女声合唱団チャイカ(新ブログ)

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「村のハンの木」って何?

2024年02月17日 00時17分44秒 | ロシアやスラヴ諸圏の楽曲出版物の誤訳、誤植について

2018年8月18日の記事・加筆改訂(無断引用・転載を禁ず)                                                                                            ロシアやスラヴ諸圏の楽曲出版物の誤訳、誤植について③

「村のハンの木」って?

  かつて飯塚書店という出版社から『ロシア民謡集』という歌集が出版されていました(現在は絶版)。お持ちの方もいらっしゃるかと思われます。
  さまざまな曲を日本に紹介した功績には大きいものがありますが、一方で、パイオニアにつきものである間違いが多々見られるのも事実です。                        その一例。                                                                                                 本書p.228に『村のハンの木』という題名の曲が載っています。
 訳詞は楽団カチューシャ。言わずと知れた、ロシア楽曲紹介のわが国のパイオニア。しかし、この題名には大きな問題があります。訳者は三重の誤りを犯しました。

 その1。原題は В деревне было Ольховке
 どこにも"ハンの木"なる訳語に対応する原語はありません。

 それらしいのは Ольховке ですが、この語大文字で始まっていることからも明らかなとおり固有名詞。この場合はです。小文字で始まる普通名詞の "ハンの木" ではありません。訳者はまず、語学上の基本問題としてこれに気づかなくてはなりませんでした。                                                         前置詞 в ヴ は英語の in に相当。деревня ヂェりぇーヴニャ は英語の village の意味。つまり В деревне ヴ・ヂェりぇーヴニェ は英語なら in the village の意味です。было ブィロは英語のbe動詞の過去形wasに当たり「…にあった」という意味になります。 
                                                                                                   その2。訳者は Ольховке を主語のように扱っていますが、違います。もしもこの語が主語であるならば、動詞 было が中性名詞に対応するものであることと一致せず、文法的に矛盾します。                                                                                                    なぜなら、この語 Ольховке (この語形は前置格で、場所「~」を示す) の主格は Ольховка であり、女性名詞だからです。女性名詞 Ольховка の要求する動詞は было ではなく была ブィラでなくてはなりません。                                                                                 実はこの題名は語順転倒・入れ替え・語の省略が起こっているのです。解りやすい語順で書くならば                (Это) было в деревне Ольховке. (It was in the village Ol'khovka.)とでもなるところです。                                                                                              問題は Ольховке オリホーフケの語です。деревне ヂェりぇーヴニェとОльховке オリホーフケが離れているために、訳者はこの語が前置格に格変化していることを見失い Ольховке オリホーフケを苦し紛れに主語であると錯覚・誤解したのです。 

  こうして固有名詞である地名 Ольховка "オリホーフカ" と普通名詞 ольха "ハンの木"とが取り違えられてしまいました。
 
  つまりこの曲は「村のハンの木」という題名ではないのです。では、何という題名か。
 В деревне было Ольховке 試訳するならば
「オリホーフカ村でのことだった」とでもすべきものでしょう。                                                                         ※「オリホーフカ」で検索するとロシアだけでも30ヶ所以上あることが分かります。                                                                                                                                                                                    その3。そもそも、楽団カチューシャによる訳詞それ自体にも「ハンの木」はまったく登場しません。訳者はなぜ、これに疑問を持たないのか。不思議としか言いようがありません。歌詞の面からも誤りに気づくことができたはずでしたが、このチャンスも失われてしまいました。

                                                                                              さて、楽団カチューシャの訳詞では、リフレイン部分が                                                                                                                                                                                       咲いた 咲いた カリーナ エフ                                                                                       咲いた 咲いた カリーナ エフ                                                                                  カリンカ  アイ  マリンカ                                                                                      茂みのかげで うぐいすうたう エイ エー エフ                                                                                                                                                                                 となっていますが、ロシア語歌詞にはこのような内容はありません。当該部分のロシア語歌詞の大意は次のようなものです。                                                                                                                                                                                                             

 ああ、わらじ、あなた、わらじ、私のわらじ                                                                                     わらじとわらじ あなたは私のわらじ                                                                                     菩提樹の皮で作ったわらじ あなたは歩く、歩く                                                                                  親父は菩提樹の皮の束を蹴って                                                                                    新しいわらじを編む                                                                                                            (中島章利訳)                                                                           

   多少の無理を承知で「わらじ」と訳したのは「ラプティ」のこと。靭皮(じんぴ)製の履き物、樹皮でできた百姓靴。靭皮とは植物の内皮のこと。甘皮。

《ラプティ》                                                                                                                                                                           この歌は、村の若者と娘の軽妙な恋の歌ですが、楽団カチューシャの訳者は、おそらく「ラプティ」を含むロシア語原詩の訳では聞き手に内容が伝わらないと考えて、「カリンカ」とよく似た内容の歌詞を当てたのではないかと中島は推測します。

《ボーカルトリオ・レリークト》                                                                             動画の中にさまざまな「ラブティ」が登場する。

《セルゲーイ・レーメシェフ》[1902-1977]                                                                       

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