またまたお勉強じゃ!
先日、<お勉強会>に参加させていただきました。
昨年は、現存する十二天守のうち<国宝>の五城をお勉強しました。
(彦根城・松本城・犬山城・姫路城・松江城)
いずれも江戸時代から残るお城です。
江戸時代から・・・
昨年お勉強したのは、
関ケ原以降、家康は、大阪城の秀頼くん&淀さん、
そして世間の流れを気にしていました。
それで立派なお城をあちこちに築城し、
<わしに歯向かうなよ~>と、世の中を固めて行きました。
目の前に迫る緊急のいくさはないので、
立派な<建造物>を作ることができました。
(ですので、<現存する十二天守>に繋がります・・)
秀吉以降ー幕末までを<近世>というそうな。
(<刀狩り>により<半農半士>を終わらせた・・諸説あります・・)
<武士>が生まれた鎌倉以降ー信長までを<中世>というそうな。
(諸説あります・・)
<中世>は、いくさが忙しく、手も足りないので、
<お城>は、天守があるものではなく、
<石垣&土手>の<砦のようなお城>がほとんどじゃったそうな。
そもそも<お城>とは?
それは<防御施設>であり、
ここはワシの<縄張り>じゃ!と、世間に知らしめる<シンボル>?
じゃったと言えるかもしれませんねぇ~。
(お店の看板は目立つところの方が良いでしょうから・・!)
その多くは、遠くまで見渡せる<山>に造られました。(山城)
曲輪、土塁、堀切など、築城当初の様子を
そのまま見ることができるところが多いそうです。
(木や草はもちろんはえていますが・・)
<山>そのものが<お城>でした。
南北朝時代の14世紀前半から江戸時代の17世紀前半の<約300年間>に
日本で約3~40,000もの城館(主に山城)が築かれたそうで、
世界史的に見てもそれは異常な数なんじゃそうな。
<天守>のような大掛かりな建造物はないので、
築城しやすかったのでしょう。
また緊急性や、その必要性も高かったのかもしれません。
それに対して、近世のお城は平地が多く、
山の代わりに<天守>から、遠くを見渡しました。
ですので(平城)と呼ばれます。
今回のお勉強のテーマは、
<岡山の中世城館から見る戦乱の世>
第1回の先生は、
昨年<彦根城>でお世話になった<中井均先生:滋賀県立大教授>
このかたは、本当に好きだ、というのが伝わってくる話し方をされます。
(磯田さんのようです)
先生いわく、
天守もおもしろいけど、山城跡も面白いんです。
なぜなら、戦争などで破壊されていないし、
コンクリートで改築もされていない当時の城跡が、
山の中にそのまんま残っているものが多いんです。
今は、木や草が生えているただの山に見えるところに、
石垣や土手や堀切があり、
それを発見したり、城跡を想像したり、
調査するのは私は三度の飯より好きなんです!
先生の左手には<包帯>が巻かれていました。
先日の調査で足を取られ転倒し骨折されたそうです。
<骨折なんかなんでもない。城跡が一番好きなんです!>
と、笑っておられました。
先日訪れた<明石城>についても、1月に講演会があったようです。
また、柳井原の<備中南山城>のお話もありました。
小田川と高梁川の合流点に居ます。(当時は河口)
山陽道もあり、当時の毛利が、陸、河川、海上を
この山城から監視していたのでしょうか?
ということで、しばらく<お勉強会>に出席します・・・
ウヒヒヒ・・・!
・2 備前・備中・美作の戦国史と城館
・3 岡山の中世城館の実像①(総合調査)
・4 岡山の中世城館の実像②(発掘調査)
・5 中世城館から近世城郭へ
先日、<お勉強会>に参加させていただきました。
昨年は、現存する十二天守のうち<国宝>の五城をお勉強しました。
(彦根城・松本城・犬山城・姫路城・松江城)
いずれも江戸時代から残るお城です。
江戸時代から・・・
昨年お勉強したのは、
関ケ原以降、家康は、大阪城の秀頼くん&淀さん、
そして世間の流れを気にしていました。
それで立派なお城をあちこちに築城し、
<わしに歯向かうなよ~>と、世の中を固めて行きました。
目の前に迫る緊急のいくさはないので、
立派な<建造物>を作ることができました。
(ですので、<現存する十二天守>に繋がります・・)
秀吉以降ー幕末までを<近世>というそうな。
(<刀狩り>により<半農半士>を終わらせた・・諸説あります・・)
<武士>が生まれた鎌倉以降ー信長までを<中世>というそうな。
(諸説あります・・)
<中世>は、いくさが忙しく、手も足りないので、
<お城>は、天守があるものではなく、
<石垣&土手>の<砦のようなお城>がほとんどじゃったそうな。
そもそも<お城>とは?
それは<防御施設>であり、
ここはワシの<縄張り>じゃ!と、世間に知らしめる<シンボル>?
じゃったと言えるかもしれませんねぇ~。
(お店の看板は目立つところの方が良いでしょうから・・!)
その多くは、遠くまで見渡せる<山>に造られました。(山城)
曲輪、土塁、堀切など、築城当初の様子を
そのまま見ることができるところが多いそうです。
(木や草はもちろんはえていますが・・)
<山>そのものが<お城>でした。
南北朝時代の14世紀前半から江戸時代の17世紀前半の<約300年間>に
日本で約3~40,000もの城館(主に山城)が築かれたそうで、
世界史的に見てもそれは異常な数なんじゃそうな。
<天守>のような大掛かりな建造物はないので、
築城しやすかったのでしょう。
また緊急性や、その必要性も高かったのかもしれません。
それに対して、近世のお城は平地が多く、
山の代わりに<天守>から、遠くを見渡しました。
ですので(平城)と呼ばれます。
今回のお勉強のテーマは、
<岡山の中世城館から見る戦乱の世>
第1回の先生は、
昨年<彦根城>でお世話になった<中井均先生:滋賀県立大教授>
このかたは、本当に好きだ、というのが伝わってくる話し方をされます。
(磯田さんのようです)
先生いわく、
天守もおもしろいけど、山城跡も面白いんです。
なぜなら、戦争などで破壊されていないし、
コンクリートで改築もされていない当時の城跡が、
山の中にそのまんま残っているものが多いんです。
今は、木や草が生えているただの山に見えるところに、
石垣や土手や堀切があり、
それを発見したり、城跡を想像したり、
調査するのは私は三度の飯より好きなんです!
先生の左手には<包帯>が巻かれていました。
先日の調査で足を取られ転倒し骨折されたそうです。
<骨折なんかなんでもない。城跡が一番好きなんです!>
と、笑っておられました。
先日訪れた<明石城>についても、1月に講演会があったようです。
また、柳井原の<備中南山城>のお話もありました。
小田川と高梁川の合流点に居ます。(当時は河口)
山陽道もあり、当時の毛利が、陸、河川、海上を
この山城から監視していたのでしょうか?
ということで、しばらく<お勉強会>に出席します・・・
ウヒヒヒ・・・!
・2 備前・備中・美作の戦国史と城館
・3 岡山の中世城館の実像①(総合調査)
・4 岡山の中世城館の実像②(発掘調査)
・5 中世城館から近世城郭へ
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