つらつら日暮らし

『正法念処経』に見る「四種受戒」について

少し気になる文脈を見出したので、確認してみたい。

 幾種の戒を取るや。略して而も之を言うに、四衆眷属の四種受戒、彼れ皆な果を摂す。何等をか四と為すや。
 所謂、比丘・諸比丘尼・諸優婆塞・諸優婆夷なり。
 四衆受戒、彼れ是の如き人、幾種の別別の受戒有るべきや。
    『正法念処経』巻44「観天品之二十三」


以上のように、まずは、四衆に授戒法の違いがあると指摘しているのだが、まずその何れの授戒に基づいても、果を得られるとしているのである。そこで、「四衆眷属の四種授戒」とあるのだが、まずその一部を見ておきたい。

 彼の優婆塞、略して四種有り、何等をか四種なるや。一には一分行、二には半分行、三には数数行、四には一切行なり。
 一分行とは、唯だ一戒のみ持す。
 半分行とは、謂わく三戒を取り、三戒を行ず。
 数数行とは、不常の受戒なり。
 一切行とは、五戒を受持す。
    同上


ここから、「四種授戒」とは、「分受戒」と同じことを指していることが分かる。要するに、優婆塞が受ける「在家五戒」について、どれくらいの数を守るかを示したのである。一分とは一戒のみ、半分とは三戒、そして一切とは五戒全部なのだが、個人的に気になるのは「数数行」である。これは、その後の説明の文章を見ても良く分からない。よって、少しくその「数数行」を掘り下げてみたいと思ったのだが、表現としては本経典以外に見当たらない。

よって、断念。

ついでにいうと、「数数行」の説明である「不常受戒」についても、他の漢訳仏典などには見当たらない表現なので、掘り下げようが無い。というか、「不常の受戒」などと訓じてみたが、根拠は無い・・・でも、流石にここだけで終わると問題なので、話を「分受戒」の側に展開しておこう。

 毘曇釈に言わく、此の持中に拠りて一分・小・多分等を宣説す、受事に関せず。
 五戒中に於いて具受得し竟んぬ。
 若しくは一戒に於いて名づけて一分と為す。
 若しくは二戒を持せば名づけて小分と為す。
 若しくは三・四を持せば名づけて多分と為す。
 若しくは具持すれば名づけて具足と為す。
 若しくは自らの妻に於いて亦た婬せざれば、名づけて断婬と名づく。
 若しくは成実に依れば分受しても亦た得る。其の分斉を量れば、或いは一二乃至具足を受く。
    『大乗義章』巻12「五戒義五門分別」


一応、上記の一節では『成実論』を参照しているというが、巻8「八戒斎品第一百一十三」のことだろうか?とはいえ、「八斎戒」とは通常の五戒とも、護持の方法が違うはずなので、牽強付会的な印象もある。いや、そもそもの「毘曇釈」について指摘すべきなのだろうか?とはいえ、それは『阿毘達磨大毘婆沙論』巻124「業蘊第四中表無表納息第四之三」に於ける一節を示すものだろうが、これも『大方便仏報恩経』巻6「優波離品第八」などと見比べると、また違う話に見えてくる。

やはり、一度、分受戒・満分戒に関する話は、検討しておいた方が良さそうだ。

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