伊勢の祈り

大いなる働きを信じて。共に幸せになりましょう。

☆彡ゆるやかに正しく生きる日本人の生き方☆彡

2017年06月08日 09時06分52秒 | 日記
神話が伝えるココロの世界


学校、仕事、家庭、地域のお付き合いなどで私たちは、心に余裕が持てなく次から次へと追われる生活になりがちです。忙しさのあまり、一人ひとりとの会話がおろそかになったり、時には相手に冷たい印象を与えてしまうこともあることでしょう。

そういった中で、人間関係に隙間風が吹いたり、お互いの雰囲気が重くなったりすることもあります。「何だか最近、心の中で距離をとってしまうなぁ。」、「今までのように気さくに会話ができないなぁ。心に何か引っかかるものがある。」そういった時に、または、そうならないように神話が伝える場面を頭の片隅にでも入れておいてくださればと思います。



禊(みそぎ)の起源

神話にイザナギノミコトとイザナミノミコトが登場し国生みがされますが、その後、イザナミノミコトは不幸にも亡くなります。イザナギノミコトは黄泉の国にいるイザナミノミコトに会いに行きます。しかし、見ないように言われていたイザナミノミコトの死体を見たがゆえに追われに追われて黄泉の国から逃げます。イザナギノミコトは「私は何といやな、汚い国に行ったことだろう。身も心も汚れてしまった。禊をして、穢れ(けが)を洗い落そう」といって、筑紫の日向(ひむか)の橘の小戸(おど)で禊祓(みそぎはらえ)をします。


身に着けていたものすべてを投げ棄てたイザナギノミコトは、裸の状態で水に入り穢れを祓い清めました。これが、世に言う禊の始まりです。注目すべきことは、イザナギノミコトは、水に入る前にこのような言葉を残しています。「上流は流れが早い。下流は流れがゆるやかだ。」そこで、ほどよい流れの中で穢れを洗い清める禊をしました。


ゆるやかに生きる

誰しも日日の生活の中で、心の余裕を失ってしまうと自己中心的、身勝手な考え・心になりがちです。そこから摩擦が生じたり、対立、衝突が起こってしまうものだと思います。これが正しい心を離れたことによる、穢れの災いと言えます。小鳥さえも枝をゆずるのに、私たちは一歩引いて冷静に穏やかに行動することができなくなってしまいます。
イザナギノミコトが、ほどよい水の流れのところで洗い清めた。そのことから私たちも自分自身の心が動きやすものだからこそ、常にほどよいところに心を保ち過ごしていくことが重要であると神話が伝えていると言えます。


お読みくださり有り難うございます。
次回は、毎年6月と12月に行われている大祓(おおはらえ)についてアップします。
なぜ、大祓が行われるのか?今回の記事と関連があるお話です。
楽しみにしていてください。

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