New Frontier

~21世紀の地球人の過ごし方~

洞爺湖サミット

2008-06-22 03:54:46 | Weblog
さて、日本で行われるサミットも、もうすぐですね。

環境問題は、気象異常という形でも、人々の意識にかなり浸透してきていると思いますが、実行に移す、となるとなかなか進まないもの。

実際には、人類の人口増加自体が環境にはかなり深刻なダメージを与えている訳ですけれど、それをより助長しているのが、便利さを追求している部分にあると思ってます。

コンビニ・ストアは便利だけれど、ここで取り扱うお弁当自体も時間が来ればあまったものは廃棄されるし。

でも日本は、自動販売機自体が本当に多い国だと思う。一体全体、こんなに必要なんでしょうかね。

そこで売られているペットボトル入りの清涼飲料水も、このペットボトルは一体全体どれくらいのCO2をだしているのかな、と疑問に思ってしまいます。

ただ、国民一人ひとりのCO2自体を削減したとしても、やはり、企業から出すCO2に比べたら、どうなんでしょうか。あまり政府はここの部分の数字をだしてこないのでわからないですけれど。

国の発展のために、ある程度国民が犠牲を強いられるのは仕方のないことなのかもしれないけれど、日本ではちょっと長すぎやしないですかね。

スーパーの洗剤売り場に行けば、ひっきりなしに新製品が出ているし、こんなに消費者はころころ変わる製品を望んでいるんでしょうか?

容器のデザインと名前を少し変えての新製品である合成洗剤やら、日曜生活品が溢れているのを見ると、泥沼状態の戦略であるような気がします。

このあたりも発想の転換が必要なんじゃないか、という気がしますが、どうなんでしょうか?

祝!夏至 

2008-06-20 19:45:46 | Weblog
明日は、夏至です。

本来であれば、冬至と同様、なんらかのセレモニーがあっても然るべき日ですが、冬とはうって変わって、日本では、あまり"祝う"ということはないみたいです。

今年も、もう半年が過ぎて、これからは日も短くなっていくわけですよね。

21世紀も8年が過ぎて、なんだか、いよいよ、という気がするのは私だけでしょうか?

日本でも、「成果主義」が突然姿を現したかのように襲ってきたわけですけれども、突然提示されたこの課題も、少しづつ日本に定着しつつあるのかもしれないです。

年金問題やら、石油価格高騰に泣かされていますが、この問題に取り組んでいる人たちにとっては、決して先行きが暗いばかりではないんじゃないか、という気がしています。

「成果主義」に関しては、能力そのものに対する評価をする側に問題があったと思っていますが、少しづつ、それも変わってきているかもしれない。

日本の文化と体質に合った「成果主義」ができていけばいいな、と思います。

石油に関しては、未だに、この限りある資源事態に過信している部分がとても多いように思えるけれど、「今」が何とかなっても、10年後、20年後、同じだとは思えないし、映画の「シリアナ」の中でも、マット・デイモンの役であるコンサルタントが、中近東の石油産油国のトップにアドバイスしていることが本当のことで歩きがします。「いつかは枯渇する石油に頼らず、無くなったときの事まで見据えて石油を供給すること」

アラスカや、アフリカのある地域では、石油がその地域の人々を潤して、彼らの本来の生活や、文化を捨ててしまっているような光景を見ると、今現在の富よりも、先のことを考えた方がいい、と、言ってあげたいくらいです。

20世紀前半は、戦争や紛争が世界規模で耐えなかった時代。後半は高度成長が先進国で進んで、不必要なまでに便利さが蔓延した時代だけれど、21世紀は、その”不必要な”便利さを見直して、全ての便利な世界を放棄しなくてもいいよう、進めていく時代なんじゃないかな。

ニュース報道の見方

2008-06-14 10:07:00 | Weblog
ここ数日メディアが多く取り上げている秋葉原の殺傷事件。多分後数日もすれば、取り上げられなくなるのだろうけれど。

報道というものは、いろいろな角度から見て発せられるものだと思うのだけれど、実際はそうではないらしい。(自分自身としては、ずっと昔、中国で起きた「天安門事件」のあたりから報道というものをあからさまに疑っている。この事件、カミングアウトするのに10年掛かっている。)

今回、NHKの逆転勝訴の件についても、判決自体に疑問が残る。

そういえば去年、ブルドックソースの「株主総会決議禁止等仮処分命令申立て云々」で下された最高裁判決もしかり。(裁判長:今井功 陪席裁判官:津野修 中川了滋 古田佑紀)
当時、司法関係者の間では首をひねる人もいたのだろうけれど、今となっては、結局海外投資家をScare offしている要因となっているようだ。

専門的なことは専門家に任せておけばいいと思うので、細部を検討したって重箱の隅をつつくようなことだろうと思う。でも、そこからひき起こる問題という部分では、裁判官は多分あまり考慮はしないのだろうし、責任外なのは当然。

おかしいと思ったら、誰が何といおうと、おかしい、というのが常識じゃないですか?(はだかの王様じゃないけれどね)おかしい、と言うこと事態は、決しておかしくないはず。それは正解、不正解の問題じゃない。

時として、「君の言っていることは間違っているよ」とメージャーな意見に乗っかってくる訳知り顔の輩は多いけれど、そういう方の意見にあまり興味はないです。

それにしても日本人というのは、本当に耐え忍ぶのが好きな民族なんだろうか?

「ありときりぎりす」というイソップ童話は、実は「ありとせみ」がオリジナルであったのだとか。(NHKの番組でやっていたんですけどね)
そして、本来であれば蟻は、冬に食べ物を乞いに来たセミを家に入れてやらず追い返すのだけれど、日本では、暖かく迎え入れる、に変わったのだそうだ。(これはこれで、いいと思うけれど。)

そういえば、最近見た映画、"I am legend"にでてくる、ゾンビまがいの、ゾンビを超過激にしたような症状になるという病気も、日本では、多分発想しにくい設定だろうな、と思った。(日本ではせいぜい、鳥インフルエンザウィルスの進化版くらいなものだろう。)

いつまでも鎖国時代的な発想と、官僚主義的な、「お上に楯突く者はご法度」の発想に憑依されることもないだろうに。。。

今日のニュースで驚いたこと

2008-06-12 19:50:02 | Weblog
戦争特集番組「改編」訴訟、NHKが逆転勝訴…最高裁判決 (読売新聞) - goo ニュース

今日、NHKニュースを見ていて、この報道を目にしました。

ちょっと、耳を疑うような内容でした。

「言論の自由」は、報道するもの、報道されるもの両者にあると思っていましたが、今回の判決は、まるで教科書検定におけるようなもののように聞こえましたが、違うんでしょうか?

民間団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの活動は良く知りませんし、この報道自体を見たわけではないので、詳細は分かりませんが、そうした人たちにとって、この判決は特に異様に聞こえたのではないか、と思います。(違いますか?)

どのような趣旨で取材し、その後、どのように編集したかについても良く分からないのですが、こちらの判決に関しては、まるで、取材される側は、どのように編集されても異存なし、との条件で望まなければならない、というように聞こえます。

編集技術は日進月歩の昨今、決して意図したつもりのないことも、編集によって捻じ曲げられては、取材される側もたまったもんでないですよね。

今回の判決は、腑に落ちないので、この最高裁裁判官の名前、判決内容は記憶しておこうと思っています。

横尾和子裁判長による判決、戦争特集番組「改編」訴訟 2008年6月12日


PS:ちなみに、NHKの受信料の問題ですが、見たくもないものに払う必要もないし、できれば、「払いたくない」という人には、そこだけ配信拒否してもらっても、私は全然かまわないんですけれど。