県立病院に行くと決め、紹介状を書いてもらい、予約も取ってもらった。そして、その日の前日、実家に帰った。
母は、旦那さんは大丈夫なのか、家は大丈夫なのか、次男は大丈夫なのか、お姑さんは大丈夫なのかと1日に何回も心配して訊いて来た。
嫁いだら嫁ぎ先が最優先だと思っている世代。いつも、主人に気を遣っていた。
その反面、なぜ姉がしないのかと言う不満も漏らした。そして、最近ではあまり姉が訪ねて来ない事も不満に思っていたようだった。
翌日、高速を使って1時間弱、県立病院に着いた。駐車場の係の人に車椅子を用意してもらった。この時点で、車椅子じゃないともう歩けないのか…と言うのもショックだった。
初診の手続きや予診であっちこっちに行った。大きな病院なので分業が進んでいる。
『次はどこに行けばいいのかとか自分達みたいな年寄りには全然分からん。姉ちゃんも分からないはず。だから、お前に頼んだんだ。』と母は妙に納得していた。
予診係の看護師さんは、偶然にも実家近くの出身で、母のかかりつけ病院にお父様がかかっているとの事だった。もちろん、母と方言でやり取りしている。しかも、なぜか母にとって私の声より聞き取りやすかったようで、耳が遠い事に気付かれないくらいスムースにやり取りしていた。やはり、こっちにして正解だったと安堵した。
しかし、予診で37℃台の微熱がある事が分かった。実は、これも後々大きく影響して来るのだが、母も私もあまり気に留めていなかった。
やっと担当医の診察の番になった。信頼できそうな女医さんだった。先生からは、コロナ禍のせいで現状あまり手術は行っていない事。それは、若い人でも同じで、なるだけなら薬で抑える方針である事が説明された。かかりつけ医は手術適応だと思い紹介状を書いていたので、このような説明になったのだと思うが、わざわざ若い人でも…と説明されたのが、逆にやはり年齢のせいなのか…と思えてならなかった。なので、『先生、私は母は100歳以上生きると思ってます。だから、積極的に治療してほしいのですが』と言った。後悔のないように、言いたい事を言おうと思っていた。そこで、先生は、母に『手術はどう思いますか?』と訊いた。母は、『必要ならしますが、なるだけなら、今更痛い思いはしたくないです』と答えた。なんで手術したいって言わないんだ!と内心思った。
『ですよね。やはり、まずは薬で様子を見ましょう。もちろん、年齢にしては、とてもお元気なので、必要なら手術も視野に入れますね。』と言った。
そして、その日は、血液検査と尿検査、薬が効く癌であるかどうか調べるために、もう1度組織を採る事になった。
かかりつけでの組織採取が痛くて、ひどく内出血している事を伝えると触診し、『本当ですね。高齢になると血管が脆くなり、こうなる事もあるんですよね。もしかしたら、うちでも同じようになるかもしれません。』と言われた。母は、ちょっと嫌そうだった。
採尿する時は、一緒にトイレに入った。親子とは言え、ひどく踏み入ってる気がしたが、考えないようにした。トイレットペーパーを用意してあげていると、そんなに使わなくていい!と怒られた。こんな風にずっと辛抱して来たんだろうなぁと切なくなったが、ダメだよ、もっと使わないとと言い返してしまった。
組織の採取は、今回は痛くなかったと喜んでいた。
血液検査と尿検査の結果を待つ間、母は既に疲れており、寒いと言い始めた。念のために薄手のカーディガンを持って来ていて助かったが、それでも、寒い、待ちくたびれたと言っていた。病院に着いてから3時間程経っていた。私は、飲み物を用意して来なかった事に気付き、慌てて買いに行った。
しばらくして、また診察室に呼ばれた。内科的には何の問題もなく、先生が驚いていた。母もそれが嬉しく、また自慢でもあったので、『そうなんですよ。病気など今までした事なくて、入院したのは出産の時と膝の骨折の時だけで、乳癌なんて言われてびっくりしたんですよ。』と微笑みながら話していた。
『ただ、尿検査と血液検査の結果、どうやら尿路感染症になってるようです。熱も、そのせいだと思うので、清潔にしておいてください』と言われた。ただ指摘されただけで、薬の処方もなかった。
組織検査の結果は、3週間後に出るとの事だった。都合よくお盆前だったので、8月12日に予約をして帰った。
その日は実家に泊まった。しっかり洗うんだよと言って、母にシャワーをさせた。洗ってあげるのもはばかれる部位なので、1人でシャワーさせた。シャワーを終えた母は、しっかり洗ったと言った。
でも、今思えば、しゃがむ事もできないのに、きれいに洗えてるはずがなかった。しかも、母はなぜか、昔から、そこだけは石鹸で洗ってはいけないと言っていたのだ。
そんな事にも気付かず、毎日ちゃんと洗うんだよと念押しして、翌日、自宅に戻った。