ナイジェリア:ボコハラムが女性を拉致、子どもを徴兵している
治安部隊によって数百人が「失踪させられ」、自警運動が拡大
(アブジャ、2013年11月29日)-ボコハラムが最近の襲撃で、多数の女性と少女を拉致し、12歳位の子どもを戦闘に使用、数百人を殺害した、と本日ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。一方ナイジェリア政府は、ボコハラムの4年にわたる反乱活動の間に、治安部隊が一斉検挙し、強制失踪させた、数百人の成人男性や少年の消息について説明責任を果たして来なかった。
民間人統合任務部隊(シビリアンジョイントタスクフォース:以下シビリアンJTF)と呼ばれる、ナイジェリア治安部隊と手を結んだ反ボコハラム団体が増加したことが、暴力に憂慮すべき新たな様相を付加している。シビリアンJTFの隊員は、地方のボコハラムによると思われる活動を、治安部隊に知らせる一方、イスラム教過激派はその後、近隣の自警団体とより広範囲のコミュニティーに報復するといった構造だ。
「信仰深いと主張する団体にしては、ボコハラムの戦術は、考え得る限りで、最も信仰とは遠いものです」、とヒューマン・ライツ・ウォッチ、アフリカ局長ダニエル・ベケレは語った。「普通のナイジェリア人を殺害しバラバラにする、女性と少女を拉致してレイプする、子どもを戦闘に使用する、全て恐るべき人権侵害です」
2013年11月に9日間にわたってナイジェリア北部に位置するカノ州の州都カノと、同じく北東部ボルノ州の州都マイドゥグリを訪れたヒューマン・ライツ・ウォッチは、60人を超える被害者・目撃者・医療関係者・地元人権保護団体メンバー・シビリアンJTF指揮官・政府当局者に聞取り調査を行った。
治安部隊に協力しているシビリアンJTF指揮官たちは、マイドゥグリ市内のボコハラム拠点とその後にサンビサ森林内で、26人の女性と少女を救出したと語った。女性と少女の一部は妊娠しており、赤ん坊を出産していた者も複数いた。指揮官たちによれば多くの少女は、街頭で行商をしている際や辺境村落の農地で働いている際に、拉致されたそうだ。救出された、あるいは逃げてきた少女の多くは、レイプあるいは婚外妊娠による「社会的不名誉の烙印」を避けるために、家族によってアブジャ(ナイジェリアの首都)やラゴス(ナイジェリア南西端に位置する同国最大の港湾都市で旧首都)のような、遠く離れた街に送られた、と活動家は話していた。
何人かの目撃者は攻撃の際に、ボコハラム一般戦闘員の中に複数の子どもがいたと証言している。マイドゥグリ市内では、ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査員複数が、治安部隊によって尋問されている14歳の少年のビデオ映像を見た。ビデオの中で少年は、ボコハラムの活動で彼が果たした役割について詳述していた。シビリアンJTF指揮官たちは、2013年中にサンビア森林内にあるボコハラム基地を攻撃した際、多数の子どもを解放したと語った。
ヒューマン・ライツ・ウォッチはマイドゥグリ市内でシビリアンJTFの検問所に、15歳から17歳位に見える子どもが配置されているのを観察しており、他の目撃者複数もボルノ州、ヨベ州(ボルノ州の西隣に位置する)の各地にある検問所に、子どもが配置されているのを見たと詳述していた。
目撃者によれば、ボコハラムは今年5月にボルノ州、ヨベ州、アダマワ州(ナイジェリア東部でボルノ州の南隣に位置する)で、緊急事態が宣言されて以降、一般市民への攻撃を強化したそうだ。ナイジェリア大統領グッドラック・ジョナサンは11月、3州における緊急事態を6ヶ月更新した。
ボコハラムが複数の町や村そして高速道路を包囲、民家・店舗・車を略奪し焼き、人々(一部はシビリアンJTF支援者と疑われていた)を殺害して首をはねた様子を、目撃者は詳述した。 今年7月に治安部隊とシビリアンJTFは共同作戦を展開、ボコハラムをマイドゥグリ市から追い出したように思われた。しかしそれ以降、ボコハラムはダマツル、ベニシェイク、ガンボルなど付近の町で、数多くの攻撃を実行した。
ボコハラムは9月17日、マイドゥグリ市の西74kmに位置するベニシェイクを攻撃、少なくとも142人を殺害して、2010年以降最多の死者を出す事件を起こした。その攻撃直後の朝、同僚を探しにベニシェイクに行ったある男性は、ボコハラムが設置し、焼けた車でいっぱいの検問所で見たことを、以下のように語った。
「そこら中に死体が・・・ここに3人、あそこに2人、その隣に4人といった具合に・・・みんなうつ伏せで倒れ、自分たちの車の近くで死んでました。それから30人位の・・・死体の長い列を見たんです。でも変なことですが、トラックの1台は牛を何頭か運んでいたらしく、それは生きてました。牛を生かしておいて、人間を殺すなんて、誰がするんでしょう。」
もう1人の目撃者は、9月17日のベニシェイク攻撃の際に、およそ20人の女性が拉致された様子を見たと詳述していた。マイドゥグリ市内のある医療従事者はヒューマン・ライツ・ウォッチに、ボコハラムに拉致されて数ヶ月後に妊娠して家に最近帰って来た15歳の少女を治療したと述べた。
住民によれば、強化された権限を有する治安部隊は、とりわけ緊急事態の際、マイドゥグリ市内の青年男性に対して日常的なスクリーニングを確立、数百人の若い男性を拘留したそうだ。目撃者は、兵士がボコハラムの拠点と見なした地域で午前5時に、民家のドアをドンドン叩き始め、若い男性に外に出るよう命令、車のヘッドライトを浴びる形で立っていることを要求し、その後釈放するか逮捕するかを言い渡した時の様子について詳述した。逮捕された者の多くはそのまま失踪し、家族は大変な努力をしたのだが、その所在を突き止めることは出来ていない。
マイドゥグリ市内の1地区、グワンゲに住むある女性は、12歳から30歳の息子7人が他の15人と共に、今年5月の夜間礼拝で自宅前に集まった際に、治安部隊に逮捕された時の様子を語った。もう1人の女性はヒューマン・ライツ・ウォッチに、兵士8人が10歳の息子に横になるよう命令、警棒で殴って縛り上げ、ピックアップ・トラックに他の22人と一緒に、うつぶせで積み重ね、その後連れ去ったと話していた。
元被拘留者2人と目撃者3人が、マイドゥグリ市内にある治安部隊の悪名高いギワ軍兵舎における、恐ろしい拘留環境について、詳細な証言を提供した。彼らによれば、脱水症状・病気・暴行の結果として数百人の被拘留者が死亡、更に多数が処刑されたそうだ。
ボコハラムは全ての攻撃を止め、拘留中の子どもと女性の全員を直ちに解放しなければならない。ナイジェリア政府は、失踪者の消息と、治安部隊による恣意的拘留・拷問・拘留中の死亡事件があったという、信頼性の高い申し立てについて徹底的かつ公平な捜査を行うべきだ。
ナイジェリア政府は国際人権保護法上、住民を暴力から守るべく妥当なあらゆる措置を講じる責任を有しているが、ボコハラムの脅威抑止に向け、過度な強制力を行使してはならず、被拘留者への虐待・拷問、あるいは恣意的拘留を行ってはならない。
ナイジェリア当局は、武装紛争の際に犯罪を行った政府治安部隊や親政府自警団体メンバーを含む全ての者を、公正裁判の基準に沿って訴追しなければならない。シビリアンJTFは、対反乱活動や情報収集活動に、子どもの徴用・使用を止めるべきだ。
連邦司法長官事務所は、軍・警察・国家保安庁からの情報を引用し、拘留施設と被拘留者のリストを集め・維持し・市民が利用できるようしておくべきだ。また当局は、被拘留者が弁護士や家族と連絡を取ることを認めなければならない。被拘留者は文民裁判所において、法律で認められた犯罪容疑で公開かつ迅速に訴追されるか、あるいは釈放されなければならない。
政府は国会人権委員会と協力して、『ナイジェリア北東部での「失踪事件」に関する調査委員会を設立し』、『シビリアンJTF隊員に人権保護に関する規範と基準について訓練を施し』、『児童保護機関と連携して、元少年兵の社会復帰と家族の元への帰還を促進』するべきだ。また拉致されてレイプされた女性と少女に対する、心理面や医療面でのサービス提供も促進しなければならない。
「多くのナイジェリア人家族が、ボコハラムと治安部隊の双方の手によって、苦しめられ、愛する者を失ってさえいます。ボコハラムは普通のナイジェリア市民に戦争を仕掛けるのを止めなければなりませんし、一方政府は拷問・失踪・殺人を行った兵士に、その地位に関わりなく責任を追及しなければなりません」、とベケレは指摘した。
Fighting Between Boko Haram and Nigerian Security Forces
ボコハラムとナイジェリア治安部隊の間での戦闘
Since fighting with security forces in the summer of July 2009, Nigeria’s homegrown Islamist insurgent movement, Jama’atu Ahlis Sunna Lidda’awati wal-Jihad, popularly known as Boko Haram, has carried out frequent attacks on police, soldiers, politicians, and other symbols of authority, as well as on civilian property such as schools. The group is waging a war against the government to establish an Islamic legal code.
2009年夏の7月に治安部隊との戦闘を開始して以降、ナイジェリアで独自に発展したイスラム教主義者反乱運動、一般的にはボコハラムとして知られる、「宣教及びジハードを手にしたスンニ派イスラム教徒としてふさわしき者たち」は、警察官・兵士・政治家・その他権威の象徴・学校のような民用財産に対して、頻繁に攻撃を行ってきた。同団体はイスラム法典の確立を目指し、政府に戦争を仕掛けている。
Human Rights Watch for several years has documented Boko Haram attacks and abuses by government security forces against civilians and suspected Boko Haram members. In a 2012 report, “Spiraling Violence”, Human Rights Watch analyzed the pattern and scope of the violence that has engulfed communities in northeast and central Nigeria.
ヒューマン・ライツ・ウォッチは数年にわたり、ボコハラムによる攻撃と共に、政府治安部隊による一般市民とボコハラム構成員と疑われた者に対する人権侵害を、取りまとめてきた。2012年10月に公表した報告書「暴力の急増」でヒューマン・ライツ・ウォッチは、ナイジェリアの北東部及び中央部のコミュニティーを巻き込んできた、暴力のパターンとその範囲を分析した。
In June 2013, young men in Maiduguri organized into a group known as the Civilian Joint Task Force, or Yan Gora, to monitor and protect their town and neighboring villages from violence. Members interviewed by Human Rights Watch said the youth had grown tired of being targeted by both Boko Haram and the security forces. The group maintains checkpoints; searches pedestrians, vehicles, and residences; and provides intelligence to the security services.
2013年6月にマイドゥグリ市内の青年男性たちが、自らの街と近隣の村落を監視し、暴力から保護するために、シビリアンJTFあるいはヤンゴラとして知られる団体を組織した。ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞取り調査に応じたメンバーは、ボコハラムと治安部隊の両方から狙われることに、辟易したのだと語った。同団体は検問所を維持し、歩道・車両・住民を検査、治安部隊に情報を提供している。
The Civilian Joint Task Force relies on members’ knowledge of the community to identify Boko Haram members for the security forces. The Borno State governor has recruited 1,800 youths, paying them the equivalent of US$100 per month to work with the Civilian Joint Task Force, who are trained by security forces. Recruitment and training of Civilian Joint Task Force members is ongoing.
シビリアンJTFは、メンバーによるボコハラム構成員を特定して治安部隊に知らせる、コミュニティーに関する知識に依拠している。ボルノ州知事は毎月100米ドル相当額を支払って1,800人の青年を採用、治安部隊か訓練を受けたシビリアンJTFに協力している。シビリアンJTFメンバーの募集と訓練は今も継続中だ。
Boko Haram’s Execution and Decapitation of Civilians in Benisheikh
ベニシェイクでボコハラムが行った一般市民の処刑と斬首
The September 17, 2013 attack on Benisheikh was Boko Haram’s most deadly attack on civilians in Borno State since 2009. At least 150 members of Boko Haram took over and for several hours held a stretch of the highway near the town, 75 kilometers west of Maiduguri, the Borno State capital. The heavily travelled road connects Maiduguri with Kano, the commercial hub to the west. During the siege, they killed at least 142 people, according to officials from the Borno State Environmental Protection Agency, which cleared away and buried the bodies.
2013年9月17日のベニシェイクへのボコハラムによる攻撃は、2009年以降ボルノ州で一般市民に最も多数の死者をもたらした。少なくとも150人のボコハラム構成員が、ボルノ州の州都マイドゥグリ市の西75kmに位置する町付近で、ナイジェリア北部カノ州の州都であり同国西部の商業の中枢でもあるカノ市とカノマイドゥグリ市を結ぶ、非常に交通量の多いハイウェイの一部を数時間占拠した。ボルノ州環境保護局の職員らによれば、占拠中にボコハラムは少なくとも142人を殺害、同局が清掃と遺体埋葬を行ったそうだ。
Human Rights Watch interviewed seven witnesses with knowledge of the attack, including three detained by Boko Haram during the episode and four others who went to the scene shortly after Boko Haram members fled.
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、攻撃の際ボコハラムに拘束された3人と、ボコハラム構成員が逃亡した直後に現場に行った4人の、その攻撃について詳しい目撃者計7人に聞取り調査を行った。
The witnesses described how heavily armed men from Boko Haram set up checkpoints that forced at least 30 vehicles to stop – private cars, commercial taxis and minibuses, motorcycles, and trucks carrying goods and livestock. The armed men ordered the passengers out of the vehicles and demanded their cash, telephones, and identity cards. Boko Haram separated the women and children from the men, who were ordered to lie down on the road, then executed scores of the men and several boys. During and after the attack, Boko Haram stole merchandise from the vehicles as well as from stores inside Benisheikh.
目撃者たちは、重武装したボコハラム戦闘員が検問所を設置し、自家用車・営業用タクシー・ミニバス・バイク・貨物&家畜運送用トラックなど、車両少なくとも30台を強制的に停車させた様子について詳述した。武装戦闘員は車両から乗っていた人々に出るよう命令し、現金・携帯電話・身分証明書を要求、更に男性から女性と子どもを分け、男性は道路に横たわるよう命令、その後多数の男性と数人の少年を処刑した。攻撃の際と後に、ボコハラムは車両及びベニシェイク市内の店から商品を盗んでいる。
Witnesses who arrived shortly after Boko Haram fled described seeing several lines of bodies on the road, many with their feet and hands bound. Others were in the grass not far from the road. Most had one or a few bullets to the head and neck; others had deep machete wounds. According to a morgue attendant who picked up the bodies, at least six had been decapitated.
ボコハラムが逃亡した直後に現場に到着した目撃者は、道路上に幾つかの遺体の列があり、その多くが手や足を縛られていたのを見たと話している。他にも道路から遠くない草むらに遺体があった。殆どの遺体には、頭部と頸部に1発あるいは数発の弾丸を撃ち込まれ、ナタによって深い傷を負っていた遺体もあった。遺体を回収した安置所係員によれば、少なくとも6遺体の首は切断されていたそうだ。
Witnesses said that based on comments from Boko Haram, many of the victims were targeted merely on the basis of where they lived: those from Maiduguri, Damaturu, and other towns in Borno and Yobe states were singled out for execution because of their perceived support for the Civilian Joint Task Force. Many of those from Kano and elsewhere were spared. A driver from Kano said:
目撃者はボコハラムが話していたことを根拠に、被害者の多くは何処に住んでいたのかという理由だけで狙われたと語った。ボルノ州のマイドゥグリ、ヨベ州のダマツルなど、両州各地出身者は、シビリアンJTF支持者と見なされて処刑され、カノ州各地の出身者は助命されたそうだ。カノ州出身の運転手は以下のように話している。
At the entrance to the town, I was stopped by a group of 35 men in military uniform and turbans covering their faces. They were heavily armed with AK[47]’s; many had machine guns. They looked in my car and seeing I had mostly women, motioned for me to move on until I was stopped by another big group of more than 100, at the truck stop [where we usually pray and eat]. I was one of at least 30 vehicles. They ordered us out, yelling at the men to lie down on the road, and for the women to move to one side. They asked the men where we were from….
『町の入り口で、軍服を着て顔をターバンで覆った男35人に停車させられました。AK[47(突撃銃)]で重武装し、多くは機関銃を持ってました。車の中を覗き込み、私の車には殆ど女の人しか乗っていないのを見て、[いつも私たちが礼拝と食事をする]トラック用の駐車場で、100人以上いるもう1つの大きなグループに停車させられるまで、動き続けるよう合図しました。私らを含め少なくとも30台の車がありましたね。ヤツラは私たちに外に出るよう命令し、男の人には道路に横たわるよう、女の人には反対側に行くようどなりました。それから男の人に、何処から来たのか尋ねたのです』
The driver never again saw his passengers, who were from Maiduguri:
その運転手は、マイドゥグリ出身の乗客を2度と見ることはなかった。
While lying there, I saw them kill 10 men… they walked behind a small house with them, then I heard them in Hausa saying, “Uh huh… you’ve 、left us, you are Civilian JTF [Joint Task Force], you have chosen your side,” meaning the government. Then a shot… and another and another. Later, after BH [Boko Haram] fled, I saw the 10 bodies where they’d been slaughtered.
『そこで横になっている間に私は、ヤツラが男の人10人を殺すのを見たんです・・・ヤツラは小さな家の後ろに男の人たちと歩いて行きました。それからヤツラがハウサ語で、「ウーン・・・、お前ら俺たちを見捨てた、シビリアンJTFだな、お前らはアイツラ[政府の意味]を応援してたんだ」って言ってるのが聞こえました。それから1発の銃声・・・もう1発、もう1発って聞こえたんです。後になってBH[ボコハラム]が逃げた後、殺された場所に10人分の死体があったのを見ました』
Another driver identified the bodies of two of his friends – one in a cluster with nine other bodies, another with four other dead. A third driver, who also searched for his colleague, found his body, but “his head was to one side… completely severed… I couldn’t sleep for days.”
もう1人の運転手は、友人2人の遺体を、1体は9遺体の集団から、もう1体は他の4遺体から発見した。同僚を探していた3番目の運転手は、遺体となった同僚を発見したが、「頭は反対側にあって・・・完全に切断されてました・・・何日も寝れなかったですよ」と話した。
A man who went to Benisheikh on the morning after the attack described what he saw as he searched for the body of his colleague who had failed to return home from Kano:
攻撃があった後の朝、ベニシェイクに行った男性は、カノから自宅に戻らなかった同僚の遺体を探していた時に、何を見たのかについて以下のように話した。
I saw four big trucks and about 15 cars or minibuses – most of them burned, some still smoldering, and next to them were the bodies… three here, two there, four near the next – all lying face down, dead next to their vehicle. Then I saw a long line of bodies… about 30 of them. Each had his legs and hands bound, and a cloth over their eyes… it was here I found my friend. He, like the rest, had been killed with a bullet to the back of the head.
『4台の大型トラックと約15台の車やミニバスを見ました。殆どが焼けていて、中にはまだ煙が出てました。そしてその隣には死体が幾つもあって・・・ここに3人、あそこに2人、その隣に4人といった具合に・・・みんなうつ伏せで倒れ、自分たちの車の近くで死んでました。それから30人位の・・・死体の長い列を見たんです。それぞれの手と足を縛られ、両眼には布が被せられてました・・・そこで友人を見つけたんです。ヤツは他の人と同じように、後ろ頭に弾を1発撃ち込まれて殺されてました』
Boko Haram Abduction and Rape of Women and Girls
ボコハラムは女性と少女を拉致・強姦
A driver detained in September at a checkpoint manned by Boko Haram near the town of Benisheikh told Human Rights Watch that he saw Islamist group members force more than 20 women at gunpoint to get off public transport vehicles and climb onto two other vehicles that sped away with Boko Haram:
ボコハラムがベニシェイク近くの検問所に配置した要員に拘留されたある運転手は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに、イスラム主義団体構成員が、20人超の女性に銃を突きつけ、公共交通機関の車両から他2台の車両に乗り換えさせ、ボコハラムと共に走り去ったと以下のように話した。
At their checkpoint they ordered us out, yelling at the men to lie down on the road, and for the women to move to one side. I remained on the ground for over 45 minutes… I saw them kill many men, but the women, they took them away… I saw two of the vehicles they’d stopped drive up close to us… one 16-seater, the other of about 10 seats. A few of the BH [Boko Haram] went over to where the women were gathered, pointing at which ones they wanted. They didn’t take those with children – mostly, they took young women in their 20s… they picked the fine [pretty] ones. They ordered them inside, at times pointing their guns, saying, “Go, go.” A few other women were ordered to get into one of their Hiluxes [vehicles]… The women were crying and saying, “Oh my God, oh my God,” as they entered the cars. None of the men dared say a word… Then they [Boko Haram] drove away with [the women]…
『ヤツラは検問所で俺たちに、出ろって命令し、男の人には道路に寝ろって、女の人には反対側に行くようにって、どなったんです。俺は地面に45分以上いて・・・ヤツラが男の人を沢山殺すのを見ました。だけど女の人は、連れ去ったんですよ・・・俺たちの近くに、走ってきて停めた2台の車があって・・・1台には座席が16、もう1台には10座席くらいありました。BH[ボコハラム]の数人が、女の人が集められてる所に行き、それぞれが好みの女の人を指差しました。子ども連れの女の人は連れてかないんです。殆どは20代の若い女の人を連れてった・・・素敵な[可愛い]人を選んだんです。女の人たちに車に乗るよう、時々銃を突きつけて、「行け、行くんだよ」って命令してました。他に数人の女の人が1台のハイラックス[トヨタの車]に乗るよう命令されて・・・車に乗る時、女の人たちは、泣きながら、「神様、神様」って言ってました。男の人たちは一言もしゃべらなかったね・・・それからヤツラ[ボコハラム]は[女の人を]乗せて走って行きました。』
A woman who works with a local nongovernmental organization told Human Rights Watch that she interviewed a young woman who was saved from abduction during the Benisheikh attack after a former neighbor, now a member of Boko Haram, recognized her. A bus owner said Boko Haram released one of his captured passengers after seeing her walk with a limp.
一方ヒューマン・ライツ・ウォッチは、拉致されていたが、ベニシェイク攻撃の際に、以前の隣人で、現在はボコハラム構成員である人物に発見され、救出された女性にインタビューしたという、地元NGOに協力する1人の女性の話も聞いた。またあるバスの所有者によれば、ボコハラムが、捕えていた乗客の女性が足を引きずって歩いているのを見た後、その女性を解放したそうだ。
In Maiduguri, residents told Human Rights Watch that, on several occasions, members of Boko Haram forcefully abducted several teenage girls. One man who had documented several of these cases said, “After storming into the homes and throwing sums of money at their parents, with a declaration that it was the dowry for their teenage daughter, they would take the girls away.” Some of the girls returned months later, showing signs of pregnancy or babies born during their captivity. One witness said his neighbor was shot dead for rejecting the “dowry” thrown at her by insurgents, who took away the neighbor’s daughter.
マイドゥグリ市内で住民はヒューマン・ライツ・ウォッチに、ボコハラム構成員が何度も、10代の女性数人を拉致したと語った。それらの事例を幾つも取りまとめてきた1人の男性は、「民家に押しかけて、その家の10代の娘の持参金だと宣言して、いくばくかの金を両親に投げつけた後、彼らはその少女を連れ去って行くのです」と話した。それらの少女の一部は数ヶ月後に、妊娠の兆候を示し、あるいは囚われていた間に出産した赤ん坊を伴って帰って来たそうだ。ある目撃者によれば、隣人女性が、投げつけられた持参金の受け取りを拒否したために、娘を連れ去ったボコハラム構成員に、射殺されたそうだ。
A Civilian Joint Task Force commander who had participated in a raid that freed some abducted women and girls said:
一部の女性と少女を解放した強制捜査に参加したシビリアンJTF指揮官は、以下のように語っている。
When we made Maiduguri “too hot” for Boko Haram, they ran away without their wives. Now they are picking up women anywhere and using them to satisfy themselves. Some of the girls we found hiding when we invaded Boko Haram camps around Sambisa [Forest] told us they were dragged into vehicles when hawking on the street. When we return them home, their families are too ashamed to keep them because nobody will marry a girl who has been raped or has a child for these bad people.
『マイドゥグリでボコハラムをこっぴどくやっつけた時、ヤツラは女房を置いて逃げた。だから今、ヤツラはどこでも女性を捕まえて、自己満足に使っている。サンビサ[森林]周辺のボコハラム基地を叩いた時に、隠れているのを見つけた女の子たちは、街頭で行商をしている時に車の中に引きずり込まれたって話してたよ。家に帰してやったけど、レイプされたり、悪党の子どもを持ってる女の子を結婚するもんはいないから、家族は女の子を恥ずかしくって置いてとけないんだよね。』
Recruitment and Use of Children by Boko Haram and the Civilian Joint Task Force
ボコハラムとシビリアンJTFによる児童への徴兵と軍事利用
Several witnesses described the presence of children, a few as young as 12, in the ranks of Boko Haram. Witnesses to the Benisheikh attack observed some children carrying AK47 rifles. Human Rights Watch viewed a video of the interrogation by the military of an alleged child combatant who described the duties children perform for Boko Haram: intelligence gathering, tracking the movements of the security forces, transporting guns, burning down schools and churches, and providing information before attacks.
目撃者数人が、ボコハラム戦闘員の中に若干名12歳位の子どもがいたと語っている。ベニシェイク攻撃の目撃者によれば、AK47ライフルを携行した子どもが何人かいたそうだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、子ども戦闘員容疑者に対する、軍による尋問を映したビデオを検証したが、その子どもはそこで、情報収集・治安部隊の動向監視・銃の搬送・学校や教会の焼き打ち・攻撃前の情報提供など、子どものボコハラムでの任務について詳述していた。
Other witnesses described seeing several children aged 15 - 17 manning checkpoints for the Civilian Joint Task Force, working with security forces within several towns in Borno State. Civilian Joint Task Force members admitted to having used numerous children in operations. However, one leader noted recently that “the military had advised us not to allow any children to enter into the Civilian JTF [Joint Task Force] as part of our ongoing recruitment drive.”
ボルノ州の幾つかの町で、15歳から17歳位の子どもが数人、シビリアンJTFの検問所に配置されていたり、治安部隊に協力して働いているのを見た、と語る目撃者も複数いた。シビリアンJTFメンバーは、その活動に多数の子どもを使っていることを認めた。しかしある指導者は最近、「軍が、現在行っている募集業務の一環として、シビリアンJTFに子どもを入れるのを認めないよう指導した」、と指摘した。
Nigeria is party to the Optional Protocol to the Convention on the Rights of the Child on the involvement of children in armed conflicts, which bans the recruitment and use in hostilities of children under 18 by armed groups distinct from the armed forces of a country. Under Nigeria’s 2003 Child Act, the government is required to ensure that no child is directly involved in any military operations or hostilities.
ナイジェリアは、「武力紛争への子どもの関与に関する子どもの権利条約の選択議定書」の締約国だ。同議定書は、国家武装軍と区別される武装集団による、18歳未満の子どもの募集と戦闘行為での使用を禁止している。2003年成立のナイジェリア児童法の下でも、如何なる軍事活動あるいは戦闘行為に、子どもは直接的に関与させられてはならない旨保証するよう、政府は義務付けられている。
Mass Arrests, Detention, and Disappearances by Security Forces in Maiduguri
マイドゥグリでの治安部隊による大量逮捕・拘留・失踪
Former detainees, family members of detainees, human rights advocates, and militia leaders described the detention in Maiduguri of hundreds of men in mass arrests by security forces; the numbers of detentions were particularly high in May and June 2013.
元被拘留者、被拘留者の家族、人権アドボケーター、民兵組織指導者が、マイドゥグリで治安部隊が、男性数百人を拘留している様子について語った。被拘留者の数は2013年5月と6月中とりわけ多かったそうだ。
Scores, perhaps hundreds, of these men and boys remain unaccounted for. Witnesses and former detainees credibly assert that detainees died in custody from the appalling detention conditions or were executed by the security services within the 21 Armored Brigade, popularly known as Giwa Barracks. Both the detentions and deaths in custody appear to have slowed since July.
多数の、おそらくは数百の成人男性や少年が、未だに消息不明のままだが。目撃者と元被拘留者は、一般にはギワ兵舎と呼ばれている第21機甲旅団のひどい環境下で拘留中に死亡したか、治安部隊に処刑されたと断言している。ただ被拘留者も死者も、今年7月以降は減少しているようだ。
Human Rights Watch documented five major mass arrests, in markets, mosques, and other locations where young men are known to congregate. Witnesses said the security forces appeared to detain the men arbitrarily.
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、青年男性が集まっていることで知られている、幾つかの市場・イスラム寺院・その他の場所で、大規模な一斉逮捕が5度行われたことを取りまとめた。目撃者によれば、治安部隊が男性を恣意的に拘留したようだ。
Human Rights Watch spoke with 16 family members of men and boys detained by the security services during sweeps of their neighborhoods in Maiduguri, including Gwange, Gamboru ward, Terminus, and Baga fish market. Many of the relatives saw the mass arrests. Family members and witnesses described how, often after Boko Haram attacks, members of the security forces indiscriminately rounded up and arrested boys and young men in the vicinity who were presumed to be aligned with the group.
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、グワンゲ地区、ガンボル地区、更にテルミナスとバガー魚市場を含む、マイドゥグリ市内の特定地域で行われた一斉検挙の際に、公安機関に逮捕された成人男性と少年の家族16人に話を聞いた。多くの親族は一斉逮捕を目撃しており、家族と目撃者は、多くの場合ボコハラムによる攻撃があった後、治安部隊隊員が、ボコハラムに関係していると見なされた少年や青年男性を、近隣で無差別に集合させ逮捕した様子を語った。
Several people in the vicinity of Baga fish market in Maiduguri described how, in May 2013, security forces shot and killed 13 young men and arrested more than 200 others during a major operation. One witness said:
マイドゥグリ市内のバガー魚市場の近隣で幾人かの人々が、2013年5月にあった大規模な作戦行動の際に、治安部隊が青年男性13人を射殺し、200人以上を逮捕した様子を語った。ある目撃者は以下のように話している。
I was attending to customers at my stall on Democracy Day (May 29) when at about 9 a.m. soldiers surrounded the market and locked the gates… They ordered everyone to come out into an open space in the market, then separated the young men from the old… The commander of the soldiers… stood in front of the young men with someone whose head was covered… He would count then point…
『民主主義の日(5月29日)に自分の店でお客さんの相手をしてた時です。午前9時頃でした。兵隊が市場を包囲して、入口のゲートをロックしたんです・・・。でみんなに、市場の広場に出て来るよう命令し、それから若い男と年寄りを分けました・・・兵隊の指揮官は・・・若い男たちの前に、頭に被り物をした何人かと一緒に立ってました・・・で数を数えそれから指差したんです・・・』
Whoever he pointed at would have their shirt immediately torn off by other soldiers and the pieces used to tie their hands at their back. Sometimes he would touch people on their chest and if their hearts were pounding or they moved, their shirt would also be torn off and used to tie them. Some people became nervous, afraid, and tried to move away from the soldiers. They were instantly shot dead… Thirteen dead bodies were taken away by the soldiers when they finished screening us at around 9 p.m. at night…
『指揮官に指差された者はみな、着ていたシャツを兵隊から即、引きちぎられ、それで出来た布切れを使って、後ろ手に縛られました。時々その指揮官は捕まえた人の胸を触るんです。その時、心臓がドキドキしていたり、あるいは触った人が動いたりすると、その人の着ていたシャツはまた引きちぎられ、それで縛られるんです。中には緊張して怖くなり、兵士たちから離れようとした人がいて、でもそんな動きをした人は、即、撃ち殺されました・・・。夜の9時頃・・・、私たちのスクリーニングを終わりにして、兵隊たちは13人の死体を運んで行きました。』
They piled the young men whose hands they had tied on top of each other in the trucks that brought fish to the market… More than 200 people were arrested from this market that day. We heard later that those at the bottom of the piles were already dead when the trucks arrived at JTF [Joint Task Force] Sector 1. Those that remained alive were taken to Giwa Barracks later that night and we never saw them in the market again.
『兵隊隊は、手を縛った若い男たちを、市場に魚を運んで来たトラックの上に、互いに重ねて積み込んだんです・・・。その日その市場で200人以上が逮捕されました。後で聞いたんですけど、その時積み重ねられた一番下の人は、トラックがJTFのセクター1に到着した時に、もう死んでたそうです。生きてた連中が、その日の夜遅くに、ギワ兵舎に連れてかれたんですが、その連中も市場では2度と見てません』
A man who was detained at Giwa Barracks for six months with 16 other men and boys from his neighborhood, ranging in age from 17 - 60, said he was the only one from the group to survive. Hundreds of his cellmates died at Giwa, the man said:
同じ居住区出身で年齢は17歳から60歳にまでの、青年男性と少年16人と一緒に、ギワ兵舎で6ヶ月間拘留されていた1人の男性は、そのグループで生き残ったのは自分だけだと話していた。数百人の捕まっていた仲間が、ギワで死亡したとその男性は以下のように語った。
After reaching Giwa, many of us were chained to the columns – four of us on each one – where I remained for 20 hours while they beat us; an old man chained alongside me died right there, his head hanging limp. I watched as six of my neighbors died while being beaten with sticks and iron rods by soldiers the very first day we got to Giwa Barracks – two of them were brothers. They fell down and never got up again.
『ギワに着いた後、私たちの多くは、4人づつ1塊りで、鎖に繋がれました。そこにいた20時間、ヤツラは俺たちを殴り続けたんです。俺の隣にいた年取った男の人は、頭をダランとさせて、そこで死にました。ギワ兵舎に着いた最初の日だけで、仲間の6人が、兵隊からムチや鉄棒で殴られている間に死んで行くのを見ました。その内の2人は兄弟でした。倒れて2度と立ち上がらなかった。』
Of those in my group, the other 10 died from starvation and illness in the cell, where we were detained with over 1,000 other men… They died one by one like so many others, of illness, of sickness like dysentery or cholera, of hunger… sometimes up to 25 would be taken out of the cell dead. In one day I saw others being dragged off for interrogation, but they never returned.
『1,000人以上の男と一緒に閉じ込められていた房の中で、私らグループの他10人も、飢え死にや病気で死にました・・・。他の沢山の人と同じように、1人また1人って、赤痢やコレラのような病気で、飢えて、死んで行くんです・・・時々は25人も死んだ人が房から運び出されて行きました。ある日他の人が取調で引きずり出されて行くのを見ましたが、その人たちも帰って来なかったですね』
On several occasions I heard the officers saying, “Just finish him,” and then a shot would ring out. Once I saw the major take out a Beretta [firearm] and shoot a detainee… only they will know what to say to Allah on the Day of Judgment.
『何回か、士官が「トドメを刺せ」って言うのを聞いて、それから銃声が1発響くんです。一度は、ある少佐がベレッタ(拳銃)を抜いて、1人の男を撃ったのを見ました。・・・最後の審判の日にアラーに何を言うのかは、彼らだけが知ってるんですね』
Several witnesses described an underground bunker where men thought to be active members of Boko Haram were detained and where the conditions were even worse. Two witnesses described seeing corpses on several occasions brought up from the cellar and loaded onto an ambulance.
何人かの目撃者が、ボコハラムの活動的構成員と思われた男たちが拘留されていて、もっとヒドイ環境だった地下バンカーについて詳述した。遺体が複数、地下室から運び出されて、救急車に積み込まれる様子を何度も見たと話す、目撃者も2人いた。
The former detainees and witnesses described gross overcrowding, with hundreds of men jammed into a cell: “We were packed so tightly; if you dared stand up, there was no way you’d find the room to sit down again,” one former detainee recalled. The detainees at times urinated, defecated, and vomited on themselves. One detainee said he bathed only twice in six months.
元被拘留者と目撃者は、1つの房に数百人の男性がスシ詰めにされる、ヒドイ過密状態について語っていた。『スゴイスシ詰めでね、立ちあがったら、2度と座れる場所なんかないんだ』、と元被拘留者は思い出していた。被拘留者たちは時折、トイレに行けないまま排尿・排便・おう吐していたそうだ、ある被拘留者6ヶ月で2度しか入浴できなかったと語った。
Witnesses attributed the majority of deaths in detention to dehydration and illness, primarily dysentery. They said the pace of deaths increased in the hot months and rainy season. One detainee claimed to have seen up to 20 or 25 dead being taken out per day. An 18-year-old former detainee who was arrested in his home with a friend, also 18 years old, said:
拘留中の死者の大多数は、脱水と病気、主として赤痢が原因だった、と目撃者たちは考えている。死亡者数は暑い数ヶ月そして雨季に増加したそうだ。最も多い時は1日当たり20から25人の死者が運び出されるのを、ある被拘留者は見たと主張している。同い年の友人と共に自宅で逮捕された18歳の元被拘留者は以下のように話した。
I was handcuffed to my friend for 10 months and had only one free hand to quickly use the toilet and get our meal, which is served directly unto our palms within the five minutes we were opened up in the mornings and evenings [to use the bathroom and get meals]. My friend became gravely ill and weak so our cuff was removed, but he received no treatment or medication except painkillers once in a while. When we were eventually released after two years through the intervention of a benefactor, my friend could no longer hear, speak, or walk… He is still gravely ill now.
「ボクは友達と10ヶ月間手錠で繋がれてました。トイレを素早く使う時と、手のひらに直接給仕される食事の時だけ、片方の手を自由にしてもらえるんです。朝と夜に[トイレを使うのと食事をとるため]5分間以内だけど自由にしてもらえた。友達は重い病気になって、弱ったので手錠ははずしてもらえたけど、治療は全く受けられず、たまに痛み止めをもらえる以外は薬ももらえませんでした。ある恩人が仲に入ってくれて、2年後にやっと釈放されたんですが、友達はその時、聞くことも話ことも、歩くこともできなくなってました・・・。今でも重病人ですよ」
A group of 70 women and children from the Terminus area of Maiduguri in early November protested the detention without charge of their family members at Giwa Barracks. One of the group’s leaders told Human Rights Watch that the detainees, aged 15 - 30, had not been permitted to see their family members, who had tried desperately to locate and visit their detained loved ones.
マイドゥグリのテルミナス地域出身の女性と子ども70人のグループが、11月初旬にギワ兵舎で、家族が起訴されないまま拘留されている状況に抗議を行った。グループ指導者の1人はヒューマン・ライツ・ウォッチに、15歳から30歳までの被拘留者が、愛する者の居場所を必死になって探し面会しようとしてきた家族に、会うのを許されなかったと述べた。
Witnesses at a hospital in Maiduguri described seeing soldiers bring corpses to the hospital on nearly a daily basis, both from Boko Haram attacks and Giwa Barracks. The largest numbers were in May and June, when the military ambulance would sometimes make up to seven trips from Giwa Barracks to the morgue, witnesses said. The corpses that arrived at the morgue were visibly emaciated; some with hands tied behind their backs, or had scars around the wrists, suggesting they had been handcuffed for extended periods of time. Some of the corpses had “necks hanging at strange angles” or gunshot wounds that suggested the cause of death, witnesses said.
マイドゥグリ市内の病院の目撃者は、兵士が殆ど毎日病院に、ボコハラムによる攻撃とギワ兵舎の両方から、遺体を運んで来ているのを見たと語った。その数が最も多かったのは5月と6月で、その期間中は時々、ギワ兵舎から1日最多で7回も遺体安置所への輸送があったそうだ。安置所に到着した遺体は、明らかにひどく痩せていて、更に後ろ手に縛られていたり、手首の周辺に傷があったりして、長い期間手錠を掛けられていたことを示唆していた。「奇妙な角度で首がぶら下がっている」遺体や銃傷のある遺体があり、その死因が窺われたとも、目撃者は話している。