S.E裏千家茶道教室 お茶のひと時

つれづれなるままにパソコンに向かいて
心にうつりゆく茶道教室の話題を書きつくれば。。。。

金毛閣の利休木像

2011-06-28 21:09:04 | 紅茶、茶道&マナ-のお話

本日、29日の京都の最高気温は、なんと!36度4分とか。

暑いはず!

梅雨というのに、ここ10日ほどは、雫ほどの雨もなしで、一体どうなっているのでしょう?

そして、昨日28日は、利休さんの月命日。

大徳寺聚光院で、法要が営まれるので、出かけてきました。

しかし、今日に負けず、暑かった!

        (聚光院。宮休庵の月釜)

出遅れて到着したのは、もう11時前。

いそいそと、大徳寺の石畳を、ひたすらお席まで歩くのだけど、もう蒸し風呂の中に居る気分。

汗はダラ~~、頭はクラ~。

信じられない暑さで、グロッキ-寸前。

ようやく、お席に到着。

しかし、なんと3席待ち!

ふと、金毛閣をみあげると、何人かの人が見える。

               (金毛閣)

係りの人に聞くと・・・・・本日は、特別に拝観できるとの事。

当日券もありとの事で、再び聚光院に戻り買い求め、早速上がってみることに。

急な階段を登ると。。。。。。以外と高~~いのです。

廊下に出ると、風が吹き渡り、下界の暑さが吹っ飛ぶ様です。

     (金毛閣の上より。左後方は、大文字山が見える)

中は広く、幅は私の足で12歩もあります。

天井は、長谷川等伯51歳の時の絵が書かれています。

確か龍の絵みたいです。

そして、10体以上の、奇妙な顔をした、仏像が並んでいます。

ありました。利休さんの木像。雪駄を履き、露地杖を持っています。

実物大で、実際の身長は約180センチ少しだそうです。

昔の人にしては、大きいですね。

説明の方のお話によると・・・・・今ある木像は、実際のではなく、確か玄々斎の弟子の家に

あったのを、大徳寺に移されたそうです。

応仁の乱で、大徳寺は焼け、今ある建物は、後に建てられました。

焼ける前の、金毛閣の利休木像は、利休切腹の折に、京都のある場所(確か今出川の辺りとか、言われた様な?)に捨てられたそうです。

切腹後の利休の首は、捨てられ、首を切った木像の、胴の上にのせられたとも、言われているそうな!(^^)!

又、聚光院のお墓のお世話をしておられた方は、”利休さんの首は、このお墓の何処かに、

埋められているという話がある”・・・・とも言われていました。

昔の出来事で、確かな事はなんとも・・・・でしょうが、怖くなってきます。

利休切腹の原因の木像がある、金毛閣、上はどんな風になっているのやら。。。。。と、ずっと思っていました。

この間の、大河ドラマ、「江」では丁度、秀吉が切腹を命じるシ-ン。

一段と関心が増していた頃、拝観のチャンスに出会い、お参りして良かったです

 


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