フリーペーパー 「て く て く」

自然暮らしゆとり情報誌 てくてく のブログ
地球とつながる暮らし方をのんびり探しています

■ コラム * てくてくと歩む #05■

2011年01月24日 | コラム「てくてくと歩む」
本当の自分との出会い
columnist:植松誠二 ウエマツ自然医療センター


私が医療に携わるようになり、22年という月日が経ちました。
現代医学の限界を感じ自然医療を取り入れて17年、この間に学ばせていただいたことは、人間とは
自然の一部であり、自然から切り離しては生きては行けない存在なのだということでした。

本来、私達の知能は生まれながらにして、健康で幸せに生きる方法を知っているように思えます。
カイロプラクティックの世界では、この知能を先天的知能と呼んでいます。
この先天的知能と、生後学んでゆく後天的知能のバランスがよければ、自然界でも人間界でも
幸せな生活を送る事ができるでしょう。どちらがかけてもうまく行かないものです。
近年の多くの方は、後天的知能の判断に偏りがちで、そのために病気になる人も多いのではないか
と思われます。例えば、本来「仕事」とは、自分や家族、それに携わる人が健康で幸せになるために
行うべきはずのものですが、多くの方は、仕事を優先するあまり、心と体を病んでしまっているのです。
それは、「自分のことよりも仕事を優先させるべきだ」という社会性から来ているのです。
この判断は後天的知能が判断します。しかし、先天的知能は、「本当にそれでいいの?」、
「このままでは健康で幸せになれないよ!」と判断します。すると先天的知能は後天的知能に
メッセージを送ります。それが病気であり、さまざまな症状であると考えています。

私の仕事は、訪れて下さった患者さんに、先天的知能からのメッセージをお伝えすることだと思っています。
しかし患者さんは、症状や病気を取り除きたいと思い来院されますので、
いきなりそれは、「メッセージですよ」といっても理解してはいただけません。
そこで、さまざまな検査や自然療法を行いながら、その症状の原因について共に考えて行きます。
次第に先天的知能からのメッセージに気づきはじめると、意識が変わり、行動に変化が現れます。
多くの場合この時点で、症状は消え始め回復して行きます。
私達は、この先天的知能と後天的知能とが調和することにより、本当の自分になれるのではないでしょうか?
それはまさに、自然と調和した生き方になるのだと思います。




■ コラム * てくてくと歩む #04■

2010年10月09日 | コラム「てくてくと歩む」
呼吸を育む
columnist:谷戸康洋 whitebirch yoga group(ホワイトバーチヨガグループ)


命は呼吸に始まり呼吸に終わります。
人間だけではなく存在するものすべてが呼吸をしています。
花や木も常に呼吸をしています。呼吸をしているということは生かされているということです。

私は普段ヨガを指導しています。
ヨガを始めるとポーズや呼吸の前に習う教えの1つにアステーヤ(不盗=盗まない)というものがあります。
私たちは大気中のエネルギーを呼吸で頂くことにより生かされています。
何も意識をしないで呼吸をするとエネルギーを盗んでいると同じことなのです。
呼吸ができることに感謝の気持ちを持つことにより盗みではなくなります。
呼吸は生理的に必要な機能であり、あらゆる感情と繋がっています。
気分が落ち着いているときは呼吸も落ち着き、気持ちが乱れているときは呼吸も乱れています。
息という字は自らの心と書きます。
呼吸の流れが乱れた状態で毎日を過ごしていると寝ても意識が興奮して休めなかったり、
やる気がおきなかったり、心身にとってネガティブな作用を感じることが多くなってきます。

呼吸を観察し、今の自分の状態を観察しましょう。
吸っているときはエネルギーをもらい吐くときはエネルギーを返す。
このバランスが整うことで心身のバランスが整います。
「吸う」「吐く」この2つの長さやボリューム、バランスを整えるのは最初は難しいかもしれません。
最初は形にこだわらず気持ちよさを感じることが大切です。

大自然も変化を自然に調整しています。
もの凄い嵐が来たあとはスーッと静かで穏やかな状態になります。
我々もどんな変化がおきたときでも常に心の奥深くは冷静な状態で、自身の自然な調整力を味わいましょう。
周りの環境が激しく変化しても呼吸の仕方で対応する。
これが呼吸の効果の1つです。
身体的にも深く落ち着いた呼吸というのは血流が良くなり、免疫力が上がるという効能があります。

日常の中で自分を観察しながら深く長い呼吸を意識しましょう。
長息=長生きです。
今日も呼吸をしています。
何気なく呼吸が出来ていることに今日も感謝です。



■ コラム * てくてくと歩む #03■

2010年07月16日 | コラム「てくてくと歩む」

愛は静寂から―
columnist:畑山満利子 CafeKokopelli(カフェココペリ)


地上表面に見える樹々はそれぞれの葉をつけ、

花を咲かせ、実を結び、様々な彩りを見せています。

この光景は、根っこでつながっている家族や

根っこでつながっているすべての存在を思い出させます。

表面にだけ目を向けると見落としてしまうものがあります。

一本一本独立して見える樹々の地下では、

深く張りめぐる根がしっかりと繋がり、絡み合い、支えあっています。

私たち家族も同じです。

共に暮らしていても、離れ離れであろうと、

どんな形をとっていても深い部分では、

強い絆で結ばれています。

それぞれが平安で調和し、歓びを分かち合いたいのではないでしょうか。

ともに暮らし学びあうことは愛のある素晴らしいことです。

そして、離れていることには、きっと意味があるのでしょう。

この経験が、見えない内側にある「しるし」を探すきっかけと

なるかもしれません。

別れの経験には、多くの深い気づきが隠されているかもしれません。

この経験でしか学べない素晴らしい成長となるでしょう。

今までの経験の一つが欠けても今の私ではないのです。

すべての出会い、別れ、出来事は、私の気づきの歴史です。

それはありがたい神様からのギフトです。

苦しみや悲しみを味わいつくすと、慈愛や感謝に姿は変わります。

「ただ愛する」という愛の本質の気づきは、

私自身を癒し目覚めさせてくれました。

風が吹いたら揺られ、雨が降ったら濡れてみます。

起こることを静かに受け止めたら愛が見えはじめるでしょう。

見える部分と見えない部分はセットです。

見えない部分に意識を向けると、全く違う世界や関係が見えてきます。

そこにはとても大切なものがあることに気づくかもしれません。

私たちは深く太くしっかりつながった光り輝く家族です。

すべての人々はつながっています。


―すべての存在に愛をこめて…


2010.3  畑山 満利子


■ コラム * てくてくと歩む #02■

2010年03月31日 | コラム「てくてくと歩む」
columnist:石田文絵 助産院愛花(あろは)

助産院ウテキアニの小百合さんやそこに集まる同じ志を持つ仲間との出会い。

“私がなりたかった、やっていきたいこと”がまさにそこで見つかった。

そして改めて“産婆になる!!”と決意した。

恐がりでいつも石橋を叩いて割ってしまう私のその決意が揺るがないように、

橋がわれないうちに?自分自身の決意表明の証しとして

開業届をだして後戻りできなくした。

決意すると恐ろしいくらい?その決意が生き物のごとく歩き、働きだした。

「こんな自分がやっても大丈夫なのか・・」とよく不安を口にしていた私に、

小百合さんは

「大切なのはお産の数や技術ではないの。

日々の生活の中で起こる出来事一つひとつから、

いかに自分をみつめ自分を知り、

心のあり方・考え方を学び心の掃除をしていくか。

そうすることで命の守り人としての役割を持つ人間へと導かれていくんだよ。」

とウテキアニ流「産婆」養成の基本と

「だいじょ~ぶ、だいじょ~ぶ!」のおまじないともいえる言葉と笑顔をくれた。

まだ“本当の産婆とは”自分の中で表現できる段階ではない。

きっとそれはこれから私が学ぶべき時に学ぶべき事を淡々とこなし

(←ここがミソ!)

積み上げてきたあとにわかってくるものなんだろうな~。

今ゆっくりした歩みの中で感じ始めてきたこと。

それは自分が本当に“純粋にそうなりたい、

そのためにどうしたらよいのか知りたい、

そしてそのために働きたい”と思ったとき、

どうしたら自分の中にその答えがおりてくるのかくるか、

そのためにはどういう自分でいる必要があるのか。という事。

そして助産婦として母として女性としてそれをやっていこう、

やり続けていくことが自分の仕事だと自分に言い聞かされているようにも感じています。

始まったばかりの助産院愛花(あろは)流“「産婆道」をみつける旅”は

今を感じながらこれからも焦らずゆっくりていねいに“てくてく”歩んでいきます。

2009.9  石田 文絵


■コラム * てくてくと歩む #01■

2009年12月20日 | コラム「てくてくと歩む」
columnist:石田文絵 助産院愛花(あろは)


子供の頃からいろんなものに手を広げ、

やってみるけどどれも長続きしない根性なしの私だけれど、

1つだけ続いているものがある。

それは“産婆になる”夢を持ち、

その道を亀さんのごとくだけれど歩いていることだ。

物心ついた頃から、祖父の家で飼っている豚のお産となると真っ先に飛んでいき、

気がつくとおっぱいのあま~いにおいのする生まれたての赤ちゃんに吸い寄せられるようにしている私をみて、

「そ~んなに好きならお産婆さんになればいいんじゃない?」

 一番はじめに“お産婆さん”を紹介?してくれたのは

私を生んでくれた母だ。

「今は“お産婆さん”って言わんのだに。“助産婦さん”」

“何だかあんまり聞かない職業だな~”と思いつつも

赤ちゃんがうまれるってこと、 そこに一緒にいられて生まれたての赤ちゃんに触れられていられると知った私は

迷わず10歳の若さで?!“お産婆さんになる”と決めた。

無事免許が取れ、法律上は「助産婦」になれた。

法律上はもちろん、私の回りにはお産婆さんの姿はなかった。

産むのも働くもの病院が主流。 当然のように病院で働いた。

そのうち名称も「助産師」に変わっていった。

“本当はお産婆さんになりたいんだけどなあ・・”

そう思って何か違和感を持っているもう一人の自分の声に気がついたのは育児休暇中だった。

気がつきはじめたら何かが動きだしだ。

その時は導かれて来ているんだとは全く感じなかったけれど・・・



※てくてくと歩む#02は、現在発行中のてくてく8号に掲載中です