前にスケッチしたものを、手直しと思い描きに、土曜日の良い晴天の暖かい日にでかけた。とても
暖かくて気持ちが良かった。風もなく雲がなく、陽光がとてもうれしかった。
それで、丸亀城の大手門から入り、近くに芝生の上で、よくおいでになっている。
いわゆる 「お城のおばあちゃん」に会いに行くというので、出かけて行った。
「お城のおばあちゃん」は、とても有名で、絵手紙を観光客に差し上げていて、なんどもテレビにでていたお方です。
丸亀城と言えば、思い出すと城の近くの中学、高校と通ったので、よく知っている。
高校の美術の先生が、スケッチに授業として、城内を描いたことがあった。
いかんな、名前が、思いだそうとしても出てこんな。最近よく忘れていることが多くなった。
調べてみると、この城の説明がきがあった。
標高66mの亀山山頂に天守閣がある。現存する木造天守、12城のひとつとして、古城愛好家は、ご存知だとある。
天守閣に向けて4段階に積み重ねた石垣は高さが60余mあり、丸亀市のパンフレットによると日本一の高さなんだとか。
大手一の門の前から、描こうとしたが、あまりにもシンメトリで、固すぎる。
この城のルーツは、 室町時代、足利幕府の管領であった細川勝元が讃岐の国守だった時、亀山山上に砦をきずいたことが記されている。天正10年(1582)土佐の長宗我部が讃岐に侵入し、細川の本拠の宇多津、聖通寺を攻略する。月日は流れ、天正15年(1587)生駒親正が讃岐一国の領主となり引田城に入る。その後、生駒親正は玉藻城を本城として移り、西讃岐の押さえとして亀山に支城を築き、慶長2年(1597)築城に着手。5年後完成とある。