
以下「解雇撤回」を求めて10月に出した文章です。
長文なので頑張って読んでみてください!!
☆命を守る会事務局・書記の解雇は認められません!!解雇を撤回してください!!
解雇に反対する私の理由・立場を表明します。
☆なぜ命を守る会に関わってきたのか。なぜ解雇に反対なのか。
・命を守る会に賭けてきた思い。
私は命を守る会に16歳から関わってきました。アルバイト~命を守る会書記になる前から合わせたら8年間を命を守る会で過ごしてきました。
「命を守る会のことばかりをやっていて世間を知らない」と良く言われます。そういうところもあるかもしれません。しかし、「命を守る会」をやり、とことん辺野古にこだわり続ける中で私は世間を知りました。その中で基地建設を阻止し、社会を変え、戦争のない社会を作り出すことが自分や家族の未来を切り開いていくことを学んできたことも事実です。
私はこんな理不尽な基地建設を阻止するために絶対に地元住民、地元のおじぃ、おばぁの闘いが重要、その存在が基地建設を阻止する原動力だと感じてきました。
「命を守る会」「二見以北十区の会」はその先頭に立ってきた会です。私はその「命を守る会」で8年間のあいだ共に過ごしてきたことを誇りに思っています。そして、おじぃやおばぁたちに怒られながら成長させてもらってきています。
そして「命を守る会」のためであれば一身を投げ打ってでも闘うとまで思ってきたことも事実です。
「基地建設を阻止する」その原則を貫く「命を守る会」は私にとって自分の生き方そのものでした。
私たち、若いものはこの社会の中で「使い捨て」にされ、生きてはいけないほどの状況下におかれています。自分を見失い、自殺するところまで行く同世代も少なくありません。
辺野古の闘いはそうした若者たちに「国策であろうと本気で闘えば阻止できる」「この社会は闘えば根本から変えることが出来る」と示してきました。
「生きさせろ!」という社会に対する私たち若者の叫びと怒りは辺野古と繋がりながら、職場・地域を拠点に爆発的に戦争を止める動きへと結びついています。
「沖縄戦を繰り返すな」というおじぃゃおばぁの思いを受け継いで基地建設は阻止する。その思いが全国の青年へと繋がってきました。
「命を守る会」の中には私たち若者に対する本当に大きな希望が詰まっています。
・不当逮捕がなぜ「命を守る会執行部からの解雇通告」になるのか疑問です。
しかし、今回、こだわっているのはそんな私情ではありません。
命を守る会・金城祐治代表亡き後、私は「基地建設絶対反対」を貫くために現地・全国の多くの仲間たちに共に闘ってほしいと訴えてきました。その闘いの中で今年、08年6月29日「サミット粉砕・労働者総決起集会」において基地建設反対の立場で訴えを行いました。その集会のデモ行進の中で不当にも警察権力は狙い撃ちで私を逮捕し、助けようとした集会参加者7名が同時に逮捕されました。
逮捕は明らかに私を潰す狙いを持って行われていました。私だけに本庁の捜査員と60代の取調官OBが着き、それはかなりの力の入れようでした。「辺野古の闘いと全国と労働者を繋げるな」この言葉を良く取り調べで聞きました。政府や警察は逆にそれを恐れているからに他なりません。
「機動隊員に体当たり・殴るなどの暴行を加え、"公務執行妨害罪"で逮捕した」と言われました。
しかし、私はデモ行進中に私の隣にいた青年に対して機動隊員の1人が背後から首を締め上げているのを見て助けに入っただけです。完全なでっち上げ逮捕であることは明白です。にも関わらず20日間に及ぶ不当な拘束をされ、一日に7時間に及ぶ拷問的取調べを受けています。その全てを完全黙秘で闘い抜いて来ました。
権力に屈することは「仲間を裏切る」ことです。私は絶対に仲間は裏切らない。完全黙秘で権力と徹底的に闘う道を選びました。
今回の私への不当逮捕の件を命を守る会の執行部は「逮捕による命を守る会への社会的影響は計り知れない、迷惑をかけたことについて反省・謝罪がない」「セクト・過激派と関わるなと言ったのに関わった」「会の方針、役員の指示に従わなかった」「このまま晋をおいておけば会自体が過激派だと思われ、権力弾圧を誘発する・仲間が減る」との主旨を持って9月23日に解雇通告を受けました。
「集会参加で社会的な影響を考えなかった」という主旨のことも言われましたが、「基地建設反対を訴える」ことは「命を守る会」の主旨に沿うものであると確信しています。
「迷惑をかけた」とはどういうことでしょうか。もし、私が権力の取調べに屈して、仲間を売るようなことがあればガサ入れや二次逮捕など、「命を守る会」そのものを破壊するような結果を招いていたかもしれません。それは闘いにとって「大迷惑」です。
しかし、私は権力に一切屈服せず、全ての仲間たちを権力の弾圧から守り抜く闘いを文字通り実行しました。そして全国の多くの人たちが激励文を留置所に送り、その数は1000通を越していました。
弾圧との闘いによって逆に多くの仲間たちを立ち上がらせる結果となったことも事実なのです。
・「過激派」などのレッテル貼りに対して。
「過激派と関わった」「集会で過激な発言をした」というような発言も危惧せざるを得ません。仲間に対して「過激派」というレッテルを貼ることが「基地建設反対」に繋がるのでしょうか。そこには何もありません。「過激派」という言葉には人の理屈や思いを超えたところで「排除」を正当化するものしかありません。
「あの人はどこどこの○○」「あの人は××」という形で辺野古に来られる仲間を選別していては辺野古の運動は出来なかったはずです。 辺野古は大衆的な闘争のはずです。どんな立場の人間も違いを超え、対等に一緒に闘ってきたはずです。それが原則のはずです。
そして「過激派」と規定するのであればその「過激派」のどこが間違っているのかを示すべきなのではないでしょうか。その内容を排除しては議論になりません。それが間違っていると納得させる内容を持っているからの解雇通告ではなかったのかと考えています。しっかりとその内容を出していただきたいと考えます。
「逮捕」は私が「誘発」したものではありません。国家が辺野古の闘いを潰すために、分断をするために行った弾圧です。それはV字型案となってから顕著に現れてきています。現在、日常的に海上には海上保安庁が、陸上では公安警察が動き回っています。
私たちがそれに乗せられる形でなぜ仲間内で排除するのか、理解が出来ないのです。何も生み出さない。むしろマイナスに働くものでしかありません。
現在の命を守る会執行部がそのようなことを許し、私自身を「解雇」という形で排除するのは到底認められないのです。それは命を守る会執行部が守ってきた「基地建設反対・阻止」の原則を曲げてしまうことになるのではないでしょうか。
私自身は会の方針や目的に反するどころか、現地・全国の仲間たちに訴え、共に基地建設を阻止するために手を取り合おうとしたのです。その人間を「過激派」として解雇することが正しい道なのでしょうか?
これから多くの仲間たちが辺野古に訪れ、新しい青年が「命を守る会」の闘いと共にあろうとしたときに、基地建設を止めようとして権力の弾圧を受けたときに命を守る会執行部は「過激派」だと、「社会的影響を考えて出て行ってくれ」と言われるのでしょうか。
私はあえて言わなければなりません。「今の命を守る会執行部は命を守る会の原則を投げ捨てようとしているのではないか」と。そのようなことがまかり通れば辺野古の闘いはどこに向かってしまうのか危惧して止みません。
・9月23日の「解雇通告」に対して。
9月23日「解雇通告」を命を守る会役員・会員から受けた席で同じ訴えを行ったところ「我々の意見に耳を貸さず、自分の我を通したいだけだ」「会員でもないやつが何様のつもりだ、心配しなくても我々がしっかりやる」などと言われました。
私は「我」を通したいだとか、そんなことで話しをした覚えは一つもありません。
しかし、「会員でないやつが何様のつもりだ」という発言は良しとするわけにはいかないのです。私は会員ではありません。「命を守る会」の書記です。しかし、命を守る会と共に自身の青春の全てを賭けて闘ってきたのは事実です。
会員以外の人間が物を申してはいけないという考えはおかしいと言わなければなりません。それは私以外の全ての人たちにも反映されてしまう事実だからです。これは言葉を拾って揚げ足取りで言っているわけではなく、節々にそのような発言が織り込まれており、そのようなことはまかり通ってはならないと思います。なぜならば、辺野古の闘いは全国の闘う仲間が現地に駆けつけ、今も毎日闘われています。また、辺野古・「命を守る会」の闘いは全て、全国のカンパによって成り立っています。それは全国の思いある労働者が身銭(みぜに)を切って渡しているものです。つまり、辺野古の闘いは現地の闘いが主体であると共に全国の労働者・闘いも対等に主体なのです。「会員でないやつが何様のつもりだ」という発言は全国の仲間を外において闘っているということになってしまいます。
「心配しなくても我々がやる」のだというのは疑問です。私の逮捕に対しては「過激派」問題だから闘わない、他は「反弾圧で闘う」というのが通るのでしょうか。8年間共に闘って来た仲間を「過激派」だから共に弾圧には闘わないとした「命を守る会執行部」では「反弾圧」に闘いきれるとは思えません。
9月23日の場は「臨時総会」だと執行部の方々は言われました。
確かに規約上「会員の過半数以上の出席があれば総会は開催できる」とされています。そもそも、「総会」は全体に対しての連絡とそれによっての「出席の有無」があって「過半数以上の参加」を持って開催されるものです。しかし、役員の1人が「晋の解雇には絶対に反対」と表明しており、その方へは会議の5分前に総会ではなく、「会議がある」との連絡だけしかされていなかったというのはどういうことでしょうか。
「反対意見」の封殺という意図的なものを感じざるを得ません。密室での仲間を潰すやり方に対しても疑問を持っています。「総会」の正式な開催をお願いしたいと考えます。
・「命を守る会」の闘いは原則を貫けば絶対に勝利できる闘いだ。
「命を守る会」の原則は「新基地建設絶対反対・阻止」です。そのためにあらゆる闘いをしていこうというものだと考えます。
私はこの間、「命を守る会」でおじぃやおばぁと毎週火曜日に会合を持っていました。それはおじぃやおばぁから「この間の闘いはおじぃ・おばぁの声がしっかり反映されているように感じない。反映してほしい。」という意見から考え、持った会合でした。
「命を守る会」「二見以北十区の会」の闘いに対する意見は現場において一番に重要視されなければなりません。それは二つの会が一番に現地・地元を知っているからです。しかし、この間の闘いの中でおじぃやおばぁがそれを感じなかったのはこちらの責任だったと深く反省しました。
そうして持った会合の中ではおじぃ、おばぁの厳しい状況が聞かされました。
「命を守る会がこれからも存続出来るのか」「おじぃ、おばぁだけではこれからの闘いが本当に厳しくなる」「人が入ってくればねぇ」という意見が大多数でした。
私は「絶対に人は来る。仲間を信じよう」と言いましたが、おばぁたちからすれば「目の前に見えなければ」現実的な話しではないのです。絵空事にしか聞こえなかったのが事実だと思います。
それではダメだ。必死に悩みました。
地域の若い人たちと話す機会が何度か訪れ、その度に「一緒に命を守る会と闘って欲しい」と訴えましたが、地域の青年たちからは「反対は反対だが、反対派につけば職場での立場は悪くなる。首が飛ぶ。それに誰が責任をとってくれるのか。」「命を守る会事務所に行ったなんて翌朝には集落中に広がる。そうなれば村八分。ゆくゆくは仕事につくのも難しくなる。」と跳ね返されました。
「地域の青年が立ち上がる」。これは「命を守る会」の闘いのずっとあったテーマであり、課題でした。そしてそれが出来なければ立ち行かなくなるところまで「命を守る会」の闘いが追い込まれていることも事実でした。
・地域の青年と一緒に闘うために。
地域の青年から聞かされたことは逆に言えば「職場の状況を変えられれば共に闘える」「地域の状況を変えられれば共に闘える」と言っているようにも聞こえました。ならばそういう闘いを「命を守る会」が出来ればと考え、役員会に申し出ましたが、命を守る会執行部としては「会はそこまで面倒を見られない」ということでした。
もう一度、ゼロから。問われているのは自分自身ではないかと考えなおし、名護に若い人数人で「1人でも入れる組合」として「北部合同労組・ウルマユニオン」を結成しました。
地域の青年は「組合なんて責任とってくれたことなんかねぇ。組合とやりたくとも信用できない。」と一喝してきました。確かにそうだ。なら、「労働者をとことん信じて、裏切らない、労働者こそが社会の主人公、労働者こそが社会を変え、基地建設を阻止できる」と掲げた組合にしよう!とウルマユニオンの主旨を作りました。
私は「命を守る会」に「青年部」を作り、おじぃやおばぁたちを安心させたい。基地建設は絶対に現場で阻止できると希望を一緒に持ちたい。その一心で組合を作ったり、地域の青年と議論したことは真実です。
そのような闘いを開始したことを全国にインターネットなどを通して発信したところ、多くの若者たちから賛同するメッセージをいただきました。
「ぼくも働いています。その働いているところから皆さんと繋がりたい。」「僕の職場には組合がありません。そんな組合だったら作りたい。」「組合があるのですが、労働者の立場なのか、会社の立場なのか分かりません。こんな組合なら変えてやろう。と元気でました。」「基地建設絶対反対!!そう言える職場と仲間を作りたい!!職場を変えられる、辺野古に責任をとる組合を作りたい!!」。本当に多くの人たち・若い同世代から激励されました。
「辺野古の本当の仲間になりたい」「沖縄の問題は僕たち労働者の問題だ」。そう言い切って職場に立ち、自分の足元で闘う青年がぞくぞくと増えています。彼ら、彼女らは「解雇」の攻撃や「過激派」というレッテルを跳ね返しながら、辺野古を信じて闘い続けています。
・私はこれからも原則を貫く、闘う「命を守る会」と共にありたい。
私はこれまでの闘いの中で「弾圧されても本当に裏切らない仲間」を、「基地建設阻止の仲間」を「命を守る会」の「基地建設絶対反対・阻止」の原則に従って訴えたときに作り出せると確信しています。そしてそういう仲間がすでに全国で闘っています。
これから本当に「命を守る会」・辺野古の闘いに青年が立ち上がってくるようになるためには、原則を曲げてはならないと考えています。
故金城祐治代表は私に3つの原則を課しました。
「現場と労働者を信じて闘う。」「自分の立場を守らず、闘いを前進させるためならば自分の首を賭けてでも闘う。」「息の長い闘いをしろ。最後に立っていた者が勝利する。」という3つです。
「現場と労働者を信じて闘う」からこそ、私は現場に立ち続けようとしてきました。
「自分の立場を守らず、闘いを前進させるためならば自分の首をかけてでも闘う」、私は決して事務局・書記という立場にこだわるのではなく、辺野古の闘いの前進と勝利のために今までも闘ってきましたし、これからも闘っていく決意です。
「息の長い闘いをしろ。最後に立っていた者が勝利する。」私は解雇を受けてもまったく辺野古から退くつもりはありません。新基地建設を阻止するために絶対に退きません。
「資本・権力と非和解に闘い」「仲間を裏切らない」闘いを続けていく必要性があると確信を持って訴えます。
「命を守る会」が「過激派」のレッテルや「弾圧」を乗り越えて闘えば必ず青年は共に闘います。立ち上がると確信を持っています。私はキレイごとを並べているわけではありません。
自分自身がこの間、「命を守る会」の原則を曲げずに闘い、組合を作って新しい青年の仲間と共に闘い、権力との闘いに身を持って勝利をしてきたからこそ言えることがあると思うのです。
それを否定してしまうような「命を守る会執行部」ではこれから来る政府の闘いに立ち向かい、勝利することは出来ないと思っています。
未熟な私ですが、足りない部分も多々あると思いますが、それでも基地建設を阻止したい。その一点において原則を貫き、闘う「命を守る会」と共に歩む仲間としてありたいことを訴えます。
解雇は認められません。私と共にもう一度、辺野古の闘いを考えてください。よろしくお願いします。
2008年10月1日(水) 富田 晋