ヒロシのぶらっとぶらぶら(パート2)

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 気のむくままの不定期ブログです。

鴨方往来(庭瀬往来:備中浜街道)①

2017-01-11 22:21:40 | てくてく&自転車
<僕たちの失敗>
 そんな曲がアリマシタ・・

 複数ではありません。

 一人なので、<私の失敗>です。



てくてくと、一人で長い距離を歩きました。
 この時期は、<失敗>です。

 お天気はいいのですが、空気は冷たいです。

 すぐに<汗>をかきました。
 下着が濡れます。

 首にタオルを巻いて歩きました。
  汗を拭いて濡れてしまいますが、また首に巻いたりしました。

 
 この後、用事があります。

 てくてくだけが、目的ではありませんでした。


 風邪をひいたりしてはいけません。

 それなりの準備なしのこの時期の、<てくてく>の計画は、失敗だと思いました。



 ですので、今回のてくてくは、<計画倒れ>。
  (そもそもいいかげんな計画でした)
   <岡山市>に用事がありました。
   そうだ!歩いて行こう!
    途中、ダメなら<山陽本線>へ・・・

  リスク管理・・・
   その通りになってしまいました・・・!



<鴨方往来>

 私の住む<倉敷駅北地区>を、
  旧国道2号と並行して、東西に走っています。


 江戸時代に岡山藩によって、
  岡山城下を中心に放射状に整備された6つの街道のひとつひとつです。

  ・鴨方往来
  ・金比羅往来(下津井)
  ・松山往来(高梁)
  ・津山往来
  ・倉敷往来(美作)
  ・牛窓往来


 鴨方往来は、
  岡山城下からの呼び名で、
   鴨方側から<東>に向かうと<庭瀬往来>と呼ばれたり、
    備中を走っているので
     <備中浜街道(庭瀬ー鴨方)>と呼ばれたりしています。
     

  倉敷駅北を通りますが、現在の町名では、
   <川入><北浜><浜ノ茶屋>を通ります。

  <鴨方往来>は、まさに、<浜街道>であります。

  宇喜多さんにより、信長・秀吉時代に
   現倉敷駅北地域の土地が出来たものと思われます。

  
  倉敷の地(干拓地)が出来るのは、
   江戸時代の初期ですので、すぐ後の事なんでしょうねぇ~

  ※ ウチの近所の倉敷西中学校の前の<日吉町春日神社>は
     <天正11年:1583>、本能寺の変の翌年にできています。
      宇喜多秀家さんの干拓工事で新開地ができたようです。

     その後、白楽市村が1618年、笹沖村が1629年、連島が1656年、
      江戸の初期に干拓されできたようです。

      福田は、江戸末期なのでずっと後です。
      
      水島は、昭和ですので・・
           言わずもがな・・・



 つづく・・・

  
  
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2 コメント

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どうも (T…キヨネ)
2017-01-12 17:05:40
体力維持もわかりますが

 寒い時の散歩、汗が出た後は風邪に気お付けて下さい。
返信する
まいど! (ヒロシ)
2017-01-12 22:47:47
ありがとうございます!

 まったく、そのとおりです。

 実は私、同じ失敗を二度としない男なのです。


 今日も、飲みすぎに注意・・・
  したい・・・!

返信する

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