<お城>と言っても、
中世のお城のほとんどは、陣取り合戦のの<砦>のようだったようです。
高梁川と小田川の合流地点、
船穂と真備と、川を挟んでの清音との中間に位置する、
高さ6~70mの山の上に<南山城>が居ます。
尼子の後の毛利の時代のモノらしいです。
中世のお城は、県内に<約1,400>居るらしく、
大雑把な調査は、1,100~1,200くらいまで済んでいるそうな。
が、より詳しく調べる大規模な<発掘調査>にはお金がかかりますので、
その数は、あまり多くありません。(総数の1%未満らしいです)
現在の<南山城>については、
小田川の付替え工事のため、お城のある山が削られ、
城跡も無くなってしまうので(5年以内)、
<発掘調査>も急ピッチで進んでいるそうです。
真備の<水害>については、先日お伝えした古地図にみるように、
古くからある災害で、地元からずっと対処の要望がありました。
倉敷市になって、ようやく動きがあり、予算がついて、
さあ!工事の実行じゃ!
という目前に、昨年の災害がありました。
<小田川の付替え工事>は、10年を5年に短縮し、
急ピッチで進められているそうです。
現在、決壊した<小田川の3支流>は、
ようやく<水害以前>のレベルまでほぼ完成し(原形復旧)、
これから以降は、
堤防のかさ上げや拡幅といった<強化改修>にあたるそうです。
南山城跡(発掘現場&工事現場)まで、
ママチャリでぶらぶらじゃ!
自宅から酒津公園の堤防へ・・
高梁川の東岸を北上しました。
↑ 古地から<南の酒津八幡山>
山陽新幹線が見えます。
↑ 同所から西、山の中腹に<南山城跡>の発掘現場が見えます。
↑ 火野正平さんも走った桜並木のある<スズキのお店>あたりから。
↑ 井原線の下あたりより。
↑ 川辺橋西詰より。(→南方向)
↑ 小田川に架かる<南山橋>より。
真備から見て南にあるので、<南山城>。
酒津八幡山より南(現在の倉敷駅)は、海?
ここから先の道からは<南山城跡発掘現場>は、
頭の上の方なので見えません。
ただ、この下で、<小田川付替え工事>の現場の横を通り、
<オジちゃん>から、詳しいお話を伺いました。
その後、
新しい<倉敷大橋>をママチャリで走り、自宅に帰りました。
中世のお城のほとんどは、陣取り合戦のの<砦>のようだったようです。
高梁川と小田川の合流地点、
船穂と真備と、川を挟んでの清音との中間に位置する、
高さ6~70mの山の上に<南山城>が居ます。
尼子の後の毛利の時代のモノらしいです。
中世のお城は、県内に<約1,400>居るらしく、
大雑把な調査は、1,100~1,200くらいまで済んでいるそうな。
が、より詳しく調べる大規模な<発掘調査>にはお金がかかりますので、
その数は、あまり多くありません。(総数の1%未満らしいです)
現在の<南山城>については、
小田川の付替え工事のため、お城のある山が削られ、
城跡も無くなってしまうので(5年以内)、
<発掘調査>も急ピッチで進んでいるそうです。
真備の<水害>については、先日お伝えした古地図にみるように、
古くからある災害で、地元からずっと対処の要望がありました。
倉敷市になって、ようやく動きがあり、予算がついて、
さあ!工事の実行じゃ!
という目前に、昨年の災害がありました。
<小田川の付替え工事>は、10年を5年に短縮し、
急ピッチで進められているそうです。
現在、決壊した<小田川の3支流>は、
ようやく<水害以前>のレベルまでほぼ完成し(原形復旧)、
これから以降は、
堤防のかさ上げや拡幅といった<強化改修>にあたるそうです。
南山城跡(発掘現場&工事現場)まで、
ママチャリでぶらぶらじゃ!
自宅から酒津公園の堤防へ・・
高梁川の東岸を北上しました。
↑ 古地から<南の酒津八幡山>
山陽新幹線が見えます。
↑ 同所から西、山の中腹に<南山城跡>の発掘現場が見えます。
↑ 火野正平さんも走った桜並木のある<スズキのお店>あたりから。
↑ 井原線の下あたりより。
↑ 川辺橋西詰より。(→南方向)
↑ 小田川に架かる<南山橋>より。
真備から見て南にあるので、<南山城>。
酒津八幡山より南(現在の倉敷駅)は、海?
ここから先の道からは<南山城跡発掘現場>は、
頭の上の方なので見えません。
ただ、この下で、<小田川付替え工事>の現場の横を通り、
<オジちゃん>から、詳しいお話を伺いました。
その後、
新しい<倉敷大橋>をママチャリで走り、自宅に帰りました。
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