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酒飲みの「土佐っぽ」-高知県人 「いごっそう」と「はちきん」の話

2012-12-17 22:26:10 | Weblog

酒飲みの「土佐っぽ」-高知県人 「いごっそう」と「はちきん」の話

 私の郷里は高知県である。リタイアした今、また生家の隣地に居住している。先日、JRの土讃線に本当に久しぶりに乗った。学校が岡山だったので、在学中は帰郷の度に利用していたが、就職して親元を離れ、流浪のサラリーマンになってからは殆ど利用したことがない。サラリーマン人生の大半を過ごすことになった赴任地は九州長崎であったので、入社当時は、専ら国鉄(JR)を利用していた。しかし、帰郷ルートとして時間的には決して不利ではないが、岡山回りの鉄道路線は遠回りのような気がして、感覚的に馴染めなかった。その所為であろう、マイカーを持ってからは長崎と高知を真っ直ぐ結ぶ「長崎=島原=熊本=阿蘇=竹田=佐伯=宿毛=中村(四万十)=高知=野市(我家)」ルートがお気に入りのコースとなった。

ところで、高知県は昔から四国の中でも他の3県と違う、独特の文化が発達してきたと言われている。戦国時代に、一度は長宗我部氏が四国を統一したことはあるが、険しい四国山脈に囲まれている地理的特性上、中央の影響が少なかった為であろう。実際、戦国、江戸時代を通じて土佐人は何処に行ってもその風体と言葉で直ぐに分かってしまったらしく、豊臣末期に徳川家康に密使を送ろうとして、途中で豊臣方に捕まってしまって止む無く西軍についたそうである。関が原の戦いの後、山内一豊が傀儡として土佐に入って来たので、少しは他藩並みの文化に近づいたかも知れないが、最初、長宗我部の元家臣の反発が強く、山内一豊は治世に大いに苦労したようである。2代目になって、武士階級を上士と下士に分け、長宗我部氏の武士を下士に取り込むことによりやっと治めることができた。この時の上士と下士の分離が土佐藩の明治維新の原動力になったと言われている。

ともあれ、土佐では昔から、酒を飲んで交流する習慣があったようである。江戸末期、各藩とも財政難に陥っていたが、それぞれ(地場)産業振興や(密)貿易等で財政再建を図ろうとした時、土佐藩の改善策は「おきゃく(お客)」、土佐では宴会の事をこう呼ぶ、を自粛することだったと言う話がある。それくらい土佐っぽ(土佐人=高知県人のこと)はお酒が大好きである。また、飲み方も変わっていて、自分の杯には決して酒を注がない、必ず相手に注いで貰うのが基本である。最近は飲みたいだけ手酌するのが当たり前で、先輩や上司に酌をしない輩が増えてきているが、土佐の飲み方は、飲みたい人は、まず、誰かに杯を渡し酒を注ぐ、注がれた人は一気に飲み干して直ぐに杯を返し酒を注ぐ、こうして返杯により飲みたい酒を飲む訳である。だから、沢山飲みたい人は自ずと酒を注ぎ回るのである。無調法な人はやたら自分の前に杯を並べるはめになり、返杯しないので他人が楽しめないことになる。飲めなくても杯を空にして注いであげるのが礼儀である。飲めない人は花嫁のようにストック用の大きなコップを手元に置く位の配慮が必要であるが、飲めないと余計に飲まされるのは世の常である。飲酒を肯定するわけではないが、ここにコミュニケーションの原点がある。従って、土佐では酒を飲めないことは交際が下手と言うことで誰もが酒飲みになる、また、努力をする。

という訳で、高知県では飲酒の機会が多く、当然飲酒運転が後を絶たないので、飲酒運転の取締りには力を入れている。特に、年末年始、盆の時期には宴会の回数も多く、飲酒運転の取締りが大掛かりに行われる。主要な市街からの出口付近では悉くアルコール検問が実施されるのである。この時期、先に述べたお気に入りルートで高知県の西端から東に向けて車を走らすと何回も検問に出くわすことになる。アルコール検査をしないまでも免許証の提示は数回以上求められるのである。年末の帰省時は長距離ドライブで疲れているので煩わされたくない思いと、早く我家に到着したい一心で、免許証はダッシュボードの上に常に出して置き、少しでも停車時間を短くする努力をしたものである。高知県では飲酒運転取締りでドライバーと警察の戦いは延々と続けられて来た。取締りに引っ掛からない市街地からの抜け道の開拓、それの発見と封鎖、また、一度に20台以上の車を同時にアルコール検査する方式など検問の効率化の研究やマスコミを利用した防止策の研究など色々な施策が試みられて来た。極めつけは、ラジオ放送で飲酒運転撲滅の歌を流し、地元新聞には酒気運転検挙者の氏名を掲載するキャンペーンを展開したことである。それでも、土佐の酒文化は負けない、酒が飲めて初めて一人前であり、一説には酒が飲めるとは「一升酒が飲める」事らしいが、紙上に名前が掲載されてやっとそれが認められると言った馬鹿な話がある。

一方、高知ではよく「あの人は酔狂するから気を付けなさい」と大酒飲みを指すことがある。酔狂とは大酒を飲み、酔っ払っては絡らんだり、乱暴を働く等酒癖の悪いことを言うようである。昔から、土佐の男はギャンブル好き、酒飲み、芸能好き、怠け者で浪費癖があるなどと言われ評判はあまり良くない。その中で鍛われて来た所為か、土佐の女性には働き者で自立心が強い豪傑が多い。彼女たちは駄目男はさっさと見限って離婚するケースが多く、離婚率全国ランキングの上位に位置した時もあったように思う。現在は過疎と高齢化により、離婚期の夫婦が少なくなって来ているので、離婚率も全国の中ほどに落ち着いている。一方、一人当たりの飲酒量はまだ上位に居座っているのは、酒好きは変わっていないことを示している。また、土佐には酒の強い女性も少なくないのも一因かと思われる。

土佐の女性のことを「はちきん」と呼ぶ事がある。「はちきんの語源については、「ハチ」切れんばかりのお転婆からきていると言う説など幾つかの説があるが、私が尤もらしいと考えるのは、ちょっと下ネタながら、男勝りだが女性であるので男性の印である玉がない、男を10とすると2個不足の「8キン」であると言う説である。同じような説に4人の男性を手玉に取るほどの女性と言うことで8キン(2x4)と呼ばれるというのもある。下ネタ的な表現なので、高知県の女性はこの用語をあまり好まない傾向にあるが、それでも男に対抗してか、「はちきん会」や「はちきんガールズ」と言った名のグループも存在している。この「はちきん」達は実に自立心が強く、しっかりした気性で、話や行動が快活かつ前向きで一途なところがあり、土佐の男「いごっそう」と共通する。「いごっそう」とは、土佐弁で「快男児」「酒豪」「頑固で気骨のある男」などを意味するが、「はちきん」はこの女性版といったところ。高知空港の東隣に香南市があり、そこに幕末土佐の絵師「絵金」で有名な赤岡という町がある。ここで開かれる「ドロメ祭り」と言うのがある。生の「ちりめん雑魚」を「ドロメ」と言うが、皆で地引網を引き、獲ったドロメを肴に一升酒の速飲み競争をするなどのイベントを行う祭りである。そこでも「はちきん」は遺憾なくその力を発揮している。

このように、高知県人にとって酒は大切なコミュニケーション道具として根付いてきた。高知では「いごっそう」が大酒を飲むので、対抗して「はちきん」も強くなり、男女の区別なく対等に付き合える環境が醸成されてきたのではないかと思う。夫婦が歳をとって、責任、義務、負担などの拘束から解放されて、何の気兼ねもせず、付き合えることは幸いなことである。酒を飲むことが主題ではないが、兎に角、女性が元気で、言いたい事を言い、遣りたい事を遣る、そして男と対等に振舞う、これは男にとっても嬉しいことである。

実は私の妻も地元調達である、酒は飲まないが、年を重ねるに連れて「はちきん」らしくなってきたように思う。


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