめられた方がおられた。これについて、我々仏教徒は、直接の議論については持ち得ないと思うのだが、親しい議論は存在しているかもしれない。例えば以下の一節はどうか?

〔十三〕大集経に云、妊女人、胎のやすからざる事を恐れて、先三皈を受をはる時ハ、児害るゝ事なく、乃至生れて後も、身心具足せし事、善神擁護すと云へり〈今世間親証拠多し〉
    『戒法随身記』巻上・23丁表~裏


この『戒法随身記』だが、黄檗宗の妙幢浄慧(1650?~1725)が記したもので、貞享4年(1687)に刊行された。本書は特に、菩薩戒に関する唱導本である。その中で、以上の一節が見える。なお、典拠は『大集経』であるとしているので、調べてみた。

我れ無量・無数の世中に於いて、常に何れの処にも是の妊身の諸女人等有りて、悪鬼乃至悪薬の防遮せんことを念ず。是の故に我れ往きて先に三帰を教う、三帰を教え已れば、一切の悪衆及に諸毒薬の能く害を加えること無し。是の児、生じ已りて常に善心を得て、智慧を具足して身体に缺無し。若し遊行する時、常に無量の善神擁護することを為して、面貌端正にして衆生楽見す。
    『大方等大集経』巻32「日密分中四方菩薩集品第二之二」


どうも、これが、典拠となっている一節である。妊婦が三帰を受ければ、生まれた子供に大きな福があるという話となっている。だが、実際には『大集経』自体から引用したわけでは無い。もう少しよく調べてみると、別の典拠が見えてくる。

又た大集経に依りて云く、妊身の女人、胎の安からざるを恐れて、先ず三帰を受け已れば、児に害を加うること無し。乃至、生れて後、身心具足して、善神擁護す。
    『法苑珠林』巻87「三帰部第三・得失部第六」


なんだろう?こうやって比べてみると、『大集経』の原文と『法苑珠林』の引用文、大分違うな。ついでに、道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻下三「導俗化方篇第二十四」にも『法苑珠林』とほぼ同じ文章が見られる。

結局、『戒法随身記』に於いては、「三帰」を論じる際に、『法苑珠林』を元にしたのかな?などと思うが、細かな出典については、また何かの機会に調べてみたい。

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