●歩いた日:2016年8月27日(土)
●歩いた所:大荒巻・王野田・荒巻・住吉・表木・日吉・清水・鶴田(以上「横堀」)
高倉・荒屋敷・館腰・沖田・中村(以上「旧太田町駒場」)
●歩いた足跡(ログ)(道のり:7.8km)
(以上の地図:国土地理院)
さらに進むと、真っすぐな道の脇に、旧道とおぼしき道路が残っているのでカメに収める。
📷003:「表木」の旧道跡
古い道は、写真左の家の屋敷を迂回するため、ここでカーブしていたのであろう。S51年の航空写真には、古い道しか写っていない。
新旧の道に挟まれて墓地がある。墓地があるので元の道も残されたと思われる。古い墓は古い道に、新しい墓は新しい道に向いている。
さらに東に向って行くと、家に挟まれた交差点に出る。ここは、「表木」と「日吉」の境付近である。
📷004:道角の魔よけの神様
道が交わる一角に、見事な鍾馗様が、きれいにふかれた屋根の下にどっかと立っている。その右側の建物の中には、木彫りの大きな面が収められている。いずれ集落に悪いものが入って来ないよう、魔よけのために、村の入り口に置かれたものである。昔はどこの集落にもあったと思われるがが、今はほとんど見かけることはない。
今でもこんなにきちんと手をかけているのをみると、ここの集落の人たちの心映えが伝わってくるようである。
この一角には、さらに庚申塚と小さな社も並んでおり、いつまでも残したい風景である。
余談だが、今歩いて来た「住吉」も「日吉」も。「地名へのいざない」によると、いずれも神社の伝播地名とある。なぜここに神社にちなむ地名が二つ並んでいるのだろう。
鍾馗様の道角から北に進み、「王野田」から続くバス路線の道に再び出る。この辺り、「清水」である。バス路線をまた離れてさらに北に向かう。
📷005:庚申塚と小社と墓地と
道の左側は「鶴田」である。なにやらめでたいような地名であるが、本来は「連なった田」を意味し、「沖田」と似た由来らしい。「沖田」ほどではないが、「鶴田」も「仙北平野」には何か所かある。
道を行くと、道端に庚申塚が、左前方に小さな社と墓地が目に入る。あわせてカメラに収める。庚申塚の隣には二十三夜塔も並ぶ。また、ログ地図にあるように、道の右奥(東側)の田んぼの中には、少し大きい社がぽつんと建っている。 生活が厳しかっただけに、昔の人々の信仰心の篤さが偲ばれる。
(その3に続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます