20世紀の日本は基礎研究が弱かったようです。子供のころから、伝統的思考をはずすとバツがつく教育を受けてきたからです。
しかし、個人が献身的に集団に尽くし、「集団の創造性」を生かすタイプの研究には強いといえます。レーザーの研究をもとにCD(コンパクト・ディスク)を作り上げたのもその例でしょう。
■求められる人材の変化
規模の拡大を目標とした高度成長期は、人材については学業成績に重点を置いて無難なゼネラリスト型を多く採用し、その中から将来の幹部要員を選別していく方式が主流でした。
しかし、2度の石油ショックを経て量的拡大が見直され、各企業が新たなビジネスチャンスの開拓や組織の活性化をはかるようになると、求める人材の資質も「かつての均質的なものから個性、創造性、バイタリティーを最重視する方向」に変わっていきました。
すべてに平均的な水準を満たす人よりも、学問、スポーツなどの分野を問わず、何か1つにぬきんでた人材が求められていたのです。
■効率化か独創的か
評論家も指摘していることですが、基礎研究(R)、開発研究(D)、エンジニアリング(E)という3つの分野を比較すると、産業に、最も貢献するのはDの分野なのです。
製品化のための多くの壁を克服、製造効率化で効果を発揮するからです。
日本が得意なのも実はこの分野です。つまり、集団での作業、協力ともいえます。
これに対し、ノーベル賞をもらう人は、個性的な人なのでしょう。
つまり、Rの分野で業績を上げる人です。こうした個性的で独創的な業績を上げるのは、日本はまだ不得意なのではないでしょうか。
大事なのは「無目的研究」です。
企業の目標にしたがって研究開発を進めるのでなく、制約に縛られずに研究を進める雰囲気が足らないのかもしれません。
そうした空気の中で、人材と資金を投入すれば変わってきます。その意味で、大学がサイエンスに打ち込めるような研究者を育てることはぜひとも必要だといえるでしょう。
■基礎研究のお金
高温超電導物質を発見した時、IBMのマネジメント当事者は、「両研究者の才を信じ、あれこれと干渉しなかったからこそ、この大発見が生まれた」と言っていました。
大学の先生は「研究成果が上がらないのは、金がないから」とよく言う。
でも、成果を上げるには、金だけでなくて、人間のアクティビティーを引き出す刺激をいかに与えるかが大事なのです。
刺激を与えることが必要です。確かにやることが決まっている場合は、良い機械とか優れたコンピューターがあると研究が進みますが、未知の探索となると必ずしも装置とは関係ないことになります。
基礎研究のお金は、どこの国でも国の予算から相当な負担をしています。日本のトータルの研究費は、他の国と変わらないとしても、お金の出所が違うのです。
研究というのは、文化の一翼にならなければいけません。良い研究をすることが研究者のプライドであり、社会がこの人たちを誇りに思うようになる必要があります。
田村泰彦(元教員)