韓国の大統領の瞼が下がってきてはっきりとした少しでも若向き
の顔つきにするために整形して二重瞼になったとか、韓国の人気女
優チェ・ジュウのあごは整形したとか、韓国の俳優はみんなそれな
りにどこかを整形した美人だとか、加えて日本人の韓国プチ整形ツ
アーまでも最近は人気が出てきたと言う。特にチェ・ジュウは、顔
もスタイルも抜群、それでも一番人気があるのはおそらく細面の小
顔に不釣合いな低音の声である。日本語吹き替えのスクリーンを見
ていてもつまらない。チェ・ジュウのあの低音の声が良いと思って
いる人は、おそらく数多い。低音の韓国語で顔に似合わずぶつぶつ
放り出すような話し方がたまらない。ところで今日の話、顔つき容
姿は生まれついたもの、俳優でもない限りなかなか変えられないと
いう話である。一生引きずる変えられない顔つき容姿、素直に受け
容れ生きていくことをみんなやってきた。見方を変えれば、今の顔
つき容姿でも損をしながら得をしたことだっていっぱいある。
山上たつひこの「がきデカ」を理解できるのが団塊の世代まで、
その団塊の世代の真っ只中にいる。団塊の世代の体型は、一言で言
えば胸が厚くて足が短い。胸の厚さは筋トレの成果もあって1m10㎝
もあるし、足も短い。その上、顔がでかくて頭が大きいとくれば悩
みだしたら止まらない。生きていられない。小さい頃からの悩みの
種だった。小学生の時に欲しかったジャイアンツのマーク入りの野
球帽なんかは簡単には選べなかった。デザインよりも先に選ぶ基準
は、かぶれる帽子かどうかの大きさだった。好きな帽子が選べない。
そして、胸の厚さと首周りに較べて手が短い。ワイシャツだって、
つい数年前までは好きに店で選べなかった。いくら気に入った柄で
も店で買ったのでは間に合わない。胸に合わせれば袖が長すぎる、
袖に合わせればきつ過ぎる。寸法を測ってつくるしかなかった。
靴もそう、簡単に25・5センチと言うわけにはいかない。足の形
が違う。通販なんかもってのほか、履いてみるしかない・・・・、
挙げていけばきりがない、親から貰った容姿、ずーっと損をし続け
てきた。
そうは言っても容姿で損ばかりはしていない。顔と頭がでかくて
目をギョロっと向けば大抵の人は逃げていく。学生時代に「カツア
ゲ」なんかにあったことは滅多にない。一度だけ西武池袋線の練馬
駅のホームで脅された。ちょっと年上のジーパン男が「金貸してく
んない?」。「なんでお前に金貸すんだよ!」、目をむいて食いつ
きそうにしたらたちまち逃げていった。そう言えばあの頃脅され顔
の友人がいた、「何で俺ばっかり」といつも言っていた。いじめら
れ顔、脅され顔がある。一緒に数人で新宿を歩いていて一人だけ見
当たらないと思ったら、脇に引っ張り込まれて脅されていたのはい
つも決まって脅され顔のあの友人、ほんとにかわいそう。ひ弱な泣
きそうな顔だからいつも損をしながら怯えて生きていた。この間の
夜の東京駅の地下鉄丸の内線ホーム、階段を勢いよく駆け下りてき
た元気のいい若者に体当たりされても、「ぐーっと」足に力を入れ
たら尻持ちついて罰の悪そうな顔してすごすご逃げて行った。あれ
もでかい顔と厚い胸に救われた。最近は眉毛まで立ってきた。親か
ら貰った容姿、損ばかりしていない。
子供の頃に人気がある女の子は小さな女の子。「かわいい」と
「小さい」は、「甘い」と「美味い」と同じくらいの意味を持つ。
大きな女の子には誰も眼が向かない。それが二十歳ぐらいになれば
大きな女の子はレースクイーン並みの人気が出てくる。頭一つ出た
待ち合わせの目印だけではない。それでも歳をとれば又小さなおば
あちゃんが可愛らしくなってくる。骨太の大柄のおばあちゃんは可
愛いおばあちゃんとは言わない。生まれ持った顔つき容姿は簡単に
は変えられない。損をすることもあれば得をすることもある。損を
する時もあれば得をする時もある。一生かかっておそらくプラスマ
イナスゼロぐらいの勘定かと思ってみるしかない。後は得をしそう
な面だけ考えていればおそらく気は楽になる。悩んでいても仕方が
ない。「○○の大足、○○○の小足、ちょうど良いのは俺の足」と
素直な筈の自分に言い聞かせる。後は頭の中で「三百六十五歩の
マーチ」でも歌いながら速足で歩いていれば幸せ気分いっぱいになる。
「人気ブログランキングに参加しています。ブックマークの欄クリ
ックしてください。 ありがとうございました」
の顔つきにするために整形して二重瞼になったとか、韓国の人気女
優チェ・ジュウのあごは整形したとか、韓国の俳優はみんなそれな
りにどこかを整形した美人だとか、加えて日本人の韓国プチ整形ツ
アーまでも最近は人気が出てきたと言う。特にチェ・ジュウは、顔
もスタイルも抜群、それでも一番人気があるのはおそらく細面の小
顔に不釣合いな低音の声である。日本語吹き替えのスクリーンを見
ていてもつまらない。チェ・ジュウのあの低音の声が良いと思って
いる人は、おそらく数多い。低音の韓国語で顔に似合わずぶつぶつ
放り出すような話し方がたまらない。ところで今日の話、顔つき容
姿は生まれついたもの、俳優でもない限りなかなか変えられないと
いう話である。一生引きずる変えられない顔つき容姿、素直に受け
容れ生きていくことをみんなやってきた。見方を変えれば、今の顔
つき容姿でも損をしながら得をしたことだっていっぱいある。
山上たつひこの「がきデカ」を理解できるのが団塊の世代まで、
その団塊の世代の真っ只中にいる。団塊の世代の体型は、一言で言
えば胸が厚くて足が短い。胸の厚さは筋トレの成果もあって1m10㎝
もあるし、足も短い。その上、顔がでかくて頭が大きいとくれば悩
みだしたら止まらない。生きていられない。小さい頃からの悩みの
種だった。小学生の時に欲しかったジャイアンツのマーク入りの野
球帽なんかは簡単には選べなかった。デザインよりも先に選ぶ基準
は、かぶれる帽子かどうかの大きさだった。好きな帽子が選べない。
そして、胸の厚さと首周りに較べて手が短い。ワイシャツだって、
つい数年前までは好きに店で選べなかった。いくら気に入った柄で
も店で買ったのでは間に合わない。胸に合わせれば袖が長すぎる、
袖に合わせればきつ過ぎる。寸法を測ってつくるしかなかった。
靴もそう、簡単に25・5センチと言うわけにはいかない。足の形
が違う。通販なんかもってのほか、履いてみるしかない・・・・、
挙げていけばきりがない、親から貰った容姿、ずーっと損をし続け
てきた。
そうは言っても容姿で損ばかりはしていない。顔と頭がでかくて
目をギョロっと向けば大抵の人は逃げていく。学生時代に「カツア
ゲ」なんかにあったことは滅多にない。一度だけ西武池袋線の練馬
駅のホームで脅された。ちょっと年上のジーパン男が「金貸してく
んない?」。「なんでお前に金貸すんだよ!」、目をむいて食いつ
きそうにしたらたちまち逃げていった。そう言えばあの頃脅され顔
の友人がいた、「何で俺ばっかり」といつも言っていた。いじめら
れ顔、脅され顔がある。一緒に数人で新宿を歩いていて一人だけ見
当たらないと思ったら、脇に引っ張り込まれて脅されていたのはい
つも決まって脅され顔のあの友人、ほんとにかわいそう。ひ弱な泣
きそうな顔だからいつも損をしながら怯えて生きていた。この間の
夜の東京駅の地下鉄丸の内線ホーム、階段を勢いよく駆け下りてき
た元気のいい若者に体当たりされても、「ぐーっと」足に力を入れ
たら尻持ちついて罰の悪そうな顔してすごすご逃げて行った。あれ
もでかい顔と厚い胸に救われた。最近は眉毛まで立ってきた。親か
ら貰った容姿、損ばかりしていない。
子供の頃に人気がある女の子は小さな女の子。「かわいい」と
「小さい」は、「甘い」と「美味い」と同じくらいの意味を持つ。
大きな女の子には誰も眼が向かない。それが二十歳ぐらいになれば
大きな女の子はレースクイーン並みの人気が出てくる。頭一つ出た
待ち合わせの目印だけではない。それでも歳をとれば又小さなおば
あちゃんが可愛らしくなってくる。骨太の大柄のおばあちゃんは可
愛いおばあちゃんとは言わない。生まれ持った顔つき容姿は簡単に
は変えられない。損をすることもあれば得をすることもある。損を
する時もあれば得をする時もある。一生かかっておそらくプラスマ
イナスゼロぐらいの勘定かと思ってみるしかない。後は得をしそう
な面だけ考えていればおそらく気は楽になる。悩んでいても仕方が
ない。「○○の大足、○○○の小足、ちょうど良いのは俺の足」と
素直な筈の自分に言い聞かせる。後は頭の中で「三百六十五歩の
マーチ」でも歌いながら速足で歩いていれば幸せ気分いっぱいになる。
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ックしてください。 ありがとうございました」
いるように思う。どうも政治家に多い気がする。反面教師にしたい。実際,彼らは常日頃から「先生」と呼ばれているわけであるから。・・・だからダメになるのか。
それを聞いた松本人志さんは、紳助さんがもし男前だったら、今みたいに面白い喋りで司会をこなす売れっ子芸人にはなってないですよ、だから今で良かったんですよ、とたしなめていましたが、紳助さんはそれを聞いてますます落ち込んで・・・。
私も自分の容姿に自信がなく、いつでも嫌な部分が気になりコンプレックスを抱えていましたが、ここ数年は過度に気にすることはやめようと思っています。いつも運動をして体を鍛え、併せて常に向上心を持って勉強している人の容姿を見ると、造作ではなくて何かこう、オーラというか、「あっ、カッコいい方だな~」と感じますし、自然と醸し出される「顔つき」というのが作られていくのだと思います。つまり、男前は自分で作ることが出来る!と信じ始めているわけです。出来なければ自分が悪い、と。信じるものは足すくわれないように頑張ります。